異邦人の騎士として・後
予想外の告白に、ギルベルトは一瞬硬直した。
しかし、発言者であるルカはなんでもないように歩みを進めている。
さくさくと控えめな音を立てる芝生をのんびりと踏みしめ、時折庭の草花を眺めるその横顔には、ひとつの葛藤も見当たらなかった。
「ああ、もちろん陛下はご存じのことだ。グラキエスの神殿長や、その他要職の人間は知っている者もそれなりにいる。まあ表だって言うことでも無いから、一応秘密ではあるのだけれどな」
「……そうでしたか。もちろん宣誓通り、このお話は墓まで持って行きましょう」
ギルベルトからすれば、そう答えるほかにない。一介の騎士の手には余る機密だ。
まさか本当に? などと愚問を差し挟む余地もなかった。冗談で言うような話ではない。
反応に困るギルベルトの様子を誤解したのか、ルカは両手を顔の前で軽く振った。
「ああ、隠し子と言っても、私の父が不貞を働いただとか、そういう話ではないんだ。実際にはもう少し複雑というか。まあ時系列順に話していくか」
「いえ、お家の秘密でしょう。私のような者にそう詳しくお話しいただくわけには……」
「ははは、まあ土産話とでも思って、せっかくだから聞いていくといい。ライア殿下になら話しても構わないぞ」
朗らかにそう言われては、これ以上断るのも悪い気がした。
この場にはルカと自分しかおらず、領主館の家臣たちは、少なくとも見える範囲には一人もいない。
こんな時だからこそ言えること、というものもあるのかもしれない。と、ギルベルトはジェフとの会話を思い出して考えた。
この領地において、第三王子一行は言ってしまえばよそ者だ。その中で更に生粋のよそ者と言って良いのが、異国人のギルベルトである。
ふわふわとした立ち位置の流れ者に出生の秘密を語るというなら、その雇い主であるライアへの信頼も、ルカが仄めかすとおり多少なりとあるだろう。それは王族だからというより、一個人としてのものに思われた。
そうであるなら、自分は望まれる通り聞き役に徹するのみだ。そうギルベルトは腹をくくった。
得意の剣で貢献できそうにない状況なら、他の仕事をするよりほかにあるまい。
黙って頷き返したギルベルトに、ルカは嬉しそうに瞳を輝かせる。
「よしきた。まあ馴れ初めはよくあるやつだったらしい。うちの父とカタリナの父は、若いころにグラキエスへ留学に行っていてな。その学校に、あちらの貴族だった母も通っていたのだ。まあなんやかんやで二人は交際を始めたのだが、母の父、私の祖父は、なかなかの頑固者だったのだという。交際を認められず、父はいったんは帰国した。
しかし遠距離恋愛を続けていた二人は、いっそ孫の顔でも見れば絆されるのでは、なんて考えたそうでな。我が両親ながら随分勢いで生きているとは思わないか」
「思います」
その通りだと真面目くさった顔で頷く騎士に、ルカも真面目くさって頷き返してみせる。
「だろう。結局説得には失敗し、私の存在は隠したきりだったらしい。
一度は駆け落ちも考えたそうだが、祖父は元々病弱で、年齢以上に体が衰えていた。これ以上刺激するのも不安があり、子供……つまり私だ。子供は父の子として育てられることになった。
私の育ての母は、生来子供が出来ない体質だそうでな。父とは幼馴染みで、結婚は双方納得済みでの政略結婚だ。生みの母とも仲は良好だったと聞いている。私を育てることに全く抵抗はなかったらしいな。むしろ愛されて育てられた自覚がある。
生みの母のほうは実家に嫌気がさして修道院に入り、それからも両親はやり取りを続けていたのだが……。
私が七つの頃だ。母が女王に選ばれた。
女王選の詳細は聞いていないが、母としては、それをまさしく天啓として捉えたらしい。自分は我が子をこの手で育てるのではなく、自国と夫の国とを取り持ち、我が子が安全に育つ環境を整えるのだ、と」
語るルカの様子は終始あっけらかんとして、どこか他人事にすら思える。
しかし、己の父と二人の母について語るとき、時折その表情に、懐かしそうな柔らかな笑顔が浮かんだ。
なんとも情熱的かつ行き当たりばったりな恋愛だ、などと、仕事にかまけてそんな話には疎いギルベルトには思えてしまう。
しかし、愛する人と一緒になって子を育てることを諦めてでも、その子供のためならば、離ればなれになろうとその身を尽くすことができる、というのは、話として聞く以上の過酷さがあるに違いないだろう。
「色々と言いたいところもある親たちだったが、彼らは彼らなりに、一生懸命愛情を込めて私を育ててくれた、と思っているよ。
祖父は母が女王候補に選ばれた時に、衝撃のあまり心臓発作を起こして亡くなってしまったそうだから、私の存在を伝えないのは結果的によかったのかもしれない。
そういうわけで、先ほど伝えたとおり、リカイオス領の秘密を知るのはファルシール王国上層部と、グラキエスの神殿上層部だけとなっている。まあ個人的な情報通が知っている可能性もあるが、結局私がリカイオスの正当な血筋であることに変わりは無いからな」
「国の中枢に位置する方々が了承していらっしゃるのなら、問題は無いのでしょうね」
とは返事をするものの、実家はほぼ平民同然の男爵家で、自身は魔獣狩り専門の騎士として生きてきたギルベルトからしても、果たして本当に問題ないのかと内心では首を傾げたくなる。自分の国なら間違いなくお家問題が発生している状況だ。
この国に来てからたびたび感じていたことだが、ファルシール王国の人間は総じておおらかだ。そして、愚かな争いを避ける賢さがある。
これがこの国のあり方ならば、それこそよそ者であると自認しているギルベルトには、何も口を出す理由がなかった。
話をする間に、二人は低木と花で隠された小道を下り、カタリナの家の庭へとやってきていた。
裏口から出てきた執事頭に、ルカが軽く片手を振って応える。それが出迎え無用という合図なのか、執事頭は頭を下げ、すぐに屋敷の中へと戻っていた。
何度も通った道なのだろう。ルカは自宅の庭の延長のように、のんびりとカタリナの家の庭をそぞろ歩きしはじめた。
「まあそういうわけで、私はカタリナとライア殿下の迎えに、ダリア前女王たる我が母の死を悼むため、という名目を追加して行くわけだ。こんな墓参りは自分でも薄情だとは思うのだけれどね。
……私の役目は亡き三人の親の意志を継ぎ、両国間の和平を繋いでいくことだ。しかし、三人と違って、私は愛する人とともに居る道を諦められない」
ルカが足を止めた場所は、白い花畑だった。
腰までの高さの茎の先に、マーガレットに似た花が咲き、潮風に吹かれてゆらゆらと揺れている。
そのひとつを、ルカは傷つけぬよう柔らかにつまんだ。白い花弁を指先で撫で、手を放してまた風に揺られるに任せる。
視線を下げて花畑を眺めながら、先ほどまでより小さな声で、若き領主はぽつりと呟いた。
「ここでよくカタリナと遊んだ。小さい頃に」
返事を求めていないのだろう言葉に、彼の斜め後ろに立つギルベルトは、静かに耳を傾ける。
「いや、今だって二人でたまに散歩でもしながらこの花を眺めるんだが。
……カタリナは昔から聡明でね。この庭の様々な薬草について、幼い頃からよく知っていて、私に庭を案内しながら色々なことを話してくれた。
静かで、柔らかで、穏やかな風に揺れる葉擦れのような喋り方をするんだ。それに今よりよく笑ったように思う。
彼女と過ごすのは、木漏れ日の中で深呼吸するような、そういう時間なんだ。
もちろん今だって素敵な女性だけれどな! 冷静沈着で頼りになる、知的で芯の強い女性だ。それに昔と変わらず、人をよく見ていてとても優しい」
そう語るルカの表情は、自分の出自を話していたときより、よほどいきいきとしている。
これをことあるごとに目にしていれば、なるほど、領主館の面々がああも生暖かい視線で二人を見ているのにも納得だった。
ふと、ルカは緊張も露わに振り向き、ギルベルトと視線を合わせた。
何事かと身構えるギルベルトに、ルカは一度大きく深呼吸をする。
「……これはあくまで個人的な質問で、どう答えるのも正解というものではないのだが、……外部の人間の目から見て、私は領主としてどうだろう? つまり、その、……カタリナという優秀な女性を娶るに、ふさわしいだろうか!?」
まあまあに必死な様子でそう質問するルカに、ギルベルトはがくりと肩から力が抜けた。
端から見て、どう考えても二人は愛し合っている。そしてカタリナが優秀な女性だということにギルベルトも全く異論は無いが、ルカとてそう自分を悲観したものではあるまい。
少なくとも、今回の突発的な事件への対応は、十分に褒められるものだったろう。
自分より十は年下の若者を安心させてやるべく、ギルベルトは努めて穏やかな声を心がけ、大きく頷いて見せた。
「確かにカタリナ殿は素晴らしいかたですが、貴方とて決してそれに劣るような人間ではありますまい。その若さで、既に重責を負う覚悟を決めておられる。
それに、家臣にも民にも愛され、また貴方も愛しておられる。領主として最も必要なことは、それではないでしょうか。
……まあ、私は独身ですから、伴侶となる女性にどう接するべきか、という問題には全くお答えできかねますが……」
おそらく、同じようなことはこれまでにも言われたことがあるだろう。しかしこの場合求められているのは、彼の家臣でない者の、忌憚のない意見である。
特別な知見もはっとするような知恵もない返答だ、と言った本人であるギルベルトは思っているものの、ルカのほうはそれでも幾分気は晴れたようで、ほっとしたのか大きくため息をついた。
「そ、そうか、……そうだろうか。うむ、これからも精進しよう!」
ぱっと浮かべる笑顔は大輪のひまわりのような、明るい輝きを放っている。それ自体が簡単には手に入らない資質なのだと、まだ若い男は自覚していないのだろう。
先ほどまでより幾分照れたらしいルカは、緩く微笑みながら、再び花畑を向いて、白い花を指先でつついた。
そんな子供っぽい仕草を黙って見守ってやりたくなるような魅力が、ルカという青年にはある。この笑顔を守ろうと、家臣達は日々仕事に励み、カタリナもまた幼い頃から努力してきたのだろうとは、恋愛ごとに疎いギルベルトとてこの数日で察していた。
「貴方にとって、カタリナ殿はそれほどまでに大きな存在なのですね」
ふと向けた言葉に、ルカは少し考えるように斜め上を見る。
「そうだな……。ギルベルト殿、貴方は今のような魔獣退治の騎士になると決めた理由はあるだろうか」
「私ですか? きっかけは、そうですね……。家が貧乏領主でしたので、その助けになるかと狩猟を学び始めたことです。もっと根本的な理由としては、父や家族が献身的に、家や領民のために尽くす姿を見ていたからでしょうか……。
騎士となってからは、自分の働きによって、領民や市井の民を助けることが出来ると実感できることが、働きがいとなっているように感じます」
このような答え方で良いのだろうか、と小首を傾げるギルベルトに、ルカは見事な笑顔で頷きを返す。
「さすがギルベルト殿、噂に違わぬ、高潔な騎士だ!
貴方がお父上やご家族の姿を見て育ち、人に尽くす道を選んだように、人間には自分の人生を決定づけるような体験というものがあるだろう。
人によってそれは、素晴らしい人物との出会いであったり、人生が変わるような美しい光景を目にしたことであったり、一生をかけるに値する学問を知ったことであったりする。
私にとっては、それがカタリナだった」
そう言って、ルカはにっと口角を上げて笑った。どこか少年らしい笑顔は、彼の子供の頃を想像させる。
二人の間にあるものは、二人にとってあまりにも強固で、決定的で、それこそが人生なのだ。少なくともルカにとっては。おそらくカタリナにとっても。
それを見せつけられ、ギルベルトは眩しさに目を細めた。
そんな様子には気付かず、ルカは一人頷いて話を進める。
「まあ、こういったことはなにも恋愛に限らないか。主従関係や、徒弟関係にも似たものはある。私もグラウディオ陛下のお人柄に感服し、忠誠を誓っているしな!
ギルベルト殿のような騎士であれば、それこそ仕える相手への忠誠というのは、そう簡単に変わらないものだろう?
ライア殿下は貴方にとって、どのような主君なのだ?」
無邪気にそう尋ねるルカに、ギルベルトは曖昧な笑顔を浮かべた。
この美しい流れでライアの話を出されるのは、何か納得のいかないものがあったが、そう思うのがこの世で自分だけだろうということは自覚している。
ついでに言うなら、カタリナとともに他国へ出奔したライアへの気遣いと一抹の不安が質問の根本にあるだろう、ということも想像はできた。
脳内を巡る思考を纏め、色々と言葉を選んだ後、ギルベルトはゆっくり口を開く。
「……ライア殿下は、噂されるような聖人君子ではありません」
「……そうなのか?」
「ええ。……悪い意味ではありません。あの方は決して、善意しか知らぬ人間ではない、という意味です。
目的のためには、時には策を練り、人心を掌握し、流れを誘導することもある。時に遠回りをし、結果を見れば全てが丸く収まるように動いている。周囲を見回し、要点を押さえ、よい結末を迎えるために全身全霊を尽くすかたです」
「……それは、聖人君子と言っても良いのでは?」
首をひねるルカに、ギルベルトは黙って笑い返した。
全くもってその通りなのだ。ギルベルトとて、あの少年に助けられた時に見たおぞましい笑顔については、ひょっとして演技だったのでは、と思うことすらある。
しかし、ライアの護衛として過ごす日々の中で、ふとした瞬間感じることがあるのだ。これは善意からくる行動ではないのでは、と。
もちろん、ヴォルフを含む古株の従者達も、ライアの異常性はある程度理解している。
それは強すぎる自己犠牲精神であったり、ときに優しさゆえというより好奇心旺盛といったほうが正しい気のする行動力の強さであったり、どんなときでも冷静すぎる強靱な理性であったり。
しかし、その善性を疑う人間はいない。この少年は悪人かもしれない、と疑う根拠がひとつも無いからだ。
悪人かと聞かれれば、ギルベルトも首を横に振るだろう。
あれはもっと邪悪ななにかかもしれない。
しかしその邪悪が聖人の皮を被り、聖人の行いをしている限り、邪悪なものと糾弾する必要はないのだとギルベルトは理解している。
悪意によってなされたことを救うのは、必ずしも善意ではないのだと、身をもって知ったからだ。
「まあ、つまりはライア殿下はお若くはあるが、あらゆる事態を想定した上で、最善をお求めになる。頼りになるかたですよ」
そうまとめたギルベルトに、ルカはいかにも人の良さそうな顔で大きく頷いた。
「なるほど、つまり心配ない、ということだな!」
「そういうことです」
「わはは、ありがとう! ま、それはさておき迎えは急ぐがな!」
同行者が有能だとはいえ、早くカタリナを連れ帰りたい、という感情は変わらないのだろう。それを隠しもしないルカの言葉に、ギルベルトもまた声を出して笑った。
心の底から光に満ちた青年を前にして、ギルベルトは心の底の読めない少年へ思いをはせる。
頼むから、どうか厄介ごとに飛び込んで、またとんでもないことを仕出かしていませんように。
そんなまず叶わないだろうむなしい願いとて、恩人を命を賭して守ると誓った身からすれば、ひとまず祈ってみたくはなるのだった。




