悪い方向に転がるのはお約束
カタリナさんの宣言に、ルカさんがぱとぱちと瞬きをする。
何を言われたのか理解できていない顔だ。
でも俺もわかるんだよなあ。カタリナさんが王都への離脱を断るの。
数秒おいて再起動したルカさんは、キッと眦をつりあげてカタリナさんを見据えた。
しかしカタリナさんも負けていない。本日も氷のごとき美貌は絶好調である。
「なぜそのようなことを言うのだ!」
「そもそも私が狙われると決まったわけではありません。
むしろ旅行に来ている王子が突然王都へ戻るうえに、そこへ同行することで、女王候補探しをしている者達の注目を集めてしまう可能性もあるでしょう」
「む……。しかし実際に目をつけられていた場合、行動を起こすのは早いほうが良いではないか」
「相手の出方もわからない状態で殿下を巻き込むつもりですか?」
「王族がそばにいる状況であれば、相手も下手なことはしてこないだろう」
「では案内役として殿下のお側にいる現状でも十分でしょう」
「グラキエス国から物理的に距離をとったほうが安全性は高いはずだ」
「王都にもグラキエスのスパイは当然いるでしょう。グラウディオ陛下のお膝元となればこちらより動きにくいにしても、危険性としては大した差はないのでは?」
「ぐぬ……!」
いかにもレスバの弱そうなルカさんは案の定追い詰められ、雨でぬれた犬のようなしおしおした視線でこちらへ助けを求めてきた。いやこいつ10歳児に対して簡単に縋り付くんじゃないよ。
まあしかし、俺を子供扱いする人間なんて、案外少ないもんだからな。
例えるなら飛び級で大学に行っている10歳の少年がいたとして、彼をおおっぴらに子供として扱うかという話だ。ある程度の配慮はするだろうが、一人前の人間として扱うほうが相手を尊重していると感じる人が多いんじゃないかな。
俺の場合、立場やら昔解決した事件やら普段やっている公務の影響もあって、当然のように大人の社会の一員として扱われることが多い。
そのほうが俺としてもありがたいので、この風潮は今後も続いてほしいものだ。
という話はさておき。
この場に残りたい俺としてはカタリナさんの決断を無条件に後押ししたいが、一応義理としてルカさんの援護もする必要があるだろう。
この場に諜報のプロはいないが、戦闘員として経験豊富なギルベルトさんに意見を伺ってみようじゃないか。
「ギルベルト。仮に貴方が誰かに危害を加えるとして、居住地と移動経路ならどちらを選びますか?」
そう尋ねられて、ギルベルトさんは少し考えた後、淀みなく話し始めた。
「俺はあくまで魔獣退治が専門であって、対人戦、それも要人を襲撃をするというのは専門外だ。それを念頭に置いて聞いてほしい。
簡単な説明になるが、まず相手の巣……、住処の周辺で罠にかけるということは、気を抜いた状態を狙えるメリットはあるが、違和感に気付かれやすいし相手に土地勘があるのがデメリットだ。
対して長距離の移動中を狙うなら、相手もある程度の警戒はしている。しかし旅程を事前に知れているなら、こちらが有利になる地形で戦闘を仕掛けられる利点がある。途中で相手の戦力が増員される可能性もほとんどない。
今回は騎士や兵士ではなく諜報員が相手になる可能性が高いのだろう? それならば、正面から貴族の屋敷を襲撃する、あるいは忍び込んで罠をはるより、強盗か何かのふりをして移動中を狙って襲うほうが、リスクが低いのではないか」
それな~。俺はギルベルトさんにうんうん頷いた。
仮に相手が、俺という王族が同行してようが構わねえぜやっちまいな! という危険思想だった場合の想定だけれど、直接的な危害を加えられる可能性は、警戒してホームに引っ込んでいる場合のほうが少なそうではあるよね。
もちろんここに残るのも危険ですよ? 例えばターゲットのそばに2、3世代くらいかけて近づき、いざとなったら毒でも盛るようなガチガチの潜入工作専門家が周囲に潜んでいたなら、どんなに警戒していようがほぼ無意味だ。
誰が敵なんだかわからんので、カタリナさんの王都への移動に付き添わせた人材がそいつだった場合、もう詰みである。
なんにしろ現状では、対策を立てるだけの材料が無さすぎるんだよな。
だから早く行動を起こすべきというルカさんの意見も、様子を見たいカタリナさんの意見も、どちらも間違っちゃいないだろう。なにが正解なのかは結果が出たあとにしか分からない。
二人ともそれは分かっているだろうから、落としどころを探るしかない。
睨み合いを続け、先に折れたのはルカさんだ。
「……わかった。埒が明かない。しかし俺はきみが心配なんだ。せめて護衛をつけさせてはくれないか。それと、家に怪しい奴が近づかないよう、うちの隠密を近くに待機させてくれ」
「むしろきな臭くなっているのならあなたの守りも固めるべきだと思いますが……、仕方がありません。吞みましょう」
「よし。そうと決まれば人員の選定をしなくては。明日には護衛を付けるからそのつもりでいてくれ!」
そう言っていそいそと立ち上がるルカさんへ、カタリナさんは今度は反論せず深々と礼をした。
俺は彼が立ち去る前に、背中に向かって声をかける。
「それではギルベルトを連れて行ってはいかがですか? きっとお役に立つでしょう」
急に仕事を増やされたギルベルトさんだが、文句は言わない。建前では俺の友人ということになってはいるが、事実上部下なので基本的に従ってくれている。
ルカさんもぱっと振り向いて頷きを返した。どうでもいいけどこの男、たったこれだけの動作にすら爽やかさが滲むという、前世は真夏の入道雲でもやっていたのかという人物である。
「ああ、それはありがたい! 屋敷の警備兵やライア殿下の警護との兼ね合いもあるからな、そちらの人員とも話をする必要はあるだろう。
それに彼ほどの戦士から意見を聞けるというのは、貴重な機会だ!」
そうだろうそうだろう。ギルベルトさんは王城に詰めてる騎士と比べてもちょっとレベルが違うくらいのやばい達人だからな。
まあそんなわけでルカさんが家令さんやギルベルトさんを連れて退室し、部屋の中には俺とカタリナさん、ヴォルフ、そのほか使用人の方々が残った。
この状況で仲良くお話するのはなかなか難しいものがあるが、じゃあ即解散ってのは、それはそれでモヤッとするというもの。
さて、いったいどんな話を振ったもんだか。
少し考えこみ、俺は相手を思いやって無理に浮かべたような、すこしだけぎこちない笑顔でカタリナさんを見つめた。この場にギルベルトさんがいたら白々しいなこいつとか思われたんだろうな。
「妙なことになってしまいましたが、リカイオス辺境領は兵の練度も高いように見えますし、きっと領主館やその周辺に曲者が侵入する難易度は高いですよ」
あくまで彼女とルカさんを労るていで話しているが、まあ実際には侵入してくれたほうが当然嬉しい。とはいえ、言っていることも嘘ではない。辺境領というのは国境沿いであるため、当然元々戦争にも諜報にも備えておくのが常識だ。当主のルカさんが若者とはいえ、先祖代々そのあたりは変わらず運営されていることだろう。
「ええ……、もちろん、その通りですね」
同意するカタリナさんは浮かない顔である。そんなことは地元民兼貴族であり、領主の側近である彼女には言われるまでもない話だもんね。
うーん空気が重い。お通夜とまではいかんものの、まあまあにシリアスである。
べつに俺は雰囲気がズッシリしていようがピリピリしていようが楽しめるほうではあるものの、せっかくなのでこの機会をカタリナさんの好感度上げの場として生かしたいものである。
というわけで、次は若干話題を逸らすとしよう。俺はカタリナさんの方へ身を寄せ、こそこそと耳打ちした。
「ルカさんは、カタリナさんのことがとっても大切なんですね!」
無邪気さと好奇心を装い、秘密に気がつきました! みたいな顔してにこりと微笑む馴れ馴れしさは、子供でなければ許されないムーブだろう。
カタリナさんは一瞬きょとんとした後、小さく微笑んで俺の耳元にだけこっそりと告げる。
「そうかもしれませんね。……過保護なくらいに」
そう言う彼女の表情は、いつもの氷のような印象が薄れ、冬の晴れた日のように柔らかい。
二人の関係の美しさをそのまま表すような、穏やかで愛情に満ちた表情だ。
いいね。こういうの好きだよ。二人の周囲にほんのり暗雲が立ちこめ始めている現状も含めてそりゃもう大好きだよ。
内緒話のために近づけていた姿勢を元に戻し、俺は相手を元気付けようとするように、にっこり笑ってみせる。
「大切な人がいるのは、とても素敵なことです! 僕も微力ではありますが、二人に力添えできるよう、頑張りますね!」
ハキハキと元気よく、心の内のわくわく感はあくまで隠さず表に出す。俺の言葉にあからさまな嘘がないのはいつものことだ。二人を思う気持ちは本当だし、前途が多難であってほしい気持ちだって本当なのである。うーん最低だな。どのツラ下げて応援してるんだか。
俺の動機はさておき、言葉そのままに受け取ってくれたらしいカタリナさんは、擽ったそうな微笑みを俺に返してくれた。
「ありがとうございます。もったいないお言葉です」
まあお返事はまだ固いけれど、きっと好感度は少しは上がっただろう。
さて。ルカさん達の話し合いはまだまだ終わらないだろうし、カタリナさんは薬師としての仕事もある。ずっと二人で部屋に陣取っているのもなんなので、空気が和んだところでこの場は解散となった。
領主館の中はそれなりに好きに歩いて良いことになっているため、目下休暇中の身である俺としては、自前の使用人も領主館の使用人も引き連れて、遠慮無くちょっとそのへんを散策することにしよう。
前庭を歩けば坂の下に広がる町並みと広大な海が見え、中庭に行けばこの地方ならではの南国の植物が美しく配置され、建物は眩しい日差しを受けて輝き、窓辺で寛げば、少し離れた城下で暮らす人々の声や生活の音が、潮騒とともに微かに聞こえてくる。
この町は本当に美しい場所だ。
ここを守ろうと奮闘するルカさんと、それを支えるカタリナさんが懸命になるのも当然のことだろう。
俺ももちろん王族として、民草の安寧を祈るこころがある。本当です。嘘じゃありません。
まあそういうわけなので、カタリナさんに言ったとおり、俺は俺なりにできることをしておくとしよう。
籐で編まれた窓辺の寝椅子で寛ぎながら、俺はいつも通り傍らに控えているヴォルフを、手の動きだけで呼びつけた。
「いかがなさいました?」
周囲に気を遣う話題かと察し、ヴォルフはすぐ側に跪き、普段より幾分声を潜めて話しかけてくる。今日は内緒話をしてばかりだな。
「うん、ひょっとして心配しすぎかもしれないのだけれど、念のために準備しておきたいことがあるんだ。少し頼まれてくれ」
「承知いたしました」
俺のお願いに、ヴォルフは一呼吸も開けずに即答した。彼はこの歳で既に側近としての覚悟がバリバリに決まっているので、俺の真面目なお願いは大抵内容を聞く前から引き受けてくれる。
忠臣がいるというのは本当に素晴らしいことである。俺みたいに、自力では出来ることの少ない子供の身ならなおさらだ。
「いま僕に出来ることは、これくらいしかないからね」
面白半分心配半分に、窓の向こうの空を流れる雲を眺めながら、俺はぽつりと独り言をこぼした。




