119 やぶれかぶれ
「……なるほど、イリエリヒルトらしい悪辣な手段だな」
背後から声がしたので振り返ってみれば、ブランセイウス様がいた。
彼もあの大聖女が起こすバカ騒ぎを直に見にきたのだ。
「やはり追い詰められたネズミのすることは性急だな。充分に先を行こうとしていたつもりだったが先手を打たれた」
「大聖女は何をするつもりなのだしょうか?」
「実に簡単なことだ。先に声を上げたんだ」
ブランセイウス様の示す答えだが、僕にはまだよくわからない。
先に声を上げる?
それが何になるというんだ?
「まあ、なんでもないことに思えるだろうが、これがけっこう重要でね。『悪いのはアイツだ』と誰よりも先に宣言すれば、それがまず事実になる。真実が真逆だろうと。この場合、我々があとから真実を明かしたところで、それはイリエリヒルトが言い出した批判への反論という形にしかならない。あるいは見苦しい言い逃れ……などと受け取られるかもしれないね」
「そんな……」
大魔獣エキドナによる大混乱。
毒師ロドリンゲデスを利用した多くの毒殺事件。
それらの裏にいたのは間違いなく大聖教会であり、大聖女イリエリヒルトであったが、無論多くの人々はそんなこと知らない。
そんな陰謀が存在していたことすら知らないのだ。
そんな人たちに問題提起し、批判の矛先をわかりやすく示せば、人々にとってそれが第一印象になる。
どんな形でも第一印象を拭い去るのは容易なことではない。
誰にとってもまず最初に告げられたことが、一番目の真実なのだ。
「見苦しいやり方ではあるが、有効であることは間違いない。これで教会は一方的に責め立てられる立場ではなく、王家と真実を争う立場になった。教会と王家、ウソを言っているのはどちらだというな……」
それは一方的に糾弾されるよりはずっといい立場だろう。
「さらにイリエリヒルトの口の悪さ……弁論力を持ってすれば、こちらのあらゆる主張にケチをつけて泥沼合戦に持ち込むこともできよう。そうなれば事態は膠着し、その分教会も無事を永らえることになる……」
「そんな……!?」
そんなしょうもない手段で教会へのとどめを刺せないって言うのか?
ここまで来て……!
「仮にも相手は、この王国に数百年と寄生してきた狐狸たちだ。そう簡単に尻尾は掴めない。だが……」
ブランセイウス様が、僕の肩を掴んで前へと進み出る。
仮にも王様として、威厳も覇気も兼ね備えた人だ。進み出れば自然と民衆の注目は集まる。
「大聖教会は大罪を犯し、王家に敵対した」
叫ぶような声音ではないが、それでもこの場にいる全員の耳に入り、そして心の奥底にストンと入っていくような声だった。
誰もが否応なく心に刻み込んでしまう、神威のこもった王者の声。
「毒をもって前王たる我が兄を殺したのはイリエリヒルト、お前の差し金だ。さらには昨夜王都に迫った大巨獣も、教会が何百年も前から秘蔵していたらしいな。その罪、長きに渡って国教を務めてきた大聖教会といえども……いや国境を担う立場にあるからこそ許すわけにはいかぬ」
「自分たちの罪を我々に着せようと言うのね! 浅ましいわ!」
それはお前だろう! と心の中で叫ぶが、ここにいる多くの人にとってはどちらが真実化を判断する術はない。
まさにそれが大聖女の目論見で、『お前が犯人だ』『いいやお前お子が犯人だ』の水掛け論……泥沼にはまってしまう。
だからと言って何も喋らなければ一方的に罪をかぶせられて、こっちが悪いことになってしまうから反論しないわけにはいかない。
何て厄介な攻撃なんだ。
人間、恥も誇りも掻き捨てて形振りかまわずに足掻けば、このように事態を停滞させることもかのうなのか?
それでもブランセイウス様は感情を乱さず、かつキッパリと主張し続ける。
「我々は、前王暗殺に加担した毒師を捕えてある。その者の供述によれば、すべてを指示したのはイリエリヒルトお前だそうだな。調書は既に正式に整えられているぞ」
「そのようなもの! アナタの思い通りにいくらでも捏造できるではないですか! アナタは既に王! この国で最大最高の権力を有したのです! そんなアナタにかかればどんな証言証拠も思いのままに生み出せるし消し去れる!」
そんなことを言い出したら、国内で行われるすべての裁きが成り立たなくなるじゃないか。
なんというデタラメな暴論と思ったが、あの往生際の悪い女を黙らせるには動かぬ証拠をもってその主張を粉砕するしかない。
しかしその証拠すら、正当性を保証できるのかと問われれば、そのために証明しなくてはならない。
その繰り返し。
いかなる堅固な理論も、理解することを拒否した駄々っ子の前ではすべてが無力……ということを思い知らされる。
「証拠です! 証拠証拠! アナタが言ってることが正しいならばそれを証明する証拠を出しなさい! この私が心から納得できる証拠をね!!」
「納得するつもりなど毛頭ないくせにな……」
小声でごちるブランセイウス様。
まことにその通りだと思うが、議論する気などない相手との議論など本当に無意味だ。
「我らが捕えた毒師ロドリンゲデスは、薬師協会から指名手配されていた犯罪者だ。誓いを破って毒物の製造を行っていた。捕まりかけたところを大聖教会に匿われたと言っていた」
「言いがかりです! そのような大それたことは我ら教会にはできない! できるとすれば強大な権力を持った王家しかありません!」
「薬師協会は、かの毒師が死んだものと判断して随分以前に追跡を打ち切ったとのこと。死亡の判断は、大聖教会から授けられた聖紙をもとにしたらしいな」
「お、王家の力を持ってすれば、教会謹製の聖紙に細工することだって可能でしょう!!」
薬師協会で作られている、全薬師が登録されている名簿は、どこかで薬師が死んだらその名前も勝手に消える仕組みになっていたらしい。
その仕組みは魔力の宿った紙とインクによるものだそうだが、それを製造しているのは他でもない大聖教会とのこと。
販売して暴利をむさぼっていたりもしてるんだと思う。
「その者の作った毒で我が兄……前王が殺されたのはもはや疑いの余地はない。では何故、兄は無念なる頓死を遂げなければならなかったのか? 我が兄は、お前たち大聖教会との関係はけして良好ではなかったな?」
「うぐ……ッ!?」
「兄は、長男でありながら勇者に選ばれなかったため一時、王太子としては絶望的な立場にあった。それが王になれたのは、当時お前たちから勇者に選ばれた私が、兄を差し置いて後継者となることを断固拒否したがゆえだ。あの時の恨みを兄は生涯忘れなかった」
その話を僕も一度聞いた。
教会は、若い王族から勇者を選び、それに聖女を添わせて将来は、その聖女を王妃に輿入れさせるのを習慣化していた。
それによって教会と王家の結びつきを強くし、王家の権力を取り込もうとしたんだ。
しかしブランセイウス様とそのお兄さんの代に限って、その関係は崩れた。
「お前たち大聖教会としては、一刻も早く兄に死んでほしかったことだろう。教会のやることなすことすべてにケチをつけたがる兄王の治世では、お前たちはやりにくいことこの上なかったろうからな」
「だから殺したと言いたいのですか? なんと短絡的な!」
「少なくともお前たちに動機はあるということだ。私と違ってな」
犯罪は、常に犯罪者が得をするために行われる。
それもまた万人が納得する余の摂理の一つだ。二人の舌戦を見守る多くの民衆もそう思うことだろう。
「ど、動機ならアナタにだってあるでしょう! 前王が死ねば次の王座はアナタに転がり込んでくる! 現実にアナタは王となり、その絶対権力を手中にしました!」
「都合よく忘れるな。兄が死んでも王座は私の者となるはずではなかった。もう一人優先される候補がいただろう」
王子タングセンクス。
勇者でもあるアイツがそもそも、王様死亡直後の後継者大本命だった。
アイツが自滅したがゆえに、さらなるお鉢がブランセイウス様に回ってきたのであって、前の王様を殺しただけではブランセイウス様の何の得にもならない。
「タングセンクスは完璧にお前たちの傀儡であったから、やはり兄王の死によって得をするのはお前たちだけだ」
「あッ、あくまで推論です。わたくしたちの罪を立証するものでは……!」
「お前がゴネ続ける限り立証など不可能だろうよ。しかしな、お前を裁くのに必要なのはお前一人の納得だけではないぞ」
「え?」
大聖女はそこでやっと気づいた。
自分に注がれる冷ややかな視線に。
ここまでの二人の問答を、集会に集まった聴衆は皆聞いていたんだ。
彼らには一人一人考える脳があり、判断力がある。
その地制でもって二人の話を聞き、どちらがより利が通っているかの判断をすることは容易い。
王としてだけでなく、過去宰相としても善政を行い民から信頼されたブランセイウス様が、誰にでもわかるよう理路整然と理屈を述べれば納得するのは当然だ。
証拠証拠とわめきたてても、理路整然たる主張が聴衆を納得させられればお前の罪は立証される。
民を味方につけようと集会なんぞ行ったのが却って仇になったな。
大聖女イリエリヒルト。
お前はやはりここで終わりだ。




