45 饕餮の悪食
竜、恐ろしい。
初めて対峙してわかった、ドラゴンという存在があらゆる生命を越えて究極だということが。
地上にも何種類かのドラゴンが跋扈し、時に人と領域を争って冒険者に討伐されたりもする。
しかしそれは自然界に繁殖する、あくまで種族の一つとしての竜であって、古代竜エンシェントドラゴンはそれらと一線を画する存在。
それ一個の存在が神にも匹敵する。
巨大にして豪壮。
それを目の前にして矮小な人間が平静でいられるはずがない。
まず新人のアレオくんとエリーさんカップルが衝撃のあまりに腰を抜かした。
「あわわわわわわわわわわわ……ッ!?」
「逃げなきゃ、逃げなきゃ、でも足が動かない……!?」
恐怖で腰砕けとなった彼らは、戦闘になったら役立つまい。
だからできる限りは穏便に済ませたい。
『ただの人間風情が、どうやってここまで辿りついた?』
対して巨大なるドラゴンは、不法侵入に苛立ちながらも僕らのことを注意深く見つめる。
『女神に施させた封印すら突破してくるとは……。これまでも調子に乗った人間が幾人も深層まで踏み入ってきたが、誰もがアレを突破できずにスゴスゴ引き下がったというのに……』
「封印の解きかたはママから教わりました。偉大なる地下世界の支配者アンダーグラウンドドラゴンよ、アナタにお願いがあります」
あの巨大すぎる超生物に、物怖じすることなく向かい合う。
スェルのここ最近の肝っ玉の太さに感嘆する。女神の娘としての貫禄が出てきてないか。
「アナタの血を分けてください。死に瀕した人々を治すためにどうしても必要なのです」
『偉大なる我に血を流せというか? しかも小バエのごとくいくらでも湧いてくる人間の、その一匹二匹を救わんがために? 不遜極まる、それこそ道理を弁えぬというものよ』
グワッという擬音が聞こえてくるかのような勢いだった。
竜が、殺気をむき出しにして威嚇してきた。
とはいえ咆哮も上げずただ一睨みしただけ。それだけでも人間には許容量を超えた気迫の強さで、僕らの隣でアレオくんとエリーさんが泡を噴いて失神した。
……ゴメンね、こんな可哀想な目に遭うなら連れてくるんじゃなかった。
「アンダーグラウンドドラゴンは、こちらの望みを聞き入れてはくれなさそうです」
「平和的に解決できればよかったんだけどなあ」
となればあとはどうしたものか?
やはり戦って奪い取るしかないのか?
「それならむしろ好都合だ!!」
「あッ?」
僕らを横切り、飛び出していく人影。
A級冒険者のビリリュートさんではないか。
アレオくんたちが耐えられなかった殺気の中でも、しっかり意識を保っているのはさすがA級というべきか。
しかしやろうとしていることは……!?
「新人のお前たちは、そこで身を守ることだけに集中していろ! 古代竜を倒す功績は、このA級冒険者ビリリュートが貰った!!」
「また手柄に執着してッ!?」
彼にとってはまさに計画通りなんだろうが……。
なんか釈然としないなッ。
『愚かな人間を久々に見たな』
みずからに立ちはだかるビリリュートさんを前に、地下の帝竜は鼻で笑った。
『百年ほど前にはそうした愚か者が掃いて捨てるほどにいたがな。何度焼き払っても次々やってくるので、あまりにも煩わしくて女神に頼み、最下層への道を封じてもらった』
僕らを前に目を細める竜。
『あの喧騒を懐かしいとも思ったが、やはり煩わしいのは嫌だな。封印が解かれたのなら是非もなし。一度地上へと上がり、人の集落を消し去ってくれようか』
「そんなことはさせん! お前はここで倒されるんだ!!」
果敢にもドラゴンへ一直線に突進するビリリュートさん!?
正気か? あんな正面から突っ込んで、返り討ちに遭うのがオチだぞ?
『突貫しか能がないのも百年前と変わらんな。人間とはそんなに学ばぬ生き物であったか』
竜、明らかに攻撃の予備動作と思われる、息の一吸いをし……。
『ならば百年前と同様の結末を与えてやろう。燃え尽きろ!!』
吐気と一緒に放たれる火炎。
これがドラゴンの持つという地上最強の攻撃能力ブレスか。
呼吸と一緒に吹き出される火炎や氷雪。
口からそんなもの吐ける生物なんてドラゴン以外にいない。
その火炎の凄まじさは、人間の数十人すっぽりと飲み込んで消し炭にできそうだった。
そんなのをまともに浴びたらA級冒険者だって一巻の終わり。
……と思われた時……。
「そんなものでオレを倒せるか! 見るがいい! オレをA級にまでの仕上げたユニークスキル……『貪呑』!!」
おおッ?
ビリリュートさんが炎に向かって手をかざす。
すると、あの大火事にも似た猛炎が、その手に吸い込まれていくではないか!?
まるで水でも飲むかのように、すべての炎が吸い込まれて消えてしまった。
それだけでも驚くべき現象なのに、変化はそれだけにとどまらず、炎を吸い込んだビリリュートさんの腕は真っ赤に輝き……。
「ここまで大量の力を取り込んだのも初めてだ! 今すぐ放出してやるぞ! 吸収からの解放パンチ!!」
『ぬぅッ?』
ドラゴンの腹へと叩き込まれる拳。
驚くべきことに、それでもって竜はよろけ二、三歩後退した。
人のパンチが竜に効いたってこと?
『なるほど、我は我が力によって脅かされたか。人の持つスキルは面白い効果を発揮する』
「さすが古代竜よくぞ見抜いた! オレのスキル『貪呑』はあらゆるものを体内に吸収し、エネルギーに変える究極技だ! 今は防御も兼ねて炎を吸い取ったが、吸収できるのは無形物だけじゃないぞ! モノも、生き物だって飲み込んで消化できる! 我がスキルは悪食だからな!!」
『貴様ら矮小な人間に、この竜を脅かす力などとても備えようがない。故に人間に竜を倒すことなどできない。その問題を、敵の力を利用することによって解決するとはな……!』
一局面ながらしてやられたことに、竜は却って感心を覚えたようだ。
嬉しそうに目が細くなり……。
『百年ぶりの無礼者は、それなりに楽しませてくれるようだな。その褒美だ、自慢のスキルを正面から叩き潰してやろう!!』
「ほざけ! オレのスキルは無敵だ! なんてったってユニークなんだからな!!」
ユニークスキル。
クラス適性で得られる通常のスキルとは違い、完全に生まれに才能によって授かるスキルだという。
非常に希少で、それだけに効果も強い。
ユニークスキルを生まれ持ったら、上位冒険者になることはほぼ確実。
最上位のS級となるにはユニークスキル持ちが条件だとか、ホントかウソかわからない話もあるし。
だとしたらビリリュートさんも今はA級ながら、S級へと登る筋道はしっかり見えているんだろうし、野心もあろう。
こうしてなかば無理矢理同伴してきたことも、彼なりの決意あってのゆえもあろうが……。
相手も狙い通りになるほど甘くはなかった。
『ほれ、今一度炎のブレスを食らうがいい』
「バカめ、同じ手を繰り返すとは!!」
案の定ビリリュートさんは、再びすべてを飲み込む彼のユニークスキルで炎を貪る。
「一度効かなかった手段を再び用いるとは、所詮竜も愚かな動物にすぎんということだな! 人間にはこういう言葉があるぞ!『同じことを繰り返して異なる結果を期待することを狂気という』とな!」
『ならば狂気の末を見届けてみようではないか』
言いながら竜はさらに炎のブレスを放出する。
放出する。
放出する……。
……あれ?
ずっと放出し続けてない?
「ぐぬ……ッ?」
『グファハハハ……、もうキツくなってきたか? 我はまだまだ吹き続けられるぞ?』
十秒経っても二十秒経ってもドラゴンのブレスはやむ気配がない。ずっと放出され続けている。
もう一分は経過するぞ。
「ぐッ!? ごぁ……ッ!?」
『吸収し続けた炎の熱で、体が焼け付き始めているな? そういうことだ。貴様のスキルはあくまで喰らい尽くすこと。喰らったものは己のうちに溜まり続けていくが道理。そして内包量には必然限りと言うものがある』
ブレスを吹き出し続けながらドラゴンは語る。
器用なことができるな。
『貴様ら人間は矮小であるだけに、飲み込める限界量も少なかろう。我らドラゴンの強大さと比べればなおさら。つまり貴様が耐えられる限界まで我が放出が続くかといえば……』
当然YES。
長く生きるドラゴンは、一瞬にしてその道理を見抜き、人と竜の許容量差を生かして持久戦に持ち込んだ。
効果は覿面だった。
ビリリュートさんの飲み込みスキルは、彼自身の身体が耐えられるまでという制限がある。
キャパオーバーを避けてスキルを使い続けるには、一旦飲み込んだものを放出してカラにするのがいいんだろうが、今はそれができない状況にある。
ドラゴンが炎を吹き続けるからだ。
一瞬も途切れず。
その熱量は一瞬でもあれば人間ぐらい焼き尽くせるし、だからこそビリリュートさんは一瞬だって吸収をやめることはできない。
あの吸収行為は、即死攻撃からの防御の役割も果たしているんだから。
だから一瞬でも吸収をやめて放出を行う余裕もないし、そうできなければ体内にエネルギーは溜まり続ける。
そして限界を超えたら……。
これをジリ貧って言うんだろうな。




