13 ギルドマスターの下り坂【ギズドーン視点】
冒険者ギルドマスター、ギズドーンは日に日に苛立ちが募っている。
彼にとって、これからの日々は常に上り坂であったはずだ。
晴れてギルドマスターの称号を手に入れ、自身の所有物となった組織を世界一とし、みずからも歴史に名を残す偉人になるという。
その前途洋々の未来は、早くも暗雲たちこめ、完全な闇の中へと沈みこもうとしていた。
その皮切りは、薬師協会からの全クエスト契約の打ち切りである。
実際に打ち切られてから知ったが、薬師協会は冒険者ギルドが扱う全取引の二割を占める上得意先だった。
つまり先方が発注するクエストのすべてがなくなれば、冒険者ギルドの日々の利益が丸々二割消えてなくなるということになる。
それは深刻な打撃という他なく、ギルドは少ない取り分で滞りなく運営する体制を練り直さなければならなかった。
「薬師風情が……! 草を煮るだけのインチキ商売の分際でオレ様に盾突くとは身の程知らずめ……!!」
ギルドマスターの苛立ちは主に、薬師協会及び、その協会長へとぶつけらる。
彼の妄想の中で、薬師協会長バーデングは何度無惨に殺され、薬師協会は何度破壊と殺戮に晒されたかわからない。
しかし当然、そんな想像の中での復讐は虚しいだけだった。
それがこの上なく不快で我慢できない。
一ギルドの頂点にまで立った自分が、今さら何故他人からの影響を受けねばならないのだと。
「くだらん! 実にくだらん! この程度でオレ様を追い詰めたと思ったら大間違いだぞ!!」
ギルドマスターにも対抗手段はあった。
みずからを英雄と任じる彼である。困難に対応する策は、一つや二つすぐにでも用意できるつもりでいた。
そして実際に用意した。
得意先の一つを失ったなら、他のもう一つの得意先を頼ればいいのだ。
鍛冶師組合である。
冒険者と鍛冶師との繋がりは、薬師とのそれよりもずっと強い。
何しろ鍛冶師が鍛え上げる武器や防具は、冒険者が獲得してくるモンスター素材や希少鉱物を元にしている。
そして作られた装備品は冒険者の手に渡り、それをもって新たな冒険を切り拓いていく。
鍛冶師と冒険者は、いわば一心同体と言っても過言ではない。
それぐらい密接な間柄でこそ、互いに与え合う利益は半端なものではない。
実際に鍛冶師組合が発注する素材納品クエストは数十件に及び、日々もたらされる冒険者ギルドへ利益は全体の四割に及ぶ。
薬師協会から上がる利益よりも大きかった。
鍛冶師組合こそが最大本命の取引相手と言ってよく、それに比べれば薬師どもなど予備的な儲け相手に過ぎない。
薬師からもたらされた損失はたしかに痛いが、その分より大きな利益を鍛冶師の方から回してもらえばいいだけだ。
古来からの盟友である冒険者と鍛冶師は、困難の時こそ助け合えるはずだ。
鍛冶師組合からのクエスト発注を増やし損害分の補填に当てる。
「オレ様みずから鍛冶師組合へ行ってこよう!」
ギルドマスターみずからの訪問であれば相手側もその栄誉に感じ入り、どんな要求でもそのまま飲んでくれるであろう。
彼自身にそれだけの価値があると信じて疑わなかった。
自分はギルドマスターなのだ。
価値ある人間なのだぞ。
と。
そして実際に鍛冶師組合本工房へと足を踏み入れた時……。
彼の幻想は脆くも崩れ去ることとなる。
◆
工房へ入った途端、焼けつくような熱気にギルドマスターは顔を逸らした。
鍛冶用の炉から発する物理的な熱気ではない。興奮や情熱から発する心理的な熱だった。
幾十人もの鍛冶師たちが忙しげに駆け回る。
作業中のようだが、鍛冶工房がここまで賑わっているのをギルドマスターは見たことがなかった。
いつもはもっと黙々淡々としているように見えたが。
「グラップウルフの毛皮鞣しはどうなっている!? ちゃんと均等に鞣せよ! 貴重品なんだからな!?」
「オレ鼈甲作りなんてやったことねえよ!? どうすればいいの? 親方しかいないでしょやり方知ってるの!?」
「親方はマジョロウグモの扱いにかかりきりだ! 自信がねえなら、そのままにして待ってろ! 手探りでやって失敗しても取り返しがつかねえぞ!」
なんと張りがあり、活気に満ちた大声が飛び交うことか。
ギルドマスターはしばらく呆然としていたが、すぐに自分がここに来た意味を思い出し……。
せわしなく駆け回っていた鍛冶師の一人を呼び止める。
「おい、オレ様は冒険者ギルドのギルドマスターだ。鍛冶師組合長を出せ」
「はあ? 冒険者ギルド? 面会のアポはなかったはずだが?」
「オレ様が直接足を運んでやったんだぞッ!! 四の五の言わずにお前らの親分を連れてこんかッッ!!」
薬師協会絡みの苛立ちはまだギルドマスターの中に蟠っている。
だからちょっとしたことですぐ度を失って怒声を飛ばしてしまう。
「……ちッ、しゃあねえな……!」
恐らく鍛冶師組合長を呼びに行くのだろう下っ端の背中を見送り、『これではダメだ』と呼吸を整え直す。
自分は英雄になる男なのだ、こんなことで動じてはならないと。
しばらくすると彼の要求通り鍛冶師組合長が現れた。表情に『面倒くさい』という心境が隠すことなく浮かんでいた。
「ほう、冒険者ギルドの親玉が本当にいやがった。忙しさに目を回した半人前が幻影を見たのかと思ったがな」
「ご無沙汰している鍛冶師組合長! 元気そうで何よりではないか!」
ギルドマスターは抜け目なく笑顔を作り、交渉相手にすり寄る。
今日はこの頑固そうな老人に頼みごとをして『うん』と頷かせなければならない。
だからたとえ相手が“格下”だろうと下手に出るぐらいはできるつもりでいた。
「お体を悪くされていると聞きましたが元気そうで何よりです! 精悍な顔つきで! まだまだ現役を続けられそうですなあ!!」
心の中では『生き汚い耄碌ジジイめ』と舌を出すことを忘れない。
ギルドマスターにとって自分以外のすべての人間は、自分より下等な『利用されるべき道具』だと思っていた。
だからコイツにもいつもより多くのクエスト発注をさせて、自分の役に立たせてやる。
「……まあいいか、ワシもお前さんらに用件があったんでな。わざわざ伝えに訪ねる手間が省けたってもんだ」
「はい?」
「これからアンタらへのクエスト発注減らしていくから」
「はあああああああッッ!?」
しかし告げられた事実は、ギルドマスターの希望とはまったく真逆のものだった。
クエスト発注を増やしてもらいたかったのに、それを切り出す前にまったく正反対の減少を告げられるとは。
度を失って困惑する。
「何故何故何故!? アナタ方は仕事をする気がないのですか!?」
「どうしてそうなる現に今こうやって仕事に打ち込んでるじゃねえか? ウチがここまで活気づいたのはここ最近ないことだぜ?」
たしかに周囲の忙しなさはギルドマスターにも感じ取れる。
ならばなおさら何故?
「お仕事が忙しくなるならなおさら我々との取引は必要でしょう!? 何せ鍛冶師は素材がなければ武器も防具も作れないのですから!!」
「その素材を届けてくれるのがアンタら冒険者だからなあ?」
「その通りです! アナタ方のやる気が溢れ出たんなら、それに見合った素材を我々がお届けしましょう! むしろ発注を増やされては!?」
そうなった方が目論見通りとなり、ギルドマスターとしては万々歳。
しかし交渉相手の顔色は渋く……。
「なあ、アンタわかんねえかい?」
「は?」
「今、ウチのもんらがしている仕事を直に見て気づくことはないかと聞いてるんだ」
しかしギルドマスターには何事もわからなかった。
そもそも鍛冶師ではない自分に、専門のことがわかるか。『バカか』と思った。
「……冒険者ギルドマスターのくせに、自分が納めた素材を見分けることもできねえってのか? まったく予想以上の節穴だな、その目は?」
「何ぃッ!?」
この街の鍛冶師が扱う素材は、冒険者が納入したモンスター素材以外ありえない。
だから今加工されているものも当然冒険者ギルドから納入されていた素材だとばかり思っていたが、違うというのか。
「アンタのとことは他に素材入手のツテができてな。それが質がいいわ上級だわで、ウチの連中も沸き返ってるわけよ。やっぱりいいものを扱うとなったらやる気も違ってくるわな。アンタのとこの三流納入品とはわけが違ってよ」
「三流納入品……!?」
『もっと高ランクのモンスター素材が手に入らないか?』かねてから鍛冶師組合より散々言われてきたことだ。
言われるたびには『善処します』と請け合ってきたが、具体的な改善は案すら出さなかったギルドマスターである。
何故なら、ギルドが運営されるに現状の鍛冶師組合からの報酬で充分だからである。
足りているものを骨を折って過剰に増やす必要などない、そう思ってずっと取引相手の意向を無視し続けてきたツケが今回ってきた。
「ワシらはよりよい素材の加工で忙しいからその分リソースを締めなきゃならん。というわけでアンタらとの取引は縮小したいってわけだ」
「そんな困ります! 我々はむしろ取引を拡大したいというのに!?」
「そりゃあアンタらの都合だ。互いの都合が噛み合ってこそ取引は成立する、アンタも大人ならわかるだろう? 安心しな、既に受注が成立してる分まで無理矢理破棄したりなんかしねえよ。そこまで無分別じゃねえぜウチはな?」
その言葉に言外の意図を察し、ギルドマスターは息を飲んだ。
知られていることを悟った、現在ギルドが薬師協会とトラブルに陥っていることを。
その弱みを握られ、これ以上無理矢理に話を進めるなどできるはずがない。
ギルドマスターは辞去の挨拶もせぬまま肩を怒らせ、鍛冶工房から出ていった。
◆
「死にぞこないのジジイが! とっとと寿命でくたばれ!!」
ギルドへの帰り道、抑えきれない憤懣が、その対象への呪いの声となって噴き出る。
しかし現実には益々抜き差しならない状況へ追い込まれている。
鍛冶師組合との取引は増えるどころか逆に減り、薬師協会とのイザコザで失った儲けも含めれば、いよいよ損害額は冒険者ギルドの屋台骨をぐらつかせるほどになる。
「何とか……! 何とかしなければ……!」
ギルドマスターの表情に険しさが増す、それはもはや鬼が乗り移っているかのようだった。
「まだだ……! 英雄で、世界一のオレ様にはまだまだ策が残っている。既に発動済みのあの手が成れば……!」
ギルドマスターがほくそ笑む。
その余裕のない笑みに、もはや勝機は窺えなかった。
「A級冒険者さえ招聘できれば、オレ様のギルドは不死鳥のように復活できる……!!」




