84 お節介クエスト
『木霊の森』には妖精が住むという。
モンスターでもなければ神の使いでもない、あらゆる系統から外れた不思議な生き物を大聖教会は悪魔と呼び、討伐対象の一つに定めた。
派遣された勇者は当時最強の呼び声も高かったブランセイウス。
これまで悪魔、異教徒との戦いで一度の敗北もない彼は、その任務も簡単に成し遂げるだろうと皆から思われていた。
何しろ妖精には人を惑わす不思議な術が使えるというだけで、戦闘能力はあまりないと言われていた。
そんな弱小種に勇者が負けるはずがない、と。
命令に従い『木霊の森』に踏み込んだブランセイウス。
そんな彼を待っていたのは、人生最初で最後の心ときめく出会いだった。
妖精を討伐せんと森に入ったがすぐさま道に迷う。パートナーの聖女や部下たちともはぐれ一人森の中を彷徨ったという。
そして辿りついた泉には、水浴び中の絶世の美少女がいた。
当時勇者でもあり、童貞真っ盛りの十代青年に過ぎなかったブランセイウスは、水に浮かぶ美女の裸体を一目見ただけで心奪われたという。
ブランセイウスと同年代と思わしき美少女は、すぐさま彼と打ち解けた。
共に野を駆け、花畑に寝転ぶ。
ブランセイウスは禍々しい任務のことも忘れ少女と珠玉の日々を過ごしたという。
それは勇者の聖務などというものに青春を塗りつぶされた青年にとって、あまりにも色鮮やかに満ちすぎた日々。
すっかり夢見心地となったブランセイウスは、惚れた少女を妃に娶ろうと決める。
しかしその決定に当然異を唱える者がいた。
大聖教会の者たちだ。
いずれは最強勇者ブランセイウスを王座へ送り、パートナーの聖女を妃とさせて権力の中枢に据えようという聖職者たち。
そんな連中にとって瑞々しい青年勇者の初恋相手など邪魔者でしかなかった。
しかも聖職者たちには確信があった。
この妖精たちの蔓延る『木霊の森』にて出会うモノが妖精以外にいるはずがない。
その少女も妖精に違いない。
人を惑わすのが何より得意で何より大好きなのが妖精だ。
勇者様も妖精の罠にかかり、心を惑わされて恋する幻覚を見せられたのだと。
そう言われてショックを受けるブランセイウス。
人生の半ばを乗り越えてきた名宰相ならともかく、当時のブランセイウスは人の心の機微もわからぬ猪突猛進の若僧でしかなかった。
大聖教会の言われるままに他者の土地を侵略し、罪なき神を悪魔と決めつけ屠ることにも何の疑いも持たなかった。
だから聖職者たちの語る世迷言にもまったく疑わずに乗ってしまった。
何故なら勇者ブランセイウスにとってこれまで大聖教会の声だけが真実だったから。
勇者は、自分を惑わした妖精を裁くため、剣を抜いた。
その剣を振り下ろす寸前、少女は寂しげに微笑み、そして消え去った。
以来『木霊の森』もあとかたなく消え去り、そのあとには似ても似つかぬ草原が広がるだけになった。
妖精もどこにもおらず、大聖教会の発した討伐任務は中断されたという。
◆
昔の出来事を語るブランセイウス様は、懺悔する罪人のようだった。
一通りのことを語り終えて、深く長い溜息を吐く。
「……それをきっかけに私は勇者の責務を放棄し、王宮へと戻った。許可を得て国政に携わり、勇者の時には学べなかった様々な知識や経験を学んだ。それで得た結論は、大聖教会の言うことはウソばかりだった、ということだ」
その頃には勇者の称号も正式に放棄し、一王族として活動するようになっていた。
「私が勇者として戦ったあとには、その地で平和に過ごしていた人々を奴隷のように扱い、悪魔と呼んだ神々からは聖具や聖獣を奪い取って自分たちのものとする大聖教会の悪辣な所業しかなかった。彼らの行動の理由は、彼ら自身の身勝手な欲望しかなかったのだ……!」
それを知り同時に、自分自身こそそんな大聖教会に担がれて不幸を振り撒いてきた大罪人であることに気づく。
希望と自信に満ち溢れた若者の心が死んだ瞬間だった。
「それからの人生はすべて贖罪のために使ってきた。早々に王籍から抜けて王位継承権を破棄し、兄の教会嫌いを利用して徹底的に彼らの邪魔をした。彼らが植民地扱いしてきた土地を王家の名で没収し、その土地土地に住む人々を教会の圧政から解放した。ほとんど奴隷解放のようなものだった。主権を現地住民に戻し、生活が立ち直るまでの援助を惜しまず行った。教会の者どもが強奪していった聖具や聖獣を返してやることは叶わなかったが……!」
そこまで一息にいって、ブランセイウス様の顔に微笑みが浮かぶ。
しかしそれは自分自身に失望しきったかのような自嘲の笑みだった。
「そんなこんなをしているうちに私の為政が的確だなどと言われるようになり、いつの間にか宰相の座についていた。……まあ私の目的のためには宰相級の権力は必要だったがね。私の目的……つまりは贖罪だ」
教会に言われるままに滅ぼしてきた人々や神へ償いのために。
「だから私は、人から名宰相と呼ばれるような上等な人間なのではないのだよ。許されることのない罪人。こんな私が王になるなどとても恐れ多い。許されないことだ」
「ブランセイウス様は、まだ自分が許されてないと思っているんですね」
「そうだね。何をもって許されるのか、自分でもわからない。ただもし、許されたと自信をもって言える日が来るとしたら……。それは再び彼女に会える日なのかもしれない」
ブランセイウス様のすべてが変わったきっかけ。
妖精の森で出会った美女に。
「その……『木霊の森』には?」
「あれから折に触れては何度か訪れた。未練がましいことにね。しかし森があるべき場所には今では広大な平野が広がり、何もない」
様々な学者魔術師に尋ねて情報を集めた結果、妖精たちは自分の棲み処ごと別次元へ去ってしまったのではないか、という。
妖精は半ば神に近い生命体。
かつてこの地上にいた神が諸事情の末に去っていったように、妖精たちもこの世界に用はないと判断したのだろう。
「そう判断させたのは私なのだがな。私が妖精たちを失望させたのだ。あれほど深く愛していながら、欲塗れの連中を疑いもせずに剣を向けた。彼女の愛を裏切った私に、二度と彼女に顔向けする資格はないのだ」
それ以来、ブランセイウス様は自分から女性を遠ざけている。
勇者でなくなっても王子でなくなっても、これだけ有能で徳のある人なんだからいい話はいくらでも舞い込んできただろう。
それもすべて断ってしまうほど、今も未練を捨てきれないんだ。
「わかっているんだ。私より邪悪なのはみずからの欲望を振り撒いて何も恥じることのない大聖教会。ヤツらの暴走を止めるためにもっともよいのは私が王位につき、その権力でもってヤツらに対抗すること。しかしそのためにいまだ抱える未練も捨てきれないまま、愛することのできない女性を妻に迎えることなどできないとね」
「……わかりました」
この人の想いは今、僕が余すことなく受け止めた。
そうしたらあとすることは一つ。
「僕が行ってきます。その『木霊の森』というところへ。そしてブランセイウス様が恋したという女妖精に、アナタの妻になるよう頼んでみます」
「はい!?」
本当なら他人の恋路に踏み込むなんてのは野暮なんだろうけど、相手が王様になろうという重要人物で、その行動に多くの人々の運命が左右されるなら、僕だってお節介しないわけにはいかない。
「大丈夫です。これこそS級冒険者の腕の見せ所ですよ! 見えないものを見つけ出すことはね! 必ずブランセイウス様のン十年越しの未練を解消してみせますんで、大船に乗ったつもりでいてください!!」
「ちょっと待ちなさいエピクくん!? そんなことをいきなり……!? いやキミが介入したとしてどうなるものでも……!?」
まあ一応冒険者はクエストでしか動かないので、あとでギルドに正式なクエスト発注をよろしくお願いします!
やるべきことがわかったら、あとは走り出すのみ!
その方が冒険者らしいしね!
◆
そうしてやってきました。
幻惑の異域『木霊の森』。
まあ現地はただの野原なんだけども。
妖精のまやかしが消え去れば、妖精の棲み処である森ごとどこぞの異界へと旅立ってしまう。
空間の線を越えてしまうんだ。
この世界には、そこか思わぬところに線が引いてあって、そこを越えてしまうと別の異相へと移ってしまう。
そんな線を見つけるのがもっとも上手い種族こそ妖精であるという。
妖精たちは自分が去ったあと、得意の惑乱を仕掛けて線を見えにくくしてしまう。
ただでさえ見つけにくい線を隠されてしまったら他種族にはもうお手上げだ。
消え去った妖精を追っていくことなどとても不可能だろう。
ただ僕は……。
「……ここか」
何となくわかった。
ここだ。ここに異相を隔てる線がある。
見つけはしたものの、まだ妖精たちの惑わしがかかっているためまたぐことはできない。
ここで僕の『消滅』スキルの出番だ。
たとえ妖精たちによる一流の幻惑だろうと、僕のスキルにかかれば消し去れる。
「……よし」
惑わしの消え去った目の前で、次元を隔てる線がまた克明に浮かび上がる。
ここを踏み越えたらまったくの異次元。
恐らく妖精たちの暮らす領域に踏み込めるはずだ。
そこにブランセイウス様の想い人がいるのを信じて。
いざ飛び込もう、妖精の領域へ。




