86 恋する妖精の末路
『妖精というのは、気楽だの考えなしだのと言われておるがな。これはこれで難儀な生物なのだ』
森の中をうずうずと進む醜い妖精スプリガン。
そのあとについていくように僕もまた進む。
『基本的にはな、妖精は死なぬ。刃物で斬られようが鎚で叩き潰されようが、バラバラになったと思ったのは一瞬で、いつの間にやら復活しておる。己の死も、そして己自身すらまやかし、それが妖精』
スプリガンの外見はたしかにおぞましく醜いが、接していくほどにその内側からにじみ出てくる雰囲気に気づいた。
この気配は、別のところで覚えがある。
エフィリトの街の議長さんや、冒険者ギルドのアンパョーネン理事のような。
おじいちゃんの気配だ。
老いて若者とは別のような存在になりながらも、可愛い孫を見守るおじいちゃんの気配。
『わー、スプリガンのジジイだー!』
『遊ぼ遊ぼクソジジイー!』
木々の隙間から、小鳥のような蝶のような細かい生き物が飛んでくる。
それは小人、手のひらにすっぽり収まりそうな小さな、しかも七、八歳程度の子どもだった。
さらに背中から虫の翅が生えている。
これぞ妖精のもっともスタンダードな感じ。
そんな妖精が十匹ぐらい、スプリガンの巨体の周囲を飛び回って……。
『なー、クソジジイ遊ぼうぜー』
『ボール遊びしよー、アタシがボールなー』
『今日こそ、じそくひゃくごじゅっきろの壁に挑戦するぜー』
そんなしてまとわりつく妖精たちにスプリガンは動じることなく……。
『フェアリーどもよ、今は大人しくしておれ。じいは久方ぶりの客の持て成しをせねばならん』
『えー? きゃくー?』『ホントだ人間がいるー? 何百年ぶりー?』
ヤツらの興味がこっちに向いた!?
ああっと言う間に取り囲まれる。
『人間だー! にんげんのおきゃくさまー!』
『でも男だー』
『ホントだー、ピチピチの女の子がよかったー』
『まいくろびきにの女の子がよかったー』
なんかすみません。
『散らんかチビども。こやつは大事な客なのだ』
『ぶー、ケチジジイー』『死んじゃえジジイー』
フェアリーたちは不満げな表情をしながらも飛び去っていった。
使う言葉がシンプルに強いよな。
『フェアリーどもは深く考えずに喋るのでな。いちいち真に受けるでないぞ。妖精の言うことなど大抵が冗談かデタラメじゃ』
「さっき言ったことと似てますね」
『そう、妖精の言うこと為すこと。そして存在そのものもまやかし。しかし妖精にもただ一つの真実がある。何だと思う?』
「わかりません」
『愛じゃ』
存在すらも幻に近い妖精。
そんなあやふやに真実が生まれるとしたら他者との繋がりができた時。
たしかに存在する人間との繋がりは、彼らの存在そのものも確定させる作用も持つ。
血の繋がりを除けばもっとも人間同士の深いつながりが恋愛。
その恋愛で人と繋がった時、デタラメであやふやだった妖精は本物の存在になる。
『だから妖精を殺すのにもっとも簡単な方法は恋させることじゃ。そして裏切ればいい』
「確定したはずのものをウソにする。それだけで妖精は無へと還る。一旦存在を確定された妖精は、再びあやふやになることはできぬ。一度真実を知った妖精は、自分の存在そのものがウソであることに耐えきれぬのだ。そして無へと消え去ってしまう……」
聞けば聞くほど、虚しく悲しい存在であると思い知る妖精。
あれだけ幻想的に、美しく舞い飛びながら、その本質は恐ろしく儚いのだあとわかる。
「……でも、ちょと待ってください。その話が本当なら……?」
ブランセイウス様が愛した妖精は、心から愛し合い、そして裏切られたはずだ。
それは死ぬはずのない妖精を殺す条件を満たしている。
だったらあの御方の想い人はもうとっくに……?
『普通ならそうであろう。しかしながら二十年前のあの二人はいささか特殊な条件がいくつかあった。だから最悪の終末までは至らなかった』
「いくつかの条件ですか?」
『その一つは、人ずれなどに恋した愚かな妖精が、普通の妖精ではなかったことじゃ。妖精にも様々な種類があるのは、ワシやさっきのフェアリーどもを見ればわかっているじゃろう?』
「それは、まあ……」
『数ある妖精の中でも最高位、妖精女王と名高いティターニアこそ二十年前に愚かな恋心を抱いた妖精。この『木霊の森』の支配者にして、我ら妖精全員の代表でもある。それゆえに存在力は他の妖精より高く、なおも在り続けることができる』
「じゃあ、その人は今も……!?」
『条件付きではあるがな』
その時、森の奥へと進んでいくスプリガンの歩みが止まった。
『ちょうど着いたな。ここが終点じゃ』
「え? じゃあここに……!?」
ブランセイウス様と愛し合った相手……妖精女王ティターニアがおられるの?
「でもどこに……!?」
僕は周囲を見回す。
相変わらずの森の中で、あるのは木々ばかり。人らしきものどころか飛び交う小さなフェアリーの姿すら見当たらない。
変わったところと言えば精々、スプリガンに誘われたこの森の一角は意外にも開けていて、木々も生えぬ広場のような風情になっている。
地面には落ち葉が敷き詰められて、ただ一株、広場の中央と言っていい位置に見事な樹木が生えていた。
まるでここ一帯が、あの一本の樹のための空間であるかのような?
ある種の神々しさまであの樹木から感じる。
それはいいとして……!
「あの、妖精女王のティターニア様って御方はどこに……?」
『目の前におる』
ええー?
でも目の前にあるのは、実に不可思議な神々しさを持った樹木一本しか……?
「まさか……!?」
『そう、あの朽ち木こそ我らが美しき女王ティターニア様の慣れの果てじゃ』
複雑に入り組んだ表面の樹木の幹。
その凹凸の形は、よく目を凝らしてみたら女性の体のようであった。
「木に……変化している?」
『こうしてこの御方は自分の時を止めているのだ。一度恋を知ったこの御方は、再びあやふやな妖精に戻ることはできない。かといってより所の愛を失えば消滅してしまう』
だから、その体を樹木に変えてしまったと。
人から見れば永遠に近いほど長い時を生き続ける樹木。
それに成り果てることで消滅から身を守ろうと……?
『女王の樹木化には、ワシをはじめ多くの上位妖精が尽力した。女王はこの森の支配者にして森そのもの。この御方がいなくなれば森も消え去るかわからん。それゆえの苦肉の策であった』
樹木となることで、時を止められることで消滅を免れている。
つまりこの人は、ブランセイウス様と別離してからずっとこの姿で……。
「彼女を元に戻す方法はないんですか?」
『ない。少なくともワシらにはわからん』
あまりにもあっさり答えるスプリガン。
『それに万が一元に戻せる方法があるとしても、戻ったとてどうなる? 時が進み始めたらこの御方に待っているのは消滅のみ。愛を知り、愛を失ったこの御方は人にも妖精にもなれんハンパ者として消え去っていくしかないのじゃ』
それを教えるために、僕をここまで連れてきたということか。
これでは、ブランセイウス様の想いを伝えるどころではない。
二人は引き裂かれたまま永遠に巡り合うことはないというのか。
「醜き妖精スプリガンよ……、アナタはさっき言いましたよね、愛する者に裏切られて女王が存在を保てている理由はいくつかあると」
『うむ……』
その一つは、女王ゆえに他の妖精よりも遥かに強い存在の強さを持っていたということ。
それゆえにすぐには消滅することもなく、他の妖精たちの助力も間に合って体を樹に変えることができた。
「しかし他にも理由はあるんじゃないですか? いくつかあるというんなら」
他にも彼女を、こんな形ででも生き延びさせた理由はある。
二人の愛がウソだったなんて絶対にウソだ。
すれ違いはあった。迷いもあった。
それでも二人の間に互いを想い合う気持ちはあった。
本当に二人の間から愛情が失われ、心に何もなくなっていたらとっくに彼女も消えていた。
今なおブランセイウス様は想いを引きずり、彼女を心の中から消せないでいる。
その気持ちが彼女を現世に繋ぎとめているんじゃないか。
「でも……こんな形でいつまでもいるのは悲しすぎる」
思い合う二人には、もっと温かい日々と気持ちがあっていいはずだ。
「だから僕は、二人をもう一度引き合わせます」
そのためならば僕は何だってやろう。
我がスキルよ、今こそ進化する時だ。
彼女の時を止める戒めを消滅させる。
そして妖精の女王よ。みずからに注がれる真実の愛を信じろ。
真実の愛って言うのも恥ずかしいけどさ!!




