14.涙の再会
(キラキラ が、すごい……)
応接室のドアが開いた瞬間、視界を真っ先に占めたのはラファエル王太子殿下の煌めく金髪だった。エフェクトかなにか、特別な効果がかかっているのではないか。
そうとしか思えないほどキラキラと煌めいて輝き、ローズの網膜を痛いくらい焼いた。
目が離せない。
きっと、自分の瞳孔、開ききってる。
その金髪の持ち主はドアが開いた瞬間、はっとした顔で立ち上がってローズを見た。
セントロメア王国、ラファエル・ディアマンテ王太子殿下。同じ年だが、彼はもう19歳になっているはずだ。
ローズの記憶に残っている幼児の頃の彼の姿は、もう朧げになっている。笑顔と泣き顔が愛らしかった、という思いだけが強烈だ。
前世でみた少女漫画のラファエル王子の姿の方が鮮明に思い出せるが、その彼とも違う。本物の、実在し生きて呼吸し動いている、ラファエル王太子殿下が同じ部屋に……いる。
(少女漫画の王子と、何かが違う……? なにが、違うのかしら)
そもそも少女漫画の『ラファエル王子』は結婚式と同時に王太子になる。ウェディングシーンで物語が終了したのだから王太子になったあとの彼の姿は、ローズも初見だ。
背が、高い。
ローズも女性にしては背の高い方だが、それよりも更に大きい。目の前で見ると、見上げる自分の首の角度でそれがよく解る。
筋肉フェチのファティマは、王子のことを『細っこい』などと表現していたが、どうしてどうして。充分がっしりとした印象があるではないか。
そりゃあ、騎士であるエルナンよりは細い。だが頭脳労働者であるラファエル王子が筋肉まみれになる必要は皆無だ。
(シュッとして……カッコいい……本物、マジ王子……)
派手さは皆無。だが上質だと解る生地で仕立てられた黒の正装。型は前世の学生服、詰襟に近い。それを首元まできっちりと締めたストイックな印象が、ローズの心の琴線ドストライクにハマった。
切れ長の緑の瞳が、ローズを真っ直ぐに見つめる。
王子の金髪がまるでお日さまのようで。
緑の瞳が日陰を作る樹木を連想させて。
(心地良い、木洩れ日のひと……)
なんとも散文的な妄想をしていたローズを見下ろしていたラファエル王子は。
その緑の瞳をみるみる内に涙で溢れさせて。
「ロぉ……ズぅ……」
顔を真っ赤に染めて、滂沱といっても差し支えないほど涙を流して。
右手をゆっくりあげて。
ローズの頬の、ほんのちょっとだけ手前で一旦止めて。
震えながら、ゆっくり。
そっと。
指先だけ、頬に触れて。
「ろーず……、ほんとうに、ほんもの?」
まるで大きな声を出したら消えてしまう幻を相手にしているように、声を潜めて。
「生きて、いるんだね」
そう言って、涙を溢し続けながら。
にっこりと微笑んだ。
「よ……かった……、ローズ……よかった……」
(泣きながら微笑むなんて、器用な人)
丁度一年前、セントロメアとの国境検問所で、義母と初対面した時のことを思い出した。
カメリアもあの時は滂沱の涙を溢し、きつくきつくローズを抱き締めた。ローズの名とローズの母の名を交互に呼びながら。
ラファエルは抱き締めることこそしなかったが、やはり泣きながらローズの名を繰り返し呟き、良かったと喜んでいる。そして一瞬でも目を逸らそうとしない。なんなら瞬きすら少ない。
(こんな瞳で見詰め続けられたら、わたしも目を逸らせないじゃない……!)
捕まった、と思った。
この瞳には何かしらの魔術があるのではないか?
そうでなければ、いま自分は金縛りにあっているのではないか?
そう勘繰りたくなるほど、視線を逸らせない。
どうしよう、どうしたらいい?
こんな時。本当なら侍女に視線を投げ、声を掛けさせたりなんなり、間をもたせるものだ。けれど、肝心の視線が投げられない。
(え。もしかしてラファエル王子はメデューサの血筋なの? わたしは石にされたの? だから動けないの?)
もしくは蛇に睨まれたカエル状態とでもいうべきか。
(睨まれたカエルは結局、蛇に丸のみされる運命よね)
脳内に、蛇に丸のみされるカエルの後ろ脚の映像が浮かぶ。怖い。
「殿下。公女さまにお渡ししたいモノがありますでしょ?」
ローズにとって勇者が現れた!
ラファエル王太子にたったひとり付き従って入国した騎士が、彼に話しかけたのだ。その声を合図に、呪縛が解けたのか視線を逸らすことに成功したローズは、侍女のエバを見遣る。エバはローズの手を取ると、ソファの側まで彼女をエスコートした。巧妙に隠してはいるが、エバはニヨニヨと口の端を動かし、なにやら言いたいようだ。
そうか、扉前に居続けていたのか。
いつの間にか、扉の前で立ち竦むローズの目の前まで王子が移動していたらしい。
そしてその場で硬直したように見つめ合っていたらしい。
そういえば、王子の顔が随分な至近距離にあった。王子の金髪エフェクトに惑わされ、気が付いていなかった。恐るべし、王族エフェクト。
(これ以上、呑まれたらだめだわ)
気を取り直し、ひとつ、咳ばらいをして。
一度、意識して背筋を伸ばすと、ソファの前でカーテシーを披露した。(この国に来てから、公女として改めて教育を受け直したが、特に直されることもなかった)
そして改めてラファエル王子を見る。
「はじめまして。ローリエ公国公女、『ローズマリー』と申します。ラファエル王太子殿下、以後、お見知りおきくださいませ」
そう言って、挨拶用に己の手の甲をラファエル王子に向け差し出す。
いっそあどけないと言ってもいいようなポカンとした表情で、ローズの一連の動作を見守っていたラファエル王子。彼はローズの手をすっと掬うと、実に優雅な所作でその手に口を寄せた。
「ローズマリー、公女殿下。はじめまして。……ローズと呼んでも?」
涙の乾かない濡れた瞳で小首を傾げながらの王子の懇願に、ローズはきっぱりNoと言えるような鋼の心臓を持ち合わせていなかった。内心慄きつつ笑顔で了承した。
途端に、ラファエル王子は花が綻ぶような笑顔を見せるから、ローズの内心のHPは急激に目減りした。
(どうしよう! 可愛いが過ぎるっ‼‼)
そういえば、ラファエル王子は美形なのだ。綺麗な顔をしているのだ。幼少時は可愛らしかったが、成長した彼は男らしくかつ美しいのだ。イケメンなのだ。
「あの……失礼かもしれませんが……」
スカートの隠しポケットからハンカチを取り出し、王子の手に握らせた。
「どうやら……その、汗が……」
ローズの手を離し、まずはその涙を拭けとはっきり言えたら気楽だ。だがいい年をした大人の男に、しかも王子殿下相手に言っていいものではないだろう。
人前で泣いて、しかもそれを指摘されるなんて恥だと思うかもしれない。
ラファエル王子は、ことばを濁したローズの真意をきちんと読み取ってくれたらしい。
実に幸せそうに微笑むと、受け取ったハンカチで目元を拭った。
そしてハンカチを目元に当てたまま、
「ローズの、ハンカチぃ……」
と、呟いたきり、硬直している。
どうやら慟哭を堪えているらしい。
そして片手を離さない。
(ファティマは……殿下のことを笑わなくて怖くてとっつきにくいって言ってたけど)
先程からのラファエル王子は、 泣いて、笑って、また泣いて。
(思ったより、泣き虫かも)
成長して身体は大きくなった。
(そういえば、昔もよく泣いていたわ)
でも中身はそれほど変わっていないのかもしれない。ローズはラファエル王子が泣く場面によくよく遭遇している。
どうしたものかと王子の背後にいる騎士へ目を向ければ、しっかりと視線が合ったのは見覚えのある騎士さまだった。
「あなた、修道院にファティマの迎えに来たときの、騎士さま?」