82 大毒婦現る
「ブランセイウス様は、ご自分のことがお嫌いですか?」
慎重に言葉を選んで言う。
「……そうだな。少なくとも世間で言われるような大した男ではないと自分ながらに思うよ」
「僕もそうでした」
自分自身のことを顧みる。
『消滅』スキルを持ちながら、何かを消すことしかできず何の応用もできない。
ただの役立たずだと自分のことを思っていた。
そんな過去の自分と、みずからに失望しているブランセイウス様が重なる。
「でもそんな考えを改めさせてくれる人がいました。僕の能力に価値を見出してくれて、肯定してくれる人が。その人たちのためになるなら頑張って自分の力を使っていこうと思うんです」
「その想いがS級冒険者を育て上げたというわけか。エピクくんは人との出会いに恵まれたのだな」
「はい、今の僕があるのは、その人たちとの出会いがあったからだと思います」
スェルの励ましが僕の存在を肯定し、その父親である薬師協会長さんが僕の価値を伸ばすように導いてくれた。
「ある人が教えてくれました。力ある人間は、それに見合った行動をしなければ却って世の中の迷惑になる。強者は常に自分の振舞いを慎重に考えていかなければいけないって」
「正しい言葉だ。エピクくんはよい師を持っているようだな」
「はい、父親のような人です」
実際義理の父に当たることになる人だしなあ。
「たしかに、力ある者に人々からの期待が寄せられるのは自然の流れだ。腕力、知力、権力、財力……、力の種類は違っても力そのものがあれば、そこに人は自然と集まってくる。しかしねエピクくん、そこに集まるのは純粋な慕いの感情だけじゃない。もっと不純なものも寄り付いてくることもある」
「それは……?」
「強いヤツは利用してやろう、そんなことを思う者もいるということだ。私はそんな連中にほとほと疲れ果てたんだよ……」
ブランセイウス様からもっと話を聞こうとした時だった。
僕たちが向かい合っている談話室のドアが、外側からコンコン鳴らされる。
そして返事も待たずに開かれた。
「失礼いたします宰相閣下」
入ってきたのは、いかにも役人っぽい人。
「なんだ? 今私は彼と話してる最中だ。用件はすべて止めておけと言っておいたはずだが?」
ブランセイウス様が言う。
王位継承云々の話を置くとしても宰相様だから、色んな報告が来るのも当然なんだろうけど。
彼はあからさまに嫌そうで、苛立たしさを隠そうともしなかった。
「ご歓談中に申し訳ありません。ですが火急の用件につき、一刻も早くお伝えしなければと」
「彼との会話は、久々に私の心の安らぐ気晴らしだったのだ。それを中断しなければいけない火急の要件とは何だ? またドラゴンが襲来したぐらいの大事だろうな?」
「いえ、それが……」
役人ぽい人は、宰相のあまりの苛立ちっぷりに戸惑いの模様。
「……大聖女様が興しになっています。宰相閣下への面会を求めて……!」
「それのどこが火急だッ!!」
初めて聞く、ブランセイウス様の荒げた声。
……大聖女?
「彼女には会わないと前々から言っているはずだ! それを無視して、しかも大事な客と話している途中に割って入るなど! 下がれ! 私がいいと言うまで誰も近づくな!」
「では、大聖女様とはいつご面会を?」
「お前は私の話を聞いていないのか!? 大聖女とは会わない、さっさと帰らせろ! 居座るようなら兵を使って叩き出せ!」
いつもの温厚なブランセイウス様とは思えない激しい言葉遣いだった。
彼にそこまで言わせる、この役人さんが持ってきた用件とは……?
そして大聖女というのは?
「あらあら、随分な口ぶりですわねブランセイウス様? 未来の王がそのような狭量ではいけませんわよ?」
半開きの扉の向こうから聞こえてくる女性の声。
その扉を全開にして入室してくる女性は、……聖女?
もちろん聖女ヒサリーヌのことではない。
彼女はもう聖女の座を追われて国土の端っこで新婚生活を満喫中のはず。
新たに出てきたこの女性は、かつてヒサリーヌを髣髴とさせる真っ新な衣装を着ていた。
清浄で純白。
あまりにも完璧すぎて嘘くさいほどに。
年代はヒサリーヌより上っぽい。
四十歳前後くらい?
しかしそのお陰で宿っている大人の魅力みたいなものが、ますます奥深さみたいなものを添えて、この女性から圧倒的な感じに仕立て上げていた。
そんな女性に対してブランセイウス様は嫌悪感を剥き出しにしていた。
ただならぬ。
「イリエリヒルト……。許可もなくこの私の前に現れるとは大聖教会は礼儀もなってないな?」
「だってそうしなければアナタが会ってくれないのですもの。未来の妻に対してあまりにもつれない態度ではありませんか?」
妻ッ!?
なんだかとんでもなく面倒な厄介事が目の前で繰り広げられている!?
巻き込まれる直前という予想が!?
「まずは寿ぎを申し上げますわブランセイウス様。このたびの国王への即位おめでとうございます」
「勝手なことを言うな。私は即位しない」
「そのような我がままは許されないとアナタ自身が一番ご存じのはずでしょう。前王が急逝し、その王子まで廃嫡となった以上、正統な王家の血を継ぐのはアナタしかおりません。二十年前にあるべきだった正しい流れを取り戻す。それが皆の幸せになれる道だとおわかりになりませんか?」
「権力欲に塗れた俗物どもの幸せなど知らんな」
よくわからんが、敵意でバチバチになっている!?
元からいた僕おいてきぼり!?
「……我々大聖教会も、このような状況となり大変戸惑っています。前王様がお亡くなりになっても、現勇者を務めるタングセンクス王子が即位なされればこの国も安泰だと思っておりましたのに」
「自分たちに都合のいい王で安心安全と思っていたのだろうが、残念だったな期待通りにならずに。これで大聖教会の天下再来が遠のいたというわけだ」
「天下などと……、我ら大聖教会は、常に神の尊い教えが満たされることを願うのみですわ」
笑顔がまた空々しい。
「だったら聖堂にこもって祈りを捧げていろ。ここ王城に神の用事はない」
「我ら大聖教会も大きな組織なので、お国に対する義務もありますわ。その義務を果たすために、こうして罷りこしたのです」
義務。
「前王とその王子が消えた今、王座は再びブランセイウス様を求めております。我ら大聖教会は、この仕儀を大いに歓迎し、ブランセイウス様を新たな王としてお認め致します」
「どうしてお前たちに認めてもらわなければならない?」
「つきましては、新たな王には新たな王妃が必要となりましょう。その務めを果たすため、この大聖女イリエリヒルトこうして馳せ参じてございます」
はい?
大聖女と名乗るこの淑女、わざとらしく跪いて言う。
「一度は消え去った縁と思い、この人生すべてを神に捧げる誓いを立て大聖女に就任しました。しかしながらやはりアナタとの縁は切ろうとしても断ち切れないものですのね。こうなった以上は大聖女の位は返還して王妃として、国と神に尽くしたく存じますわ」
「勝手なことを抜かすな、この悪女め」
しかしブランセイウス様はバッサリ切り捨てる。
「自分たちに都合のいいことばかりを、自分たちの都合のいい理屈で飾り立ておって。私は王位にはつかない、その資格をずっと昔に放棄した身だ」
「たしかにアナタは王籍を返上して臣下となられました。しかし正統な後継者が次々儚くなったからには過去にさかのぼり資格ある人を選び直すしかないのでは? 特例は認められるはずです」
「再び王籍に戻れるとしても私の意志で固辞するのみ。それにお前などと結婚するというのもありえない。私はもう誰とも愛し合わぬと心に誓ったのだ」
「そんなつれないことを仰らないで。かつては二人一緒に、いくつもの聖戦を乗り越えてきた私たちではないですか……?」
大聖女は馴れ馴れしく言う。
その言葉に僕は気づくことがあった。
先ほど言っていた。ブランセイウス様もかつては勇者だったと。
そして勇者には必ず聖女のサポートがつくものだったという。もしや……。
「ブランセイウス様が勇者だった時サポートしていた聖女が、この人?」
「ぐ……?」
いかん思わず口を挟んでしまった。
ブランセイウス様はいかにも気まずそうに……。
「エピクくんの推察通りだよ。私の勇者時代、この女が私の制御役として手綱を握っていた。ヒサリーヌとかいう聖女がタングセンクスを操っていたようにな。ゆくゆくは王妃となって国政を壟断するつもりでいたようだが、私が王籍を返上することでその野望は阻止されたのだ」
「いやですわブランセイウス様、そのような意地悪な言い方をされては……」
「事実だろう? 勇者から見捨てられ失脚するかと思いきや、まさか独力で聖女より上の大聖女までのし上がるとは。大したしぶとさだ」
「ひたむきに神に仕えてきた結果ですわ」
皮肉と嫌味がバチバチになっている。
「ブランセイウス様、人には役割というものがございます。いかにアナタがご自分の運命を受け入れられなくても、アナタは生まれ持った血統に従って王になるしかない。そして王となったからには妃を迎え、お世継ぎを残すのが放棄できない義務なのです」
「……」
「そしてアナタのお子を生む役割はこの私以外に務まりません。一日も早く私を迎え、夫婦仲睦まじくこの国を治めていくことを宣言なさいますよう」
「断固拒否する」
ブランセイウス様の即答にも、張り付いた笑顔を崩さない聖女。
「お前の魂胆はわかっている。タングセンクスを傀儡にする当初の計画が崩れて、慌てて標的を私に変えた。あのヒサリーヌとかいう聖女はお前の親類であったそうだな。お前の実家の分家の出だとか。大聖教会でもお前の取り巻きの一人だったのだろう?」
「彼女の暴走には我々も驚かされました。彼女を監督する者として深くお詫びいたしますわ」
「そこにいるエピクくんからの証言でな。恐るべき山の主メドゥーサは我が兄に呪いを掛けていないそうだ。愚にもつかぬ放言で呪いを放つほど彼女も暇ではないと」
その言葉でついに、張り付いた微笑が引きつる大聖女。
「大聖教会を毛嫌いする国王が死んで、もっとも高笑いする神はいずこにおられるか。興味深いことだな」
「嫌ですわ。辺境に住まう大邪悪の言うことを信じなさるなど、王としてあるまじき軽率さですわよ」
「だったら私は王の資格がないということでいいかな?」
さすがブランセイウス様も一歩も引かない。
賢人と謳われた名宰相の論陣に、大聖女も簡単には突き崩せない。




