31 ギルドマスターの最期【ギズドーン視点】
エフィリト街の冒険者ギルドマスター、ギズドーンはもはやギルドマスターではなかった。
もはやその肩書きに一片の未練もないギズドーンであった。
かつては自分の支配したギルドを世界一に押し上げようとした情熱も、今は微塵も残っていない。
数々の困難、障害に見舞われて彼の向上心はすっかり萎えてしまったのである。
元来挫折には弱いタイプだった。
思い立ったら即行動。引き継ぎも辞職願もせずすべてを放り出して街を出る。
すっかり日が暮れた頃に馬車を降りると、そこはもうエフィリト街から遠く離れた別の街だった。
「グヘヘヘヘヘヘ、ここまで離れれば追ってこれまい」
いや、それ以前に自分を追う余裕などあの街にはないだろうと元ギルドマスターは考える。
魔の森炎上事件のため彼自身衛兵に監視され軟禁状態にあった。
そこから逃れるためにも策が必要であり、それが冒険者ガツィーブをけしかけることであった。
あの街に伝わる伝説……絶対に触れてはならないという不文律はギズドーンも聞き及んでいた。
くだらないことだと思う。
見たこともない山の主ごときに何故街の重役どもが揃って恐れ従わなければならないのか。
いずれはその山の主すら我が手で打ち倒し、新たなる伝説の主人公になろうと模索していたギズドーンであったが夢は儚く破れる。
ならば別の方法で利用してやればと思った。
ギズドーン自身は気にしていなくても、街の重役どもは揃って山の主とやらを最大限恐れ、警戒している。
迷信に囚われた田舎者どもめと思うが、今はその迷信を突っついてやるのが都合がよかった。
役立たずのガツィーブをけしかけ、山の主へ向かわせればきっと大慌てでそちらへ注目するだろう。
ギズドーンが逃亡するのに充分な隙となり、実際こうして見事に逃げおおせたのであった。
「さすがオレ様……! 窮地の時でも機転は衰えぬわ……!」
馬車を降り、その街の宿屋へと向かう路地を進む。
憂さ晴らしに一等のスィートルームで酒と女をあかせて豪遊するつもりだった。
あんな田舎暮らしでこびりついた垢を今夜のうちに洗い落としてやろうと。
「どの道あの街はもう終わりじゃ……! ヤツらの言う『山の主』とやらが本当にいればじゃがな……!」
いや、実際に山の主なるモノがいて、その怒りに触れて街を滅ぼしてしまえばいいと思った。
いずれ英雄となり歴史に残る自分を蔑ろにし、あまつさえ追放したのだから。
その因果応報として一人残らず死んだとしても当然の報いだと思った。
「皆死ね! 死んでしまえ! オレ様の偉大さがわからんバカどもに生きる資格はない!!」
怒りをぶり返しながらギズドーンは夜道を進む。
感情が高ぶってまともにまえも見えていないが幸い誰にもぶつからず歩いていった。
夜も更けたとはいえ、彼以外路地に立つ者は一人もいなかった。
「このオレ様を解任だと!? どれだけトチ狂えばそんなトチ狂った結論になるんじゃ! あんなクソ薬師の親玉もクソ議長も、オレ様の有能さに嫉妬しておるのだ! 自分の無能を棚に上げて! だから事実を捻じ曲げてオレ様を陥れようとしているのだ!!」
そうして理不尽に追い詰められたのだから、抵抗も仕方ない。
山の怪物によって皆殺しにされたとしてもギズドーンの正当防衛であり、悪に下される正義の罰なのであった。
「エピクとてそうじゃ! あんな実力を持っているなら何故オレ様にアピールしなかった!? オレ様の采配で究極の冒険者に導いてやったというのに! なんと道理のわからんヤツじゃ!! 冒険者ならギルドマスターの役に立つのが使命じゃろうが当然の!!」
彼の知る限りすべての人間へ八つ当たりが向かった。
そうしなければ窮地に陥った自分を正当化できないから。逃亡者として街から脱出した自分は、数多くの自分自身の失策の結果であるという現実から何としてでも目を逸らしたかったのだ。
「それにガツィーブのクソも……! あのギルドで一番強いというから贔屓にしてやったというのに! 所詮D級はD級じゃな! ちゃんとしたギルドなら腐るほどおる凡骨よ! その程度でつけあがるなど世間知らずなバカじゃな! バカ!!」
そのガツィーブを最後まで利用し、自分逃走のための捨て駒にしたのが彼だった。
A級冒険者リザベータに敗北してから度重なる失敗続きでどん底のガツィーブ。
そうしてプライドがズタボロになったところへ甘言を弄し、思うままに暴走させたのがギズドーンだった。
彼が掌で踊らせられるのは、もはや何もかもを失った敗北者しかいなかった。
しかしその敗者は想像以上に思うままになり、魔の森のさらに奥に住む『山の主』へと突撃していった。
『山の主さえ倒せばお前は最強の冒険者だ。バカにしてきたヤツらを見返せるぞ』と。
「そんな言葉を本気にして突っ走るヤツはバカの中のバカじゃ……!」
山の主の下へ直通で行けるという抜け殻も役に立った。
前任のギルドマスターから受け継いだものだが譲渡の際、真剣な顔で『山の主との相互不可侵の証明でもある、決して軽はずみに使わぬように』と言われたのを覚えている。
バカなことだと思った。
この世のすべての人もモノも、ギズドーンの役に立たなければ何の意味もない。
自分が使ってやることは、そのものに意味を与えてやること。つまりソイツのためなのだ。
だからこそ自分の役に立つことを拒否したあの街は滅んで当然だと思うギズドーンであった。
「山の主などと言うたわけたものがいるなら怒れ! 怒って街を滅ぼしてみせよ! ガツィーブもそれくらいやってから死ねよ役立たずが! 最期におれ様の役に立って死ねるなら最高の人生じゃろう! ぐわははははははははッッ!!」
「お前の期待通り、山の主様はお怒りだぜ」
誰もいないはずの深夜の路地に、ギズドーン以外の声がした。
いや何故そもそもここまで人がいないのか。
夜とはいえ、ギズドーンが辿りついたこの街はエフィリトよりも王都に近くずっと大きく栄えているのに。
「お怒りだからオレを遣わした。オレは山の主様からの怒りの使者だぜギルドマスター……!」
「お前はガツィーブ!?」
ギズドーンは信じられないものを見た。
彼の目の前にいるのは、彼自身が誑かした冒険者ガツィーブだったのだから。
「何故こんなところに!? お前はたしかに山の主のところへ……!?」
そう、おだてられ脅されて正常な判断力を失ったガツィーブが駆け出して行ったのをギズドーンはたしかに見届けている。
あれは間違いなく魔の山へと向かったのだろう。
それから一目散に脱出したギズドーンをここで捕まえるには、突撃したフリをして尾行していたとしか思えない。
「オレ様に騙されたフリでもしていたのか!? お前ごときに一杯食わされたというのか?」
「んなこたねえよ。オレ様はたしかに登ったぜ魔の山に……」
「では、なおさら何故……!?」
「偉大なる山の主様はすべてをお見通しってことさ。お前のくだらない企みも全部な。あの御方の領域を乱した真の元凶も、お前だってこともあの方はすべてわかってらっしゃる」
ギズドーンは背筋が凍った。
頬が引きつり、全身から嫌な汗があふれ出る。
目の前のガツィーブから異様な気配を感じるからだった。
視線が、どこも向いていないようで自分だけを一点に突き刺すように見つめている。
この虚ろに見えながら荒ぶる感情に満ちているようでもある目。
少なくとも正気とは思えなかった。
「山の主様はお前を罰することにしたのさ。そして処刑人に選ばれたのがオレだ」
「おい、ちょっと待てガツィーブ……! まずは話し合おう……な……!?」
「苦しかったぜぇ……! オレが山の主様から下された罰はよ……! 何度気が狂うかわからなかった。いやもう狂ってるのかもなあ!」
ギズドーンは周囲を見回した。
この街にも衛兵はいるだろう、冒険者も。そういう者たちが運よく通りかかれば助けを求めればいい。そしてこの狂人を取り押さえてもらえば。
しかし誰もいない。
彼と彼を狙う殺し屋以外は誰一人。
「既にこの辺りは主様のはからいで誰も近づけねえ。逃げられもしねえ。裁きの時だぜギルドマスター」
「違う! オレ様はもうギルドマスターじゃない! だから……!」
「地位がなくなろうとお前の罪は消えねえのさ。このオレを利用しやがった罪はな。お前に騙されたお陰でオレは、あんなところに行って、あんな苦しみを受けて……!」
さらにギズドーンは気づく。
ガツィーブの手に握られた一振りのナイフ。
それは小振りではあったが鋭く、装飾も細やかで、今まで彼が扱っていた武器の中でも間違いなく最高級品だった。
その高級な刃が狙う先はモンスターなどではなく……。
「山の主は本当に偉大な御方だぜ。元凶であるお前を罰する役目をオレにお与えくださったんだからなあ。そのためにオレをここまで飛ばしてくれた……!!」
「ま、待てと言うに……! オレ様はお前のことを高く買っておるんじゃぞ? お前なら必ずやS級冒険者に……!」
「そうやってお前におだて騙されて、オレは道を誤った。山の主様の下でとことん悟ったぜ。お前さえいなければ、お前さえいなければオレは真っ当な冒険者でいられたんだ!」
「待て! だから待て! 金ならいくらでも……!」
「ヒトの人生を弄びやがって! 報いを受けろギルドマスター! これは山の主様だけじゃねえ! このオレからの怒りの刃だぁあああああッッ!!」
「ぎゃひぃいいいいいいッ!!」
闇夜に、煌めくはずのない凶刃の輝きが煌めいた。
そしてすぐ、肉を裂く重い音が鳴った。
しかも一度ならず。
「ぐぎゃあッ!? 痛い、痛い!? ……ぐべッ! ちょ、やめてくれ死んでしまうッ! ぐごッ! オレ様が悪かった……金ならいくらでも払う……ぎッ! 本当に悪いのはエピクじゃ! 二人で協力してヤツを潰そ……ぐぎッ!? ああ、オレ様の身体に穴が……! ごめんなさい、ぎゃッ、ごめんなさいオレ様が悪かった……んごべッ! だから命だけは……! げッ、これ以上刺されたら死んでしまう……! 助け……、助け……!? ……ッ、これだけ謝ってるんだから許してくれても……、も……!」
人なき闇夜に騒音がこだまする。
皮が破れて肉裂けるおぞましい音、中年男の濁った悲鳴。
それらが交じり合って最悪のハーモニーを奏でた。
しかしそれらもすぐに消え、夜空に静寂が戻る。
残ったのは濃厚な血の匂いだけだった。
闇の中、既に動かなくなった肉の塊から人影が立ち上がり離れた。
そのままフラフラとした足取りで、闇の中に消えていく。
そして誰もいなくなった。
彼の行方は杳として知れない。




