11.ローリエ公国で新たな生活を
あの国境の検問所で行われた、涙の出会いと別れから早一年が経過した。
ローズは、ローリエ公国、セージ・ローリエ大公の養女となった。それを機に正式名を『ローズマリー』と改め『公女ローズマリー・ローリエ』が誕生した。
普段はいままでどおりに『ローズ』と呼ばれている。
観賞用の花から、ハーブに大変身だと、ひとりニヤニヤする毎日である。
大変身、といえば太った。頬が随分、丸みを帯びるようになった。美味しい物を食べ、なにかに怯えることなく夜はぐっすりと眠る。それだけで肌艶はいいし、体重も増える。体型もだいぶ娘らしく出るところが出て、少女漫画の『ローズ・ガーネット』のボンキュボンに近くなった。髪も伸ばしているが、あの縦ロールは絶対やらないと自分に誓っている。髪の長さも顎の先ほどしかなかったが、今では背中を半分覆う程度にまで伸びた。
ローズ本人も、鏡を見るたびに印象が変わったと思う。
あの日、ローリエ大公妃カメリアを追いかけて来た老執事は、もともとは前ローリエ大公(ローズから見れば母方の祖父)に仕えていた人で、カメリア・アイリス姉妹のことを我が子のように慈しみ仕えてきた。政略結婚で隣国へ嫁いだアイリスの遺児、ローズのことも孫娘をみるような瞳で見守ってくれている。
執事の他に、古くから仕えている侍女長エバも常に涙目でローズに接している。
会ったばかりの頃は『痩せ過ぎだ』と涙目になり、ここ一年でやっと娘らしい体型になってきたかと思えば『アイリスさまにそっくり』と涙目になり、毎朝ローズの伸び始めた髪を梳かしながら『公女さまのいまのお姿をアイリスさまにお見せしたかった』と涙目になる。
その度に、ローズ付きになった若いメイドに『公女さまは愛されてますね』などと笑顔で言われて面映ゆい。
(居心地が良いような悪いような)
贅沢な悩みだと思いつつも、この半生で自分のことは自分で出来るようになっているローズには、他者の世話になるのが、申し訳なく思いつつ、くすぐったくも感じる。
修道院に来たばかりの頃のファティマが『私は男爵令嬢なのよ』と文句ばかり言っていたが、なるほど、貴族令嬢は人に傅かれるのが普通の日常なのだ。
なんの手入れもしていなかった髪がメイドの手技で艶やかになり、手荒れも消えた。毎日農作業に勤しんでいたので日焼けしていたが、すっかり色白になってしまった。
ローズ専用のエステの技に長けたメイドたちは、カメリア妃から特別褒賞を貰っているらしい。
(すっかり堕落してしまった感があるわねぇ)
それでも習慣とは恐ろしいもので、毎朝ローズは早起きをしてしまう。城内にある礼拝堂に赴き、早朝の祈りを捧げる。
生きていることに、今の家族と巡り合えたことに、すべてのことに感謝し、祈りを捧げる姿は美しく神々しく、『あれが託宣の聖女か』と、城内では密かな名物になっているのを、ローズ本人だけが知らない。
義母となったカメリア妃は、常に100%全開の愛情でローズに接してくれる。彼女の愛は激しい。もともと妹溺愛の人だったと、義父となった大公は語る。義兄となった二人の公子たちも、その長兄の妃である義姉も、新たに義妹となったローズに好意的だ。
やさしい父母に、兄ふたり、義姉ひとり。
なんと理想的な家庭だろう。
『世の中には、こんなにやさしい家族が存在したのですねぇ』
なんとなく、そう語ったローズに、家族全員(特に義母)が号泣し、その後、宥めるのが大変だった。
たまに、ファティマから手紙が届く。
あの日、『学園を卒業してエルナンと結婚する』と言っていたが、いまだ結婚した、もしくはするからお祝いに来て欲しい、という手紙は届いていない。
ファティマが学園を無事に卒業した、という知らせは別れた日からさほど時を置かず、すぐに届いた。
ガーネット公爵家が麻薬密売、人身売買など多数の罪に問われ、取り潰されたという報とほぼ同時に。
ガーネット公爵家は、公爵本人とその妻子諸共に処刑され、セントロメア王国史の系譜から抹消された。
その報を聞いた晩、ローズは礼拝堂に籠り長い時間、神に祈りを捧げた。
◇◇
ローリエ公国の次期大公バージルは、ローズから見れば従兄であると同時に上の義兄でもある。彼とその妃・ギジェルミーナとは、よく一緒にお茶をする仲になった。美人で陽気なギジェルミーナは、どこかファティマを思い出させてくれる。この義姉と接するたびに懐かしく思うローズだった。
そのギジェルミーナがにこにこと嬉しそうにローズに話しかける。
「それで? ローズ。あなた、もう先方にお返事はしたの?」
「お返事?」
話の要点が見えず小首を傾げると、いかにもまずい事を、と顔をしかめる義兄が視界に入った。
「バージルお義兄さま。わたしにはなんの事か……ご説明をお願いしても?」
ローズのことばに義兄の妃は顔色を変え、自分の夫に問い質した。
「え? まさか、ローズ本人が知らない、の?」
バージルは頭痛を抑えているような表情で妻を見遣る。
「ミーナ。君も承知のとおり、母上が、ね……」
夫のことばにギジェルミーナの顔色は蒼から白に変わった。
「あー。……あぁ、いけない、わたくしったら……」
慌てて自分の口を手で押さえる義姉の、その顔色の変わりようを見て、義母の箝口令が敷かれていることを理解する。
が、何に対して?
「ご説明は、お義姉さまにお願いした方がよろしいのでしょうか?」
しばらく、視線が飛び交う無言の攻防を繰り返したあと。
次期大公夫婦は義妹の有無を言わさぬ笑顔の前に膝を屈したのだった。
◇◇
「お義母さま。わたしに縁談がきていると伺いました。まことでございましょうか?」
大公妃の執務室に、先触れもなく訪れれば、さきほど義兄が見せた『まずい事を』と同じ顔をするローリエ大公妃カメリアがいた。
「誰があなたに漏らしたの? バージル? それともオレガノ?」
ちなみに、オレガノとはバージルの弟で、ローズと同年の公子である。
(バージルの弟といえばダンテェ……かと思っていた過去もあったわね)
一瞬、思考が前世の記憶に席巻されそうになったローズだが、頭を振って慌てて意識を現世に集中させる。オレガノはお調子者だが心優しい若者だ。義母に冤罪をかけられたら可哀想。
「それを聞いても無意味でしてよ? もうわたしは知ってしまったのですもの。情報の漏洩もとなどいまさら些細なこと。そうでしょう?」
もともと、血の繋がりのある伯母と姪である。
髪色も相まって、ふたりはよく似ている。それが同じような表情(どちらもいい笑顔)で睨み合っているが、どうやら分が悪いのは伯母、もとい、義母の方だった。
「お か あ さ ま。わたしへの縁談話がわたしに内密だった理由は?」
「だって」
「大公妃ともあろうお方が、『だって』だなんて拙い言い訳なさるなんて!」
「でも!」
「でも、じゃありません! 情けのうございますよ!」
「ろーずぅ……」
「子どもでもそんな情けない声出しません」
「たった1年よ! 1年にも満たないわ! まだそれだけしか一緒に居られないのにもう嫁がせるなんて、わたくしには無理! 鬼の所業よ!」
情けない声音で同情を誘っていたかと思えば、一転激情に身を任せ声を荒げる。義母は舞台女優になっても大成しそうだと、その身振り手振りを見ながらローズはこっそりと思う。
「嫁ぐと言っても……」
義娘溺愛のカメリアのことだから、できるだけ彼女の手元に置ける相手を選出するに違いない。ローズは自分の未来の結婚相手をそんな風に思い描いていたのだが、婚約の打診など一度も聞いたことがなかった。
「わたくしからアイリスを奪ったセントロメア! 憎いわ! 親も親なら子も子よ!」
「ん?」
(いま、お義母さまったら“セントロメア”と言ったわ。そして“親も親なら子も子”?)
それはつまり。
「アイリスの時は年頃の独身王子が居ないからと公爵家なんかに嫁がせて! 今度は王家だから良いだろう? なんて傲慢! なんたる傲岸不遜! 許すまじ!」
プンスカと怒るさまは、一周回って可愛くすら感じるのだが。
「おかあさま?」
「あぁ! 嫌よ、嫌ったら嫌よ。わたくしからアイリスを奪うだけでは飽き足らずローズまで奪おうだなんて、人のすることではないわっ!」
「わたし、てっきりこの国で婿をとっておかあさまのお傍にいるものだと思っていましたが」
「そうよね! そのとおりよっ! ローズはおかあさまのそばに居なさい!」
「そのおかあさまのお話を伺うに、縁談はセントロメアの王家から来たのですね?」
「あ」
『縁談』としか聞いていなかったローズには寝耳に水の情報である。
「あの国の王子には、既に婚約者が居るのでは?」
ガーネット公爵家が始末される事は数年前から既定路線だったはず。王子の婚約者など、早々に選出されるべき案件だ。
……そういえば、かの王子が婚姻したニュースはなかったが。
そう思いつつカメリアを睨み続ける。
根負けしたらしい義母は、渋々と口を開いた。
「それがね、セントロメアの王子は自分の婚約者は既に決まっていると言い張って新たな婚約者を選定しないまま、ここ5年間過ごしていたそうなの」
「5年間?」
リリーは?
逆算すると、学園に入学するより前から、王子はそう言っていたことになるのだが。
学園に入学してから知り合ったファティマは、王子の婚約者はガーネット公爵令嬢だと認識していたのだが。