33 押しかけ女房
都市議会での公式な会談が終了したあとは、家族による私的な会話に移行する。
薬師協会長さん、スェル親子には、ある意味街の命運以上に明らかにしなければいけないことがあった。
「お母さんは、ずっと遠いところにいるって言ったわよね? それってお母さんは死んだってことだと思っていたんだけど」
ここは議員用の控室か?
プライベートが保たれた途端、切り込むスェル。やはりこの話題をするために相当我慢していたようだ。
彼女の父親である薬師協会長さんも察していたのか、無言のまま愛娘を見つめ返すのみ。
そんな親子の重苦しい空気を傍らで見守る僕!!
ここにいていいのかな!?
「いや、エピクくんもいてくれ。お互い感情的になるかわからない。必要だと思ったら止めに入ってくれ」
「私からもお願いします。今一人だけでお父さんと向かい合うのは、怖いので」
こういう時だけ親子の息ピッタリなんだから。
「『お母さんは遠くにいる』って遠くのお山にいるってことだったの!? そんなのわかるわけないじゃない!」
「たしかに、そういう風に取れるような言い回しをした。意識的にそうしたのも事実だ。事実をありのままに伝えるわけにもいかないしな」
「なんで!?」
「スェル、お前はたしかにメドゥーサが生んだ娘だ。半分は人間、しかしもう半分は何者かも計りがたい超越的存在の血が流れている。それを幼い子どものうちに伝えられるか?」
スェルが、自分の母親のことをはぐらかされてきたのは想像がつく。
はぐらかさずにはいられない存在だものなあ。
男手一つでスェルを育てた薬師協会長さんの苦労は察して余りある。
そもそもなんでそんなことになったんだ?
「最初から話そう。……二十年ほど前、私が今のキミたちよりほんの少し上の年頃だった。その時の私は薬師とは何のかかわりもない仕事をしていた。……冒険者だ」
「冒険者……!?」
「A級で実績もあり、……正直天狗になっていたよ。自分にクリアできないクエストなどないと豪語していたな。己を高めるため、限界を超えた危険を常に求めていた。その挙句にメドゥーサへと手を伸ばした」
まるでさっき議員さんたちの話に上っていた冒険者そのものだなあと思った。
薬師協会長さんも耳が痛かったに違いない。
きっちりと実力を備えていた当時の薬師協会長さんは、ちゃんとみずからの力のみで魔の山を登り切ったそうだ。
現れるモンスターを斬り伏せ、野営にて幾夜も凌ぎ、険しい道を踏破してついにあの頂上の城へとたどり着いた。
「しかし彼女は、私などの想像を遥かに超える強大な危険だった。私は一瞬にして敗れ、全身を石にされてしまった。あの髪の毛の蛇に睨まれて」
その証言は僕たちの体験したものと一致する。
実際にあの巨大な存在と相対したからこそ共感できる。
「彼女は言った『古の盟約を破って私に危害を加えたからには、その罰は麓の人間すべてに受けてもらいましょう』と」
それも僕たちが実際に会って言われたことと同じだ。
「しかし同時に彼女は救済も与えてくれた。もし石化状態のまま三ヶ月耐え抜けば、その意志力に免じて罰するのは私一人で留めようと。私は全力で耐えた。私一人の身勝手で街が滅びるなど絶対にあってはならないからだ。私の冒険者の誇りにかけて何とか三ヶ月耐え抜いた」
石となり、見えず聞こえず、何の刺激も与えられないまま時間だけが過ぎていく。
人間はそういう状態に三日も耐えられないとか。
同じ状態に晒されたガツィーブが数時間ともたなかったことからもその過酷さは証明済みだ。
「本当に三ヶ月も過ごせたのかどうか。私自身の感覚では何十年に思えたからね。私が耐え抜き、さらには正気をも保っていたことに彼女は驚いていたよ。石化を解かれてから随分褒められたのを覚えている」
しかし彼は、死を覚悟していた。
約束は『耐え抜きさえすれば自分一人だけを罰する』というもの。薬師協会長さんは、自分一人助かるためではなく、自分を含まない多くの人のために地獄を耐え抜いた。
「とっくに死を覚悟していたが、彼女は褒美だと言って、私を寝台に誘った。そこで味わったのは先の地獄とはまったく違う、まさに天国そのものだった」
「……」
「快楽に浸され、暗黒に冷え切った心も体も溶けていくようだった……! 特に私の体に跨った彼女がスルリとドレスを脱ぐと、艶めくような……!」
「ストップ。ストップしましょう」
スェルにも両親の濡れ場トークとかしんどすぎる。
傍観者ポジションながらこれは止めに入らざるを得ない僕だった。
『感情的になったら止めてね』ってこういうことだったの!?
「……ゴホン、つまりそんなこんながあってお前が生まれたんだ。彼女によれば、数百年に一度こういうことがあるのだという」
「こういうことって、どういうことよ?」
「彼女は超越的存在だ。それゆえに我ら人間にはない特別な感覚を有している。その感覚で、時代の潮目というものを敏感に察知するのだそうだ」
「時代の……潮目……!?」
「そうした時彼女はみずからの分身を生み落とし、世の乱れに介入させたという。歴史上に現れた英雄豪傑の傍らには、いつも必ず彼女の血族が寄り添っていたというのだ。……ウソか真かはわからぬが」
それを聞いてスェルは……、何故か僕の方を見た。
どうして?
「お前がエピクくんを連れてきた時に、私もその運命を強烈に感じたよ。私も元は冒険者だからね、彼の隠し持った凶悪さに直感が疼いた。ここまでヤバい気配に現役の冒険者どもは何故気づかなかったのか。やはりぬるま湯に浸りきって鈍感になっていたのだろう」
「お父さんは……、何で薬師協会長なの?」
「ん?」
「だって冒険者だったんでしょう? だったら冒険者ギルドマスターになる方が自然じゃない。なのになんで……!?」
たしかに山で出会ったメドゥーサ様ですら、現職のギルドマスターを彼だと思っていたのに……。
「彼女の娘たちが歴史においてどのような役割を果たすか、さっきも言っただろう。英雄を傍らで支えた女性は常に優れた薬師であったそうだ」
メドゥーサ様の血統を、調合術という形で引き継いだ結果なのかもしれない。
「それを聞いた私は、お前を連れて街に戻ったあとはお前を薬師協会に入れるべきだと思った。しかし冒険者であった私は協会に何の伝手もない。後ろ盾のない会員は立場も弱く、いじめの対象になることも多い。……エピクくんがギルドでそうだったように」
いきなり例に出されて心苦しい。
しかし痛いほど同意できてまた心苦しい。
「だから私がまず飛び込み、薬師協会でのお前の立場を確保しようと思ったのだ。私も薬剤調合に関しては素人だったが、幸い彼女の下で基礎を学ぶことができた」
「お母さんの?」
「覚えていないだろうが、お前は二歳になるまであの城で過ごしたんだよ。さすがに乳飲み子の時点では彼女も別れがたかったのだろう」
その時間を利用して協会長さんは死に物狂いで勉強し、冒険者でありながら薬師の心得をひとしきり修得した。
そのアドバンテージは強力で、なんのコネもない新人からスタートして十年そこいらで協会長までのし上がったのも魔女直伝の薬学ゆえだろう。
おかげでスェルは協会長の愛娘という肩書きを得て、薬師協会でしっかりした立場で勤めることができた。
すべてはお父さんの愛ゆえ……。
「お父さん、どうしてそこまで……!?」
「もちろんお前が心配だからだ。頼るもののない協会で、もしお前がいじめられていたらと思うと心配で胸が張り裂ける。それなら私が先に飛び込んでお前の居場所を作ってやりたかったんだ」
「でもお父さんは冒険者として……」
「お前の方がずっと大事だ。私はね、お前のお母さんのことを愛している。あんな出会い方ではあったが、彼女の圧倒的なまでの強さと、美貌に、完全に心奪われてしまった。彼女と愛し合った結果であるお前のことも心から愛している」
傍から見ていてもスゲーなと思える。
僕は物心ついた時から両親もいなかったので、冒険者ギルドでの立場も弱く、結局いじめられる側だった。
スェルのお父さんのように全力を懸けて守ってくれる大人が僕の傍にもいたら何か変わっただろうか。
『もしも』の話は虚しいだけだが、しかし事実はある。
スェルが父親からとても愛されているということが、親のいない僕にはよくわかる。
「お父さん」
「娘よ!」
ヒッシリと抱き合う親子。
二人の絆は固く決して壊れぬと思えた。
しかし家族は二人では完成しない。父と子、それに母親までそろって最小単位の完成だ。
◆
総督府での用事も終わって薬師協会本部へと戻ったらそのことをガツンと思い出された。
出迎えに来てくれた薬師協会職員が言う
「お帰りなさいませ協会長。……あの、奥様がお待ちになっております」
「は!?」
協会長さんの奥様?
って言ったらあの人が思い浮かぶんだけど。
そんなまさかと思って駆けつけてみると、待っていたのはたしかにあの人だった。
「ハロー」
「メドゥーサ様!?」
人間に擬態しているのか、魔の山で会った時ほど妖気も漂わず平凡な感じがしたが、絶世の美しさは見間違えようもない。
女神にして魔女にして美女メドゥーサ様!?
「どうしてここに!?」
「せっかくだから私もしばらく下界で生活しようと思って。我が娘もこんなに大きくなったことだから世界も動くでしょう? それを間近で見物しようと思ったのよ」
だから人間に化けて街に隠れ住もうと?
そんなことができたんだ!?
「それにね、山を下りてからのアナタの行動が気になってね?」
「私ですか……!?」
「冒険者を辞めて薬師協会で成り上がった。まさか本当だったとはね。娘のために生業まで捨てるなんて、今まで私が見初めてきた男の中にもいなかった。そこまで私の子どものことを思っているなんて……」
ゆっくりと近づき、薬師協会長さんの首に手を回す。
その動作が、まるで大蛇が獲物に巻き付くかのようだった。
「そんなアナタの子どもなら、もう二、三人生んでもいいかなと思ったのよ」
これで家族の完璧な形が築き上がった。
しかし何故だろう。
『羨ましい』と思うより『ご愁傷さま』という感想が先に浮かんだのは。




