異邦人の騎士として・前
「やられた!」
カタリナとライアの出奔が露見した瞬間、ルカは両手で顔を覆って天を仰ぎ、そう嘆息した。
「やった」人間の身内であるギルベルトとしては、気まずさに視線を逸らすしかない。もっとも、ルカのほうも言ってみれば同じ立場ではある。黙って上司に無茶をされているギルベルトと、黙って部下に無茶をされているルカは、立場的には後者の方が気まずかろう。
お互いの職務上の気まずさはこの際飲み込むとして、この事件はおそらく、それなりに深刻であり対応は急を要した。それなり、で済まされているのは、あいつらなら上手くやりそうだ、というある種の信頼の表れでもある。
事態は奇妙な暢気さをはらみつつも、一大事であることに間違いはなかった。
港町の朝は早い。
この地域特有の昼間の日差しの強さを避けるために、漁師はもちろん、そこら中の商人や主婦や老人たちは、誰も彼もが早朝から仕事を始めるからだ。
領主館にももちろん、その文化風習は根付いている。使用人はもちろんのこと、彼らが仕える主人の起床時間も、一般的な貴族のそれと比べれば比較的早いものだ。
そのぶんシエスタの風習もあるのだけれど、本日に限っては、おそらくそれも短縮されるにちがいない。
なにせ、大切な客人である第三王子ライアと、領主の側近であるカタリナが、朝っぱらからそろって行方をくらませているのが判明したのだから。
といっても、行方も目的もすぐに判明はした。なにせ両者ともに、ご丁寧にきちんと署名を入れた書き置きを残していたのだ。
ライアのものは、自身の護衛騎士隊長へ宛てて。
カタリナのものは、ルカと、部下であるアレサンコ薬師、ゴディネス執事頭へ宛てて。
それぞれ自身の置かれている状況や動機、今後の行動の指針まで、なにもかもを端から端まで几帳面な文字で書き記し、書面での事後報告の上でこの家出を敢行したのである。
おかげでこの事件は突発的でありながら、何が起きたのかも、これからどう対応すれば良いのかも、ある程度明確になっていた。
領主館および第三王子のお付きご一行のうち、主立った面々の集った領主執務室は、南国の穏やかな日差しがさんさんと差し込み、見てくれだけは長閑である。
その日差しに照らされ、ある者は心配そうに両手を握りしめ、ある者は気難しい顔をして、またあるものは困惑を目に浮かべて事態の進行を見守っている。
そしてその中で、第三王子からの書き置きを広げていたひとりの男は、平然とした様子でそれを執務机の上へと置いた。
「殿下はどうやら、このご旅行中に随分羽の伸ばしかたを学ばれたようだ」
深みのある声は厳粛ながら、どこか飄々としてつかみ所がない。
護衛騎士の筆頭であるジェフ・バートレットは、ライアがまだ物心つく前から第三王子の護衛として仕えている、古株の騎士だ。
そのため当然、ライアの人助け趣味に端を発するこれまでのあらゆるトラブルに、護衛の取り纏め役として関わってきた。つまり場慣れしているのだ。
おまけに五十を超える年齢でありながら、対人用の剣技ではギルベルトにも勝る剣の冴えがある。尊敬すべき先達といえた。
「なかなか困ったことになりましたな。しかし今のところ、問題は殿下が果たして女王選の会場で門前払いを食らわず済むのか、という一点かもしれませぬ」
茶化すような物言いでありながら、ジェフの表情は巌のように引き締まっている。予想外の出来事に硬直している雰囲気を解そうという、彼なりの気遣いであることは、この場の誰もが理解できていた。
それゆえに、黙っていたルカもゆっくり両手を下ろし、顔を熟練の騎士へと向ける。
普段の快活さは幾分なりを潜めてはいるが、その瞳は動揺を完璧に押さえ込んでいた。
「……確かに、確かにそう言えるかもしれないな。よし! くよくよしていても仕方がない。切り替えて必要な仕事を済ますとしよう。まずは王家への連絡か……」
予想以上に素早く切り替えてみせたルカに、ギルベルトは内心感心した。
国境の領地を預かる高位貴族として、ルカは十分な教育を受けているのだろう。思い人と王族が想定外のトラブルを起こそうと、彼は長々落ち込んだり呆然としている暇はない。そういう仕事だと理解はしていても、実践している、しかも年若い人間を目の前にすれば、素直に称賛の気持ちが湧いてくる。
ルカが次々指示を飛ばすなか、ライアの従者一行は黙って自分たちがこなすべき仕事について考えていた。
こちらからも王家への連絡はするが、ライアの不始末の後片付けはライアと、その上司であり親である国王が行うものであり、従者の身で率先してでしゃばることではない。ライアとヴォルフにまんまと護衛を撒かれてしまった失態に対する反省も、今現在何よりも優先すべき事柄とはいえないだろう。
主君を欠いた家臣達が真っ先に行えることは、ひとまず領主側と協調しつつ、出て行った二人へ迎えをよこす程度のものだ。
しかしながら、次期国主選定の真っ最中という非常事態の中、家出した未成年の王族を保護するためとはいえ、ほいほいと国の中枢へ迎えに行くというのはある程度困難があるだろう。
まずは王家からの許可をとり、隣国へそれなりの便りや遣いを出し、実際に訪問が出来るのはそれからと考えたほうが良い。
そのあたりの調整をどうするのかは、領主と王が決めることになる。
客分として護衛に付いてきているだけのギルベルトは、今回は指示をされる側でしかない。
……ということになっていたなら、仕事としては楽なものだっただろう。しかしことはそうは運ばなかった。
数時間前のことである。
最初に露見したのは、ヴォルフの不在だ。
メイド達と連携してライアの身の回りの世話を行うヴォルフは、毎朝仕事が待っており、早くから起きてくるのが常だ。
幼少期ならまだしも、ここ数年は寝坊をするなんて失態もすっかりなくなった優秀な少年執事であるヴォルフが、今日は随分起床が遅い。
急な体調不良かと心配したメイドがヴォルフのベッドへ声をかけるも、そこに寝ていたのは、クッションを丸めて作ったダミーだった。
ヴォルフ一人が個人的判断でどこかへ抜け出した、と考えるよりは、まだ誘拐やライアの無茶振りに付き合っている可能性のほうが高い。
慌ててライアの寝室を見てみれば、そこにも同じように布団にくるまれたクッションがあり、枕元で例の書き置きが発見された。ちなみに文末には、ヴォルフからの迷惑をかけて申し訳ない、という書き込みもあった。
そこで一旦書き置きの内容が周知され、王へ送る文面の作成および、王子を迎えに行く人間と領主館で待つ人間を分ける作業が同時進行されたのである。
当初ギルベルトは他国人であることと、ライアの正式な家臣でないことから、領主館に残るだろうと思っていたのだが、そこに鶴の一声がかかった。
「ギルベルト殿、殿下への迎えには、貴方が行っていただけますか」
「私が……? いえ、はい。拝命いたします」
今回の件で、ライアからの手紙には、ジェフに裁量を任せると書いてあった。
それゆえてっきり、ライアを迎えに行くのはジェフだろうと思っていたギルベルトの、自分がその役に任命されたことへの困惑はそれなりのものだ。
とはいえ、年長者であり、上司ともいえ、尊敬する騎士であるジェフがそうして欲しいというのなら、ギルベルトとしては断る理由もない。
他の護衛に比べてギルベルトの立場は少々ややこしいものではあるのだが、それこそ王からの許可でもあればどうとでもなるものではある。
当然のことながら、迎えに行くのはギルベルト一人ではない。領主を筆頭とした領主館側の人間と、王子の従者側からの数名。そのなかで、ギルベルトに期待される役割というのはなんなのか、という思惑を知りたくはある。
それが顔に出ていたのか、それとも年長者としての経験故か、ジェフは僅かに頷いて、静かな目でギルベルトを見つめた。
「正直なことを言いましょう。殿下の類い希なひととなりをご幼少のみぎりから見守らせていただいた身として、こういったことはいつか起こるだろうと思っておりました」
そう言うジェフの言葉に、周囲の他の従者達もまばらに頷く。
いつかやると思っていた、というのは、正直ライアに仕える者の共通の認識である。
あれほど自己を省みず人助けに奔走する人柄だ。それでいて、周囲へなるべく迷惑と心配をかけぬよう気を配る人間でもあるわけだが、多少の暴走癖が無かったとは言えない。
自身の立場の重圧が目に見えて感じられる王都から遠い土地で、初めて家族と離れて旅行をする開放感から、普段から高すぎる行動力が斜め上の方向へ突っ走っても不思議はなかった。
「いつも我々家臣を慮ってくださるライア殿下の、めずらしい我が儘です。きっとご本人なりの葛藤もおありでしょう。
だからこそ、殿下を迎えに行く人間のなかには、我々家臣とは少し違う立場の人間もいて欲しい。そのほうが、殿下のお心も和みましょう」
そう言うジェフの表情は厳めしいが、大人が子供を労る慈悲が滲んでいるように、ギルベルトには見えた。
言い分は分かる。随分規模は大きいが、言ってみれば今の状況は良い子として生きてきた十歳の少年の、初めての家出だとか冒険だとか、そういった出来事なのだ。
迎えに行くのが幼少期から世話になっていた年配の騎士ではなく、客分であるギルベルトのほうが、ライアからすれば気まずさは少ないかもしれない。そういう気遣いなのだろう。
出会いが出会いだけに、ライアを少年というより得体の知れない生き物と思っている部分のあるギルベルトからは、出ない発想だ。
実際、王子が我が儘を言う相手はひどく少ない。家族相手であればそれなりに気の置けない態度をとるものの、他の貴族や使用人相手には、ほんの小さなころからお手本のような王子としての態度を崩さなかった。
その例外が、幼いころから側に居るヴォルフと、他国から招いた「友人」であるギルベルトだ。
端から見れば、危難を救われた恩返しにと王子に仕えている騎士と、その騎士の勇猛さに年相応の憧れを抱き懐いている微笑ましい王子、という間柄と受け取られていることは、ギルベルトも承知している。
実際のギルベルトの内心は、恩返しが九割、この得体の知れない子供を野放しにして良いのかという危惧が一割、といったところなのだが、そこは誰にも知られずともよい話だろう。
諸々の感情と思惑を飲み込み、ギルベルトは改めて、家出少年の迎えという任務を引き受けたのである。
そういった経緯を経て、ギルベルトは領主であるルカの率いる、ライア・カタリナ両名を迎えに行くための部隊の一員となった。
一通りの仕事の振り分けが終了した領主室には、現在その少数精鋭部隊と、居残り組をとりまとめる領主館執事頭のアルキスが残っている。
王からの返信は、専用の高速飛行できる伝令鳥を使い、かつ即答が来た場合でもこれから二日はかかる、という目算だ。
それまでに旅の準備を整え、王から許可が出たのと同時に、隣国へ訪問の知らせを送り自分たちも出立する。というのがルカの立てた大まかな計画だ。
つまり、グラキエス国から訪問の許可が下りる前に、先んじて入国してしまうつもりだということである。
果たしてそれが政治的に問題ないのか、ということは、こういった経験に疎いギルベルトですら気になる点だった。
他の王子側の従者達も似たり寄ったりの困惑顔をしているが、領主側の人間は、誰しもこれを当然と思っているようだった。
それを不思議に思うギルベルトに、ルカが様子を察して口を開く。
「……ああ、そうだった、そちらにもある程度事情を話しておいたほうが良いな。さて、これは多少機密に触れる問題になるのだが、そちらから一名選ぶなら……、ギルベルト殿でよいだろうか?」
他の護衛を差し置いてギルベルトが選ばれた理由は明白だ。
ファルシール王国における王太子以外の王子の従者というのは、ジェフのような、あるいはヴォルフのような例外を除いて、一定周期で異動することになっている。
これは元々、王族間での謀反の可能性を減らすため、閉鎖環境になりにくい状況を作るという目的から生まれたものだ。現在ではただの研修制度のようなものになっているため、生涯仕える相手を決めて異動を断ることも出来るが、ライアは可能な限り様々な人間を見たいという目的のために、異動を推奨していた。
数年後に異動するだろう相手より、ライアに恩返しのため忠誠を尽くしている、という立場であるギルベルトを、機密を話す相手に選んだというわけだ。
あらかたの業務を終えたあと、ギルベルトはルカに誘われて庭へと出た。
傾いてきた日差しの中、館の裏庭を歩きながら、ルカは早速話を始める。
「いや、私としてはたいした話では無いのだがな。まあ家としては守らねばならない情報であるから、知っている人間は限られていたほうが良いんだ。というわけで、口頭ではあるが、秘密を守ると誓ってくれるか」
「もちろんです。我がダーミッシュ家の家名と、この剣に誓って」
鞘ごと持ち上げた剣を胸元に掲げてそう宣誓したギルベルトに、ルカは朗らかな笑顔を浮かべて頷きを返す。
そうしてごくごく気安い様子で、こんなことを言い出した。
「実は私は、先代リカイオス領主であるカミロ・リカイオスと、先代グラキエス国女王、ダリア・グラキエスの子なんだ」




