16.デートをしましょう、目安は100回
ラファエル・ディアマンテ第一王子。
少女漫画では、頭脳明晰、いつも穏やかな笑顔で温厚な性格。争いごとは嫌い。優柔不断な面があり、だからこそ、悪役令嬢ローズ・ガーネットの断罪までに時間を掛け過ぎてしまったきらいがある。
そう、本来の彼は優柔不断なのだ。なのに、悪役令嬢との結婚を誓うなんて!
そんなイベント、本来の少女漫画にはなかった。無理矢理それを起こしたのはローズ。
ならば、ローズが責任をとって彼の目を覚まさせねばならない!
それに、ローズもそれでは嫌なのだ。
昔の誓いがあるから結婚するなんて、『わたし』を求められていない気がする。『わたし』はもう『ローズ・ガーネット』ではない。今は『ローズマリー・ローリエ』。もう悪役令嬢ではないのだ。
「わたしたちは、まだお互いをよく知りません。どんな人間なのか、解っていません。
それでは駄目です。人生は長いのです。この先の長い人生において、よく解りもしない伴侶を選ぶなんて愚の骨頂。特に王太子殿下。貴方さまのお立場では、誰を妃に選ぶかで賢王になるも愚王になるも、のちの歴史の評価が分かれるのですよ!
ですから……幼い日の判断など、取り敢えず一旦、保留にしましょう。そうしましょう!
お互いを知るために! そのために100日。この国に、わたしの元に通ってください。100日……いえ、100回、デート、しましょう! デートをしてよく話し合って。お互いをよく知り合って……それから決めましょう‼」
勢いで告げながら、ローズは意識の片隅でテンパっていた。
自分は何を要求しているのだろうか。
(こんな上から目線の要求なんてして、きっと縁談そのものが無くなるわ。破談ってやつだわ。でもそれならそれで、仕方ないことだわ)
隣国セントロメア王国の国力はローリエ公国の二倍。軍事力だけは肩を並べていると自負しているが、それ以外は人口も国力も、なにもかもセントロメアの方が上だ。
その大国の王太子に、自分の要求はとんでもない内容だ。王太子に一介の令嬢の元へ通えだなんて。
怒りだすのが普通かもしれない。
黙ってローズの熱弁を聞いていたラファエル王子は、暫しの間、首をコテンと傾けていたが、確かめるように口を開いた。
「つまり。今のお互いを知る為に時間をかけよう……ということ?」
「はい」
間違っていない。そういう意味合いの申し出を、した。してしまった。
「そのために、100回、僕にこの国に通えってこと?」
「……はい」
言ってしまいましたね。覆水盆に返らず。立つ鳥跡を濁さず。
(注※ローズはこんらんがつづいている!)
「100回通っている間に僕と君とで恋愛をする……という意味だね」
「……は、い?」
んん?
そうなのか? そういう意味になるのか? 確かに『恋愛をしたい』と言ったのはローズ自身だ。だがその相手はお互いでなくてもいいのでは? という気持ちだったのだが……。
しかも、100回訪問しろなんて無理難題を押し付ける相手、面倒臭いでしょ?
実際問題として、100回も続けられないでしょ?
『馬鹿にするな』と怒って席を立つ場面では?
あれ?
何か、間違えたのだろうか?
「恋愛をして相思相愛の関係になって……100回通った暁には僕の花嫁として一緒に国へ帰るってことだね?」
「……そう、なり、ますか?」
相思相愛になれば、そうなるのは必然?
間違いではない。たぶん。
「念のために訊くけど、その100回は連続した100日でなくても許してくれる? 流石に無理がある」
「そ、そうですね」
セントロメアの王都からローリエ公国までは馬車で片道2日かかる。往復なら4日。騎馬なら1日の距離。往復なら2日。それもとびきりの軍馬でないと無理だ。そして通うとなると、1度の訪問に少なくとも3日はかかると計算するのが普通だろう。毎日の訪問など、どんなムリゲーだ。
「長く来れなくなる時は代理の者にメッセージを託すことにするけど、それは100回に数えない。そういうことだね? あくまでも僕の行動で僕の誠意を見せろっていう意味だものね?」
「……そ、うです、ねぇ?」
こうやって改めて解説されると、なんというハードモードな条件を出したのだろうか。ローズは自分自身が鬼になった気がした。
しかし、妙に具体的な提案をされているのは気のせいだろうか。
「解った。君の気持ちは理解した」
そう言ってラファエル王子は立ち上がった。
なんとも晴れ晴れとした、いい笑顔だった。
彼が立ち上がる際、離れてしまった手。ローズはその手が急に寒くなったと感じた。
「『でーと』とやらが何かは謎だが……そうだね。やるはずだった学園生活。日常生活での語らい。それらに近いものかな。そう思えば僕も意欲が湧く」
いい笑顔のまま呟いた独りごとは、辛うじてローズの耳には届かなかった。なにを言いましたか、と問いかけるために顔を覗き込めば、自信満々の瞳とかち合った。
「ローズ。僕という人間を十二分に理解してくれたまえ」
笑顔と共に自信たっぷりに紡がれた頼もしいことば! 不覚にもキュン、と胸が高鳴った。
「そうと決まったらやることをやらねば。一旦、国に戻るよ」
あぁ、その前に。
そう言って引き返し、ローズの前に跪いたラファエル王子は、懐から四角い美しい箱を取り出した。それを開けると、中には金色の刺繍が施された鮮やかな緑色のリボンが折り畳まれていた。
「君の、7歳の誕生日のために用意したものだ」
王子はリボンを手に取り、それをローズの左手首に手早く結んだ。
「あの当時、これを髪に飾った君を見たかった」
そう言って淡く微笑んだラファエルは、ローズの左手首に結んだリボンの上に、唇を落とした。伏せた金色の睫毛が長い。こんなところまでキラキラと煌めいてエフェクトが掛かって見える。
伏せた睫毛を挙げると、緑色の瞳が現れる。
それはまっすぐにローズの心を射抜いた。
「僕は、有言実行の男だから。まず、それを覚えてね」
柔らかく微笑んでいるはずなのに、やけに挑戦的な瞳。その瞳の奥に闘志が見えた。
彼は、こんな好戦的な人間だっただろうか。
ラファエル・ディアマンテ王太子は立ち上がり、あっさりと踵を返すと、護衛騎士を伴って颯爽と退出した。
ローズは彼が退出したドアを呆然と見詰め、しばらくは身動きも、瞬きすらもできなかった。なんなら、呼吸すら忘れていたような気がする。侍女のエバに話しかけられるまで、立ち上がることすらできなかった。
これ以上ないほど赤面したまま。
◇◇
場所は大公一家が寛ぐプライベートエリアにある談話室。
「ローズ。おまえ、ラファエル王子にそのまま連れていかれるかと思ったぞ。ふたりでたっぷり見つめ合って、手ぇ繋いで同じ行動して。息ぴったりじゃないか! 見ててハラハラした。よくあんな状態から時間稼ぎができたな!」
と、言ったのはバージル。
「なるほど、100回の訪問ね……よく考えたものだ。単純計算して10ヵ月後から1年後の輿入れなら妥当か。時間稼ぎにはぴったりな口実だったな」
と言ったのはローリエ大公。
「ローズぅ、ローズぅ」
カメリア夫人はただ、ローズに抱きついて泣いている。
(見ててハラハラ? 10ヵ月後の輿入れ? 時間稼ぎ?)
さきほどは目に見えないなにか熱い思いに突き動かされ、衝動的に提案をしてしまっただけだ。ローズの脳内で金髪を翻したファティマが高笑いしていたせいかもしれない。
綿密な計算を立てたうえでの発言ではないから褒められても困る。
逆に、よくもまぁ王太子殿下が怒り出さなかったものだ。
だが、それはそれとして。
「お義兄さま。『見ててハラハラ』というのは、あの応接室、隣室から監視されている……という解釈で正しいのですね? そしてここにいる皆さまで覗き見していた、ということですね? あぁ、壁に飾られていたローリエ一世の肖像画辺りから……でしょうか」
ローズの質問に、ローリエ大公夫妻とその跡取り息子がぎくっと表情を変える。
(あの応接室に、そんな仕掛けがあったなんて知らなかったわ)
義両親と義兄は心配しての覗き見だったのだろうから、娘に怒られるのは理不尽というものだろう。
「それに……おふたかたはセントロメアとの縁談、賛成派だったのですね」
義父と義兄からは、今すぐの婚姻でないのなら了承しよう、という空気を感じる。
ぐずぐず言っている義母はともかく。
そもそも今回の王太子との面会は、ただの顔合わせでは無かったか?
いつの間に『連れ去られる』などという事態になっていたのだろう。
余りにもラファエル王太子に魅入られていたローズの態度のせいだろうか。
「まぁ、ね。隣国とは友好的でありたいし、婚姻でその友好が叶えば有難い。だが……何より君には幸せでいて欲しい。その為の縁組でないと、というのが大前提の話だ。だから、君自身が納得するのならすぐにでも、と思っていた」
と、大公が言えば
「渋っているのは母上だけだし、母上はおまえの結婚そのものが気に食わないんだしね」
と、バージルも肩を竦める。
「はぁ」
ふたりとも見事な半笑いだ。拍子抜け、というのはこういうことか。
「あのね、ローズ。君を本当の娘にするのに、うちにはこれ以上ないほど適任の男がいると思わなかったかい?」
どこか含み笑いというか、頑是ないこどもに言い聞かせるような顔でローリエ大公がローズに語る。
「適任の男?」
「うちの次男だよ。オレガノと結婚してしまえば、君は確実に我がローリエ家の嫁という立場で家族になれる。だけどね、それにも反対したんだよ、カメリアは」
「だって、オレガノは、心の底から、自分のなにと引き換えにしてもというほどにローズを愛してはいなかったもの」
ローズを抱き締めて離さないまま、口を挟むカメリア。
(いやいや。会ったばかりの従妹にそんな執着はみせないと思いますよ、普通は)
「貴女には、そういう相手じゃないとダメ。わたくしが許しません。たとえ世界を敵に回してもあなたを守るといって執着するような男でないと、わたくしは了承できないわ……あの男は、まぁ、認めてやらなくもないけど……」
カメリアの愛情は濃くて重い。けれど、肉親の愛に飢えていたローズにはそれが心地良い。
その愛情の半分は実母へ向けているものだと解っていても。
そうだ。カメリアのいうとおり、そんな執着に近い愛情を持つ相手でないと、ローズは満足できないだろう。
「……そんな奇特な人、いますか?」
「え? さっきまで、貴女の手を握って離さなかった人のことを忘れたの?」
やや呆然とした表情で義父と義兄を見遣れば、ふたりとも云々と頷いた。
「セントロメアの王子に表情筋があったとは驚きだったよ。いつも同じ笑顔の彼しか見たことなかったからさ。真顔すら見たことなかったのに、あんなに笑顔のバリエーションがあったとはなぁ」
と、しみじみとバージルが語る。
彼に捲かれた手首のリボン(緑色の生地の上に金色の刺繍だなんて、思いっきりラファエル王子の色彩だ)が、くすぐったかった。