81 暗君の陰徳
「やはりと思っていたが……皮肉だな。当たってほしくない不安ほどよく当たる」
ブランセイウス様は、腹の底に溜まりきった空気を丸々出し尽くすような深いため息を吐いた。
心から疲れ切ったような表情だった。
「エピクくん。私には国王陛下が……兄が、誰に殺されたかおおよそ見当はついている。疑惑程度だったが、キミの情報で確信に変わった」
「それは……?」
「犯人は大聖教会だ」
そこでまたその名が出てくるのか。
この国の信仰を担う大組織。しかしその正体が胡散臭げなのはこれまでで充分わかってきている。
メドゥーサ様の呪いによるものと思われた国王の変死までヤツらが関わっていたのか。
しかし何故、神の使いが国王を殺すんだ?
そんなことをして得があるとは思えないし、むしろ国内最高権力者である王家を敵に回すリスク満載だと思うんだが?
「……そうだな、エピクくんには知ってもらった方がよいかもしれぬ。ここ最近の大聖教会の目論見を打ち破ってきたのはキミなのだから」
何かよくわからぬ得心の下にブランセイウス様は訥々と話し始める。
「先日キミのおかげで失脚したタングセンクスは、勇者であるとともに王子だった。知ってるね?」
「それはもう……」
そのお陰で事態は、様々面倒になったんですから。
あのとっちゃん坊やが勇者なだけであっても王子様なだけであっても、あそこまでややこしい事態にはならなかっただろう。
「彼は、この国のあとを継ぐべき王子でありながら、勇者の称号をも得た。天は彼に二物を与えた。快挙だ。と思うかね?」
「いや、まあ……?」
「実はそれはけっして凄いことではないのだよ。もうここ百年以上、勇者は王子から選び出されるようになっている。慣例化しているんだ」
「やっぱり?」
だと思いました。
あのタングセンクス元王子様は、最初こそ颯爽としていたが事態が進んで実力を示すべき状況になるにつれて馬脚を現してきたものだ。
正直あんなヘタレがどうして勇者に選ばれたか甚だ疑問だった。
慣例と言われたらそれはそれで納得できる。
「大聖教会は、王家との繋がりを重視してるんだよ。この国での最高権力に取り入ろうとね。後世を担う王子に、勇者の称号を与えて持ち上げる。その補佐という名目で聖女を当てがい、ゆくゆくは嫁入りさせる。さすれば勇者が引退し王になるとともに聖女は自動的に王妃となる」
わかりやすい婚姻による権力強化の構図だった。
王妃が元々教会出身の聖女であるなら、結婚後王家と密接なつながりの出来る大聖教会は権力振るいたい放題だろう。
そうしてどんな我がままでも押し通せるようになる。
「王家側も、信仰を取り込めるのはけっして悪いことじゃない。互いの利害は一致し、『教会は王子に勇者を』『王家は聖女に王妃を』。その称号の与え合いは随分長く続けられてきた」
「その余波が、あの弾圧だというのですか?」
僕は知っている。
そうして結成された勇者聖女コンビが、国内の端々もしくは国外でどんな傍若無人を働いているか。
大聖教会の権威を高めるためか知らないが、その土地土地の人々の素朴なる信仰をぶち壊し、自分勝手に悪となじって独りよがりの正義を押し付けてくる。
はた迷惑以外の何者でもない。
「その通りだ。そんな愚かなことをしてきたかと思うと、本当に今でも自分が情けないよ……」
「え? 何故です?」
今のはタングセンクスや元聖女ヒサリーヌの話をしたのでああって、別にアナタのことでは……?
「エピクくんも聞いているだろう? 私も元々は王族だ、亡くなった国王の弟に当たり、今では王籍を返上して臣下となっているが、王位継承権を保有していた時期もある」
「まさか……!?」
「そう、私もかつては勇者だったのだ。もう二十年近くも前のことになるがね」
ブランセイウス様が元勇者……!?
なんだろう、言われた瞬間メチャクチャ腑に落ちたんだが?
「死んだ国王……兄と私は四歳違い。普通なら勇者に選ばれるのは兄の方だったが、それでも教会は私に勇者の称号を与えた。私の方が優れていて、次期国王として見栄えが良かったからだろうな」
勇者の称号を得るのは、次期国王として認められるも同義。
勇者を補佐する聖女がいずれ王妃となる密約があるのなら、その段取りも納得できる。
しかしその不文律は見方を変えれば、王位継承権持ちの中から教会が自由に次の王様を指名できる……ってことでもある。
益々肥大化する教会の権力に身震いする。
「当時の私は得意満面であったよ。自分の能力に自信を持っていたし傲慢にもなっていた。『勇者に選ばれた自分は特別なのだ』『第二王子でも王になる資格はある』そのように恥知らずにも思っていた……」
とは言っても、そう思い上がるだけの資格がブランセイウス様にはあったはずだ。
それだけの実力があるのだから。
傲慢はたしかに大罪だが、実力という裏打ちによって少しは罪を軽減することだってできる。
人は、持ってる能力の分だけ傲慢になってもいいのだろう。その見極めがいつだって難しいんだが。
「私は自分の価値も見極めできない大バカ者だ。少ない才覚で思い上がり、たくさんの人々に迷惑をかけた。自分の愚かさ小ささに気づいたことが、私の勇者時代の数少ない収穫だ」
誰もが賢人と認めるブランセイウス様から漏れる自己否定の言葉。
きっと言葉では言い表せないほどの出来事が、お若い頃にあったのかと思われる。
「私は自分の愚かさに気づいてすぐ勇者の位を返上し、王位継承権も破棄した。そうなれば王位は自然兄上のものとなる。ある意味当然の話だ、王位は長子継承が原則なのだから」
自分の兄を国王とし、自分自身は家臣として兄王を支える。
一時は玉座に手をかけたはずの英才が選んだ形が、それ。
「王となった兄は、大聖教会を毛嫌いしたよ。当然だ、自分を勇者に選ばなかったのだから。プライドを傷つけられたのは無論、今の習慣からいえば勇者に選ばれなかった王族は、王にもなることはできない。兄は、長男でありながら王位を取り上げられるところだったのだ、教会のせいで」
あの直情的な王様が、その一件で大聖教会に恨みを持つのも仕方がないかなあとも思った。
「だからこそ兄上の治世で、大聖教会はいささか苦しい立場にあったのだよ。兄上は、大聖教会へできる嫌がらせは何でもやったし、お陰で彼らの布教は思うように進まず、王城に勤める官吏の中で教会の息がかかった者は随分少なくなった。お陰でこの国の政教分離はとても芳しく進んだ。暗君と呼ばれることの多かった兄だが、その点だけは評価されるべきだと私は思っている」
でもそれって動機100%私怨ですよね?
……とは言えなかった。
しかし意外だなと思えた。
僕から見た感じやりたい放題としか思えなかった大聖教会が、ここ最近はむしろ苦しい立場にあったなんて。
王という最高権力者から睨まれ、むしろ思うように振舞えなかった。
だとしたらもしも好き勝手に振舞えて、全力でやりたい放題していたらどれほどの被害になってたのか?
僕たちの住むエフィリトの街も、地母神デメテールを信仰するエレシスの地も、今ごろブッ壊されていたかわからない。
それを阻止してくれたあの王様は、僕らの護り手だったのかもしれないな。
私怨でも。
「だからこそ教会にとって、兄上は一刻も早く消え去ってほしい国王だったろう。どんなに教会を毛嫌いする兄上でも、古くよりの慣習に則って自分の長男を勇者にすることは阻止できなかった」
「タングセンクスのことですね?」
「そう、勇者として取り込まれ、聖女を当てがわれたタングセンクスが王位につけば教会は再び隆盛を迎えられる。だからこそ兄には一刻も早く死んでほしかったはずだ。兄が死んでもっとも嬉しい者たちこそ大聖教会に他ならないのだよ」
その王様が亡くなった。
突如怪奇なる異様な最後で。
犯罪は、犯人が得をするために行われる。
そんな言葉を言ったのは……薬師協会長さんだったかな?
「兄上が突如異様な死に方をして、祟りだ呪いだなどと大いに騒がれた。思えばあの騒がれ方も異様だったな。どこか作為的なものを感じた。国王殺しの罪を誰かに丸被せしようという……」
「……」
「いくら国教を担う大宗派であろうと、国王を殺したとなれば無傷ではいられない。批判どころか罪に問われることもあるだろう。たとえそれが神の下した天罰であったとしても」
「ちょっと待ってください? それって……!?」
「ありえるだろう。ヤツらが崇め讃えているのは神なのだ。天罰祟りの類を落とせないとでも?」
ブランセイウス様に言われて一瞬頭が固まったが、すぐに腑に落ちて思考が戻った。
あの言葉をもう一度。
犯罪は、犯人が得をするために行われる。
そして大聖教会が崇める大聖神とやらも、神と名乗るからには祟りの一つや二つ起こせるのではないか?
そして小賢しいことに、その罪をメドゥーサ様に擦り付けて。
王様がメドゥーサ様への不敬を口にした絶好のタイミングを狙い……!?
「そうして大聖教会は、自分たちへのリスクを最小限にして邪魔者を排除できた。それをテコに『古き神』とも謳われる女神にして魔女メドゥーサを討伐する口実まで手に入る。なんとも上手い手口だな」
「本当にできるんですかそんなこと?」
「随分と浄化は進んできたが、王城内にはまだまだ教会の手先が入り込んでいる。タングセンクスが勇者に選ばれて盛り返していたぐらいだ。そういう者たちから王の言動が大聖教会側に伝わったとしても不思議じゃない」
だから安心して王を殺すことができた?
しかし……。
「教会にも誤算はあった。キミだエピクくん」
「僕ですか?」
「キミの活躍でタングセンクスが失脚したのでね。ヤツらの作戦は、勇者であるタングセンクスが王位を継ぐことで大団円を迎える予定だったのだから」
そうだな。
勇者に選ばれた王子様は、もはや大聖教会の操り人形も同然。
聖女まで妻に迎える予定だったタングセンクスを王様に据えてこそ、再び大聖教会が何だってできるフィーバーな時代が訪れていたはずだった。
でもタングセンクスは王位継承者ではなくなってしまった。
僕が色々したおかげで。
「僕……知らないうちに随分活躍してたんですね……!?」
「おかげで私は、もう巡ってくるはずもなかった王位のお鉢を受け取ることになってしまったのだがね」
ブランセイウス様は苦笑げに言った。
そうか、ブランセイウス様は王様なんかになりたくなかったのだもんな。
でも何故?
ブランセイウス様もかつては勇者で、王様になるコースに乗っていた。
そのことと何か関係があるのか?




