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117 諦めの悪い女【大聖女side】

 そして大聖女イリエリヒルトは窮地に陥っていた。


 王都へ、大魔獣エキドナが襲来した翌朝のことである。

 既に事態は収束し、大魔獣は消失。しかしながら事の背後関係を解き明かすために大規模な調査が実行され、そのお陰で王都は上も下もてんやわんやの騒ぎ。


 一旦起こった大事件に、王宮側の反応は迅速。大被害は未然に防がれたとはいえ王都の存亡を揺るがした背景を明らかにするために取れるべきすべての対応が取られた。


 その陣頭に立つのが、近く即位が決定した新王ブランセイウス。

 行動の速さと正確さに『必ず名君となる男』の触れ込みの正しさを窺わせる。


 そんな名君の名君ぶりを一番苦々しく思っているのが他ならぬイリエリヒルトであった。

 この事件の詳細を詳らかにされて、もっとも危うくなるのは彼女なのだから。


 その兆しは既に起こっていた。


 早朝から彼女は呼び出しを受ける。

 拒否はできない。


 彼女を求めているのは、大聖教会最高の権力者。すべての信徒の上に立つ教会の最高位……教皇だったのだから。


「大聖教会にとって過去経験したことのない危機と言ってよい」


 イリエリヒルトが居室に入った途端、挨拶も交えることなく教皇は言った。


 齢九十を超える老妖怪は、権力の頂に座りながら痩せ衰え、骨が剥き出しになっているかと言うほどにガリガリとなっている。

 それが教会最高権威にかかるプレッシャーゆえなのかはイリエリヒルトにも判別がつかない。


 しかしこんな今にも死にそうな風貌でありながら、もう四十年近く教皇を務め続け、自分を追い落とさんとする後続を何十人と闇に葬ってきた。

 権力の魔物。

 正真正銘、そう表していい人物であった。


「あの大魔獣エキドナは、我らの自由にしていい存在ではなかった。偉大なる大聖神よりの預かりものゆえ。来たるべき時のために隠し続け、守り続けよというのが神より授かった聖務であった」

「……」

「そのことは、お前もよく知っておろう」

「はい……!」


 押し込めるような教皇の確認に、イリエリヒルトは肯定する以外になかった。


 イリエリヒルトがそれの存在を知らされたのは、大聖女に就任した直後のこと。

 大魔獣エキドナ。


 それは大聖教会が信仰する大聖神から直接授けられたものと言われ、教会内のごく限られた者たちだけに存在を知らされていた。

 過去歴代の教会上層部は、エキドナの存在こそ神の奇跡の証明とみなし、言いつけ通り、教会の外のあらゆるものから隠し通してきた。


 その務めに加わった、もっとも新しい者がイリエリヒルト。


 大聖女は、教会の上層部に名を連ねているために知る権利を有していた。


 大魔獣エキドナの守り手は代々秘かに選出され、アルデン山渓の奥深くの隠されたエリアに住み死ぬまで共にあり続ける。


 イリエリヒルトは、その使命をくだらないと思っていた。

 もとより野心の塊である彼女。

 彼女にとっては社会の中枢の煌びやかな場所で光を浴びることこそ人生の意味であるのに、人知れぬ場所ですべての時間を浪費するなど、人生の敗北でしかない。


 それにイリエリヒルトは、大魔獣エキドナという存在をただの保管すべき預かりものだとは思えなかった。

 もとより野心の塊である彼女。

 この世にあるあらゆるものは利用しなければ意味がないと思っている。そんな彼女にとって大魔獣エキドナは、その巨大さだけでも王国を制圧できる戦力となるし、内部に備わったこの世のあらゆる生物を産み出せる能力も魅力的すぎた。


 こんな素晴らしいものを持ち腐れにしておくとは。

 愚かすぎる。


 そう思ったイリエリヒルトこそが、すべての元凶であった。


 彼女が関わる以前、エキドナの守り手となるためにアルデン山渓に住み着いたのは、教会の出世レースから脱落した神官のみ。

 あるいは問題を起こし、表の世界に出せなくなった……表に出れば逮捕か処刑されるしかないような失敗者の匿い場所としてあてがわれることが多かった。


 そういう者たちは、生涯ただひたすらエキドナを見守り、存在が明るみになることを避けるように努めるばかり。


 それをイリエリヒルトが改変し、毒師ロドリンゲデスを拾って管理者に任じた。

 彼の技術と、エキドナの能力が合わさればあらゆる毒薬を製造でき、それが教会の……より正確にはイリエリヒルト個人の出世のための武器となりえるからだった。


 上手く行っていた途中までは。

 天才を自称するロドリンゲデスはたしかな腕前で、イリエリヒルトが注文した通りの毒薬を短い期間のうちに作り上げた。


 その毒で秘かに始末した人間は数知れず。

 当代の国王すら簡単に排除し、疑われることすらなかったのだから最強無二の切り札を手に入れたはずだった。


 それが今、頼りに仕切っていたはずに切り札が原因で崖っぷちまで追い詰めている。


 まさかロドリンゲデスが暴走し、エキドナを駆り立ててくるとは。


 無論薬師崩れなどを信頼するイリエリヒルトではない。

 ロドリンゲデスに管理を任せながら、いざという時にエキドナを解き放つ教会秘匿の術式はけっして教えたりはしなかった。

 彼女は完全にエキドナを任せきっていたわけではなかったのだ。


 しかしロドリンゲデスは自力で、エキドナを休眠状態から解放し、その上一定の指示に従わせる方法を解析した。

 ただ毒作りだけしていればいいものを、彼の才能はイリエリヒルトの想定を超えたのであった。


「自分以外の人間は皆バカだと思っている。キミのような人間にありがちな間違いだ」


 教皇は冷徹に言い放った。

 イリエリヒルトの失敗を、すべて見抜いていなければ出てこない言葉。


「大魔獣エキドナは、大聖神より賜りし大切な預かりもの。いつの日か、大聖神に逆らう邪神悪魔の大群が蜂起せし時、その相当のために使われる最強の守護神。……であると秘経典には伝わっている」

「……くッ」

「それを私利私欲で利用したばかりか失わせてしまうなど、大聖神への罪深き冒涜。それを引き起こした現況にはいかなる罰も生温い」

「おまッ!……お待ちください!!」


 イリエリヒルトは焦る。

 今回の失敗、そのすべてを自分一人に押し付ける気だと。今のセリフはその意図がなければ出てこないセリフだった。


「お前お気に入りの毒師は捕えられたそうだ。ちゃんと生きてな。王城の奥に押し込まれて我々でももう手出しできん」


 今頃は、すべてを歌っているころか。

 あの薬師崩れに教会への忠誠心などない。本来なら死んでも秘すべき教会との繋がりも何の抵抗もなく吐き散らすだろう。


「王宮の無知なる者たちは、大魔獣エキドナの価値など到底理解できまい。王都を破壊せんとした巨大なバケモノといったところだろう。そんなものを教会が秘匿していたと知られれば、どうなるか……。ただでさえ王家との関係もギクシャクしている情勢で、だ」


 新王となるブランセイウスは、教会との決別を堂々と掲げている。

 今回の事件はそんな彼の方針にこれ以上ない正当性を与えるだろう。


 彼が余勢を駆って教会放逐に動けば、国教という現在の地位を失い、王都からも追放されかねない。


「大聖女よ。お前にはすべての責任を取ってもらおう」

「どういうことです?」

「おや、わからないのか? 賢さ勘のよさはお前の取り柄だと思っていたのだがな? 少ない言葉ですべてを理解できるのではないのか?」


 皮肉っぽい言葉に、イリエリヒルトは屈辱で身を焦がしそうになった。


 もちろん教皇の言わんとするところはわかっている。

 自分に生贄になれと言うのだ。


 今回の事件は、すべて彼女が独断で行ったこと。

 教会に断りも入れず、私利私欲でひそかに行ったこと。教会本体は何も知らない与り知らない。


 すべては彼女の罪で、教会の罪ではない。

 と。


「まあ実際そうなのだから問題なかろう? エキドナ喪失のきっかけを作った大罪人のお前に今一度、最後の奉仕のチャンスを与えるのだ。これほどの慈悲はないと思うが、どうかな?」

「畏まりました。この大聖女イリエリヒルト。大聖教会のためなら地獄の業火に焼かれるとも悔いはありません。この肉体この心、この魂に至るまですべては信仰のために」


 もちろんウソだ。

 イリエリヒルトは生まれたから今日まで、いつでも自分の野心以外を理由に動いたことはない。

 その証拠に……。


「しかし」


 と逆接の言葉を述べた。


「責任の取り方はわたくしにお任せいただきたく存じます。わたくしも大聖女の位を頂いたからには、大聖教会を完璧に近い形で守りたく存じます」

「策があると?」

「失敗してもわたくし一人が責を負うように仕込みましょう。成功すれば、今勢いに乗った王家を叩き潰し、我ら大聖教会が頂点に立つことができる……やもしれません」

「面白い」


 大聖女イリエリヒルト。

 諦めの悪さが最大の長所の女。彼女の悪あがきは何度叩き潰されようと、終わることを知らない。

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― 新着の感想 ―
[一言] 隠せないなら 失態は大きければ大きい程 取り返しが効か無くなる ・・・ 学ぶ機会が無かったのでしょうね ・・・
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