15.キケン極まりない存在
一昨年の女子修道院にファティマを迎えに来たのは、騎士見習いのエルナンと、もうひとり。
壮年のベテラン騎士が同行していた。黒の短髪と黒い瞳。がっしりした肢体。身体の厚みはラファエルの2倍はありそうだ。眉毛やあごがしっかりとしたその顔は、熊を連想させる。
連行に近い形で向かった国境検問所で、伯母であるカメリアと初めて会った。
涙と感動の抱擁を終え落ち着いた頃、涙を拭き馬車から降りるローズとカメリアに手を貸してくれたのは、目の前のこの彼だ。
そしてローズの手を離す直前に、彼はそっとことばをくれたのだ。
『ご多幸を、お祈りいたします』と。
話しかけられるとは思っていなかったので驚いた。何気なく見上げた黒い瞳が、優しく自分を見下ろしていたのが印象的で、忘れられなかったのだ。
「彼はシモン。シモン・ジェット。僕が生まれた時からの専属護衛だ。ローズも昔、会ったことあるはずだよ」
泣きすぎて、いまだ目尻を赤くしたままのラファエル(ちょっと色っぽくてどぎまぎしてしまう)が騎士の紹介をしてくれた。だが、昔に会ったことがあると言われても。
「そう、でしたか?」
(生まれた時からの専属護衛……今でも他国に随行するほど腕が立ち、とても信頼されている騎士さまなのね)
その彼が、一年前は王子殿下の護衛を離れ、わざわざ辺鄙な女子修道院に訪れた。
自惚れでなければ、それはローズの為なのだろうと推測できる。
ローズがあの修道院にちゃんといるのかどうか、確認する意味があったのだろう。かつ、ローズがローリエ公国へ赴くのはディアマンテ王家が容認しているという意思表示でもあったのだ。
(とはいえ、公爵令嬢だった昔のことは、それほど覚えてないわぁ。確かに、王子宮には騎士さまや侍女たちが沢山働いていて……庭でかくれんぼしてると、必ずいつの間にかちょっと離れた背後に騎士さまがいたけど、それが彼だったのかしら)
ローズが鮮明に覚えているのは……
「いつも美味しいジュースを用意してくれた侍女は、まだ殿下にお仕えしてますか?」
王子宮では優しい時間を過ごしたことしか覚えていない。みな温かくローズを迎え入れてくれて、心地良い空間だった。
「ケイトのことかな。うん。今は女官長になってる。彼女もローズが帰ってくるのを待っているよ」
帰ってくるのを待つ、と言われた。長い間、家を追放され居場所を求めていたローズには、間違いなく殺し文句だ。
「シモンも、ずっとローズを心配していた。一年前は修道院で会えてほっとしたと報告を受けている。
ケイトも君の行方を案じていた。宮殿の次の女主人は君だと言っていた。みんな、ずっとずっと、ローズが帰ってくると信じて待っていた」
オカシイ。
とても耳に心地よいセリフを聞きながら、脳の片隅で冷静に分析する。
いつのまにか、ローズはソファに座っていた。
それも、ラファエル王子と並んで。
オカシイ。
これは初対面の男女の距離ではない。ローズとラファエルは、正しくは初対面ではないが、やはりまずいだろう。
どうも、ラファエルの顔を見ていると、彼の顔だけに意識が占領されてしまうせいか、行動の記憶がない。
いつの間にか移動していたり、硬直したまま見つめ合っていたり、隣り合って座っていたりする。
気を付けねばと思いつつ、会話を続ける。
「殿下も? 殿下も、わたしを……」
ラファエル王子も、ローズを待っていてくれたのだろうか。もう10年以上も昔に会ったきりなのに。
「うん。僕は誓ったからね」
「誓った?」
「結婚するのは君だと。絶対ローズと結婚すると。10年以上前から決めていたことだ。僕は約束を違えない。有言実行の男だよ」
幼い日に誓ったから。
だから。
「ちゃんとした証拠もあるよ」
「証拠?」
「僕が君に、『ローズと結婚するんだ』って誓うシーンが、記録水晶に納められているからね」
記録水晶! どういう仕組みかは解らないけれど、前世でいうところのビデオカメラのようなものだ。魔鉱石を使った魔道具だとも聞いているが、ローズは噂で聞くばかりで実物にお目にかかったことはない。
だが流石王族だ。そんな高価で貴重なものを10年以上前からホイホイ使用していたのかと、ローズは驚くと共に納得した。
「撮影者がケイトだったから、撮影の焦点が僕中心なんだけどね。
僕が泣くと一緒に泣いてくれる心優しい女の子が僕は忘れられなかった。その子はポケットからハンカチ出して、僕の涙を拭いてくれようとする母性があってね。小さいのに礼儀正しいし、仕草は完璧な淑女だしね、この子が成長した姿はどんなんだろうってずっと考えてたんだ。
ローズ。想像していたとおり、いいや、想像以上に綺麗になったね」
そう言ってウットリとした表情でローズを見つめるラファエル。
長ソファに隣り合って座り、いつの間にか両手を繋いでいる。
手!
いつの間に手なんて! それも両手! 改めてビックリだ!
(この王子、本当は魔法が使えるんじゃないの? 危険よ! キケン!)
脳裏に次兄オレガノがいったことばが蘇る。
『でもさぁ、ローズ。あの王子、今すぐにでもお前を連れ帰る勢いだったぞ? そんなことになったら、母上泣いちゃうぞ?』
あれが本当なら、ローズはセントロメア王国へ『いつの間にか』連れていかれる、なんてことになっているかもしれない。
(ラファエル王子って、わたしには危険極まりない存在だわ!)
前世はオタクで喪女だったのだ。社畜OLのまま、特に恋愛やら結婚やらした記憶はないのだ。いつ死んだのかも思い出せないけれど、たぶん、喪女のまま過労死でもしたのだろうと推測できる。
そして今世ではこの年まで清いままだ。当たり前だ。常に命の危機と対面していたのだ。色恋沙汰とは無縁だった。そして齢7歳にして女子修道院にいたのだから。
つまり。
こういう免疫が一切合切キレイさっぱり、ないのだ。
(二次元でヒトゴトなら山ほど読んだけど!)
「ローズ。僕の花嫁になってくれる? 僕と一緒に国へ帰ろう?」
ラファエル王子の眼力が、圧がすごい。目が逸らせなくなる。
涙目のままの色気も半端ない。
金髪キラキラのエフェクトも絶賛発動中。
しかも『一緒に帰ろう』だなんて、甘いセリフにローズの胸が疼く。
(なんなの、この生きる最終兵器は)
恋愛どころかイケメン免疫のないローズのHPはほぼゼロ。そこへ、これでもかっと攻撃されている。頷くしかない……のか?
『そんな事になったら、母上泣いちゃうぞ?』
オレガノのことばに義母を思い出す。
いまや、ローズを溺愛しているカメリア。ローズだって、カメリアを母と思い慕っている。彼女を泣かせるなんてできない。
(どうしよう。ファティマ、わたし……どうしたらいいの?)
迷いに迷った挙句、脳内に浮かび縋ったのはストレートロングの金髪を翻して振り向く笑顔のファティマの姿だった。
『ね、ローズ。私のいったとおりになったでしょ? 小公女は幸せになるのよ?』
『ローズのこのあと? うーん……うん、恋愛パートが待っているね!』
(恋愛、パート……)
「ローズ?」
キラキラのエフェクトを振り撒くラファエル王子が、握っていたローズの手を持ち上げその指先にキスをした。
そして、ただでさえ涙目が可愛らしいのに首を傾げてローズの顔を覗き込むという、さらなる可愛さの演出までするなんて……なんて憎い奴なのか!
(これ、意識的にやってるの? それとも無意識? ラファエルっ! 恐ろしい子っ)
気分はガラス〇仮面の月影先生である。
だがこのまま呑まれ続けるわけにはいかない。
なぜか、ローズの中に燃える闘魂が現れた。HPがゼロだからこそ現れる奴。大逆転の法則。(注※ローズは大変に混乱している)
「ラファエル王子殿下……わたし、気が付きました。殿下のわたしに対するその執着は、幻想なんだと」
「え?」
「お話を伺いまして、考察いたしました。
殿下のそれは青春の幻影。カゲロウを追うようなものです。一時の気の迷いなのです。
その気の迷いと過去の自分に束縛され、植え付けられた固定観念に影響を受けたまま、これから先長い人生を共にする伴侶を決めてしまうのは早計と言わざるを得ません」
「……うん?」
「わたしたちは、お互いをよく知らないではありませんか。お互いがどんな人間なのか、解り合ってから結婚を決めても遅くはありません」
「つまり?」
「わたしは、恋愛がしたいのです!」
「え?」
「100日、わたしのために使えますか?」




