17.有言実行の日々
「恋愛したいだなんて! ローズ、あなた凄いわっ」
義姉ギジェルミーナが、ちょっと興奮した様子でローズに話しかける。
「政略結婚が常の王族にありながら、その革新的な思考。流石だわね! あぁんっもうっ! 流行りの小説かなにかの物語のようよ!」
頬を染めウキウキと語る様子はまるで少女のようだが、彼女はこれでいて来年には母になる。
ローズは侍女たちと義姉と共に、明日の装いについて『作戦会議』をしているところだ。
◇◇
セントロメア王国のラファエル王太子殿下と会談してから、ローズの毎日は一変した。
さほど日をおかずにラファエルが訪問するのだ。
騎馬で単身、にこにこと人好きのする笑顔を振りまきながら。
前世から合わせても長い時間『喪女』を自認し過ごして来たローズだったが、王子が頻繁に来訪するお陰で、身の回りに気を遣うようになった。
(だって、ちょっとでも可愛いって思われたいもの)
王子の訪問は前触れなどない。
二日と置かずに現れるから、訪問の報を聞くたびに身支度を始めるのでは肝心の面会時間が短くなってしまう。常日頃から『可愛い』と思う装いをするようになった。
(でも、もともとの顔立ちが悪役令嬢であるローズ・ガーネットだもの。『可愛い』というより『綺麗』系の顔なのよね)
ローズはどちらかというと『可愛い』が似合わない。
あれこれ思い悩んだ末、清潔感や上品さがある装いを目指した。
カメリアは、年頃の少女らしい風情をみせるローズに大歓喜だ。たまに『明日の公女さまの装いの作戦会議』に顔をだしては意見を述べたりしている。
訪問回数が30回を超える頃。
ラファエル王太子殿下の到着を城の中で待っているのが歯痒くなったローズは、その日は来るだろうなと当たりをつけると国境検問所で王子を待つようになった。
いつものように笑顔で来訪したラファエル王子は、ローズが検問所で待っていたことを知ると、殊の外喜んだ。喜びに溢れた王子は、思わずといった調子でローズを抱きしめた。ふたりが成長してからのハグは、このときが初めてだった。ハグをして、髪にキスを落とされた。
(昔は……抱きしめられても殿下のお顔が真横にあったのに……)
今は、抱き締められると彼の顔は上の方にある。ローズの身体を包む腕も、随分と長くがっしりと男らしくなったように思う。
昔とは違う、些細な差に気がつくたびに、どきまぎと心臓が煩く鼓動を刻む。少女漫画のラファエル王子像とも違うそれに、首を傾げる。
(こんなにガッシリとした印象の王子だったかしら……違うわ。単騎で馬に乗って他国に赴くような豪胆な人ではなかったもの……)
訊けば、騎士団の団長も務めているという。
「王太子が団長になるのは通例だからね。実際に剣術試合をしたら僕の腕前なんて上位5名にも入らないよ」
ラファエル王子はそう謙遜したが、そもそも、独身の王太子というものが『異例』なのだそうだ。
セントロメア王国の王族は結婚してこそ一人前という、前世の記憶があるローズから見ると中指を立てたくなるような常識がまかり通っている。
そんな中で、通例や慣習を打ち破り、周囲を説き伏せ、嘱望され王太子の地位についたラファエルは凄いと思う。
「殿下はあぁ仰ってますが、殿下の腕前は上位10名には入りますよ」
そう太鼓判を押してくれたのは、王子の唯一の随行者で護衛のシモン・ジェットだった。
ラファエル王子の国内での人気は凄まじいものがあると彼はいう。
人気があって、公務も忙しい。偶に来れないときには自筆のメッセージを届ける気遣いをみせてくれる。
ローズは、そんなラファエルに釣り合うために自分がなすべきことはなんだろうと考えた。
ローリエ大公を通し、セントロメア王国に教師を派遣してくれるよう要請した。ローズはセントロメア王国の学園を卒業していない。王国の人間として必要な教養を修めたかったのだ。
願いは直ぐに叶った。
セントロメアの王妃殿下の口利きで、ローズに対し王子妃教育を施せる人材が派遣された。
ローズの教育を任されたトリフェーン侯爵夫人は、なんとあの女子修道院にいたシスター・ジェンマの姪だという。
伯母からの手紙でローズのことはよく聞いていたというトリフェーン侯爵夫人とは、すぐに意気投合した。博識で話し上手な彼女の授業は受ける価値があった。(その分、なかなか厳しい授業でもある)
それにしても人の縁とはつくづく不思議なものだとローズは思うのだった。
◇◇
ある日、ラファエルの乗って来た馬に興味が湧いた。
彼の愛馬は一際大きく、美しい黒馬だった。
(ほらファティマ。白馬の王子さまなんていないのよ)
心の中でファティマへとドヤ顔をしつつ、馬を観察する。
実際問題として、白馬は目立つのだ。
目立つのはいいが、標的になってしまう恐れもある。式典などでない限り白馬には乗らないのが普通だろう。
(四つ足が白くて額に星がある馬は、主人に不幸を齎す馬相だって、三国志で読んだわね)
ラファエルの愛馬は真っ黒。凶相でなくて何よりだ。
(この馬がラファエルを守ってくれますように。ふふっ。賢そうな顔)
馬の目を見れば、長い睫毛に縁どられた黒い瞳がまっすぐにローズを見ていた。
(わたしなら、赤兎馬って名付けちゃうなぁ。このこ、賢そうだし千里くらい走れそう。……もっとも、馬の名前なんてオグリキャップくらいしか知らないけど)
「馬に興味があるの? 乗りたい?」
検問所でなにやら係官と話しをしたあと、ラファエルがローズに提案する。
「乗ってみたい! 乗せてくれる?」
ローズは瞳を輝かせて答えた。
(やった! これってあれよね、自転車とかバイクでのタンデムデートって奴!)
ローズの想像は、運転手であるラファエルの背後にバイクに乗る自分の姿だった。
が、ラファエルはローズの想像の上の行為をした。
彼は自分の前方にローズを乗せたのだ。当然、彼の懐にすっぽりと囲われる姿勢になるし、スカート姿のローズは馬に横乗りになる。ラファエルの美顔が見放題という特典付きだが、同時に自分も見られている。
(なんだか恥ずかしい! わたし、ちゃんとした顔してる? 変に赤くなってない?)
侍女もいないこの場では身嗜みを整える者も指摘する者もいない。
それでもローズを気遣ってかゆっくり馬を歩かせてくれるから、恥ずかしい体勢にもじきに慣れた。ラファエル王子をじっくり見つめられる特等席(美形は眼福)で、ローズは心弾む楽しい時間を過ごしたのだった。
その日。ローリエ公国の城下町を大きな黒馬に二人乗りし、散策を楽しむ公女と求婚者の、仲睦まじい姿を多くの公国民が目撃した。
他愛ない会話を楽しみながらゆったりと馬を歩かせるその姿は、実にほのぼのとしていて、公国民は温かく見守ったのだった。
「え? 殿下がこの馬に名づけを?」
「そう。『黒王号』っていうんだ」
「おぉぉう……そっちできましたか」
「そっち?」
「いいえ。いいお名前です。殿下はセンスがありますね!」
◇◇
ラファエルは王太子である。
当然、その地位に見合う責務がある。ローズばかりに構っていられない日もあるのだ。
その日はセントロメア王国から使者が来た。ラファエル自筆の手紙を検問所にいるローズに手渡すという任務を終えた彼は、公女の姿に心を奪われた。
彼は常軌を逸したような自国の王太子の態度(大国の王太子ともあろう人が、ひとりの女の為に単身足を運ぶなど、前代未聞である)に懸念を抱く一人ではあったが、まず、ローリエ公国公女の美しさに度肝を抜かれた。
というか、王太子殿下から『公女は検問所に居るはずだから、必ず手渡せ』と命じられたことに懐疑的だった自分を恥じた。
(公女なんて身分の女性が、検問所なんて場所に居るわけない)
そんな固定観念を軽く蹴散らす姫君だった。
傾国といっても差し支えない美女が、本当に検問所で王子の訪れを待っていた。
(こんな美女に待たれたら、そりゃあ男なら通うだろう)
彼はそう納得した。
美人公女さまが城からわざわざ出て国境検問所なんて場所で王太子の訪れを待っていたという健気さと、王太子は来れないのだと気がついた時のその哀し気な、酷く寂し気な、がっかりしたような、そんな表情を浮かべながらも、使者に対して健気にも笑顔で対応し彼を労ったことに胸を打たれた。
公女など、身分の高い女性は自分の思い通りにならないと感情的になって当たり散らす者も多いと聞いていたが、どうしてどうして。このローズマリー公女は理性的な人だ。
(この人なら、うちの有能な王太子殿下の隣に並んでも、遜色ないのではないか? しかも美人だ)
返事の手紙を書くから待って欲しい、その間、寛いで休んでくれと告げ退室した公女の後ろ姿に、未来の王妃像が見えた。と、彼は後に語ることとなる。
◇◇
ラファエルの訪問も50回を超えたある日、ローズはある出来事に気がつき呆然となった。というか、なぜ今になって気がついたのだろう。もっと早く気がつくべきだったのに。
(わたし、もしかしてとんでもないフラグを立てたんじゃないの?)
100回訪れてくれ、だなんて。
これはまるで、あの小野小町の『百夜通い伝説』と同じではないか、と。