第三話・弟の誤解
部屋に入って来た弟は深く澄み切った蒼い目を彷徨わせた。その視線が本棚の前に立っている私の姿を捉えると、即座に居住まいを正し大きく頭を下げた。
「ごめんなさい!兄様!!」
体を強張らせながら、大きな声で謝る姿が痛々しい。
私はサフィールの元に行くと、腰から直角に降ろされたままの彼の肩にそっと手を置き、顔を上げるよう促す。
「サフィールに対して怒っているわけじゃない」
恐る恐る上げられた弟の顔はどこか怯えに彩られていた。
その表情に兄としての感情が乱される。ああ、5歳から目覚めたとしても『私』の記憶があっても私としての家族の情と認識はきちんと存在しているようだ。
しかし、この状況を作り出した侍従の服を着た屑男と侍女の服を着崩した塵女はポカンと間抜け面を晒したまま、此方を見下ろしている。つったまま動かない二人の態度に腹が立つ。
「レベルが低いと言ったのは、そこで突っ立っている二人に対してだ。マーシャ、この愚物と塵は何者だ?」
できるだけ煽りを加えた傲慢な口調で訊ねる。
5歳児の口調を真似るのは、精神的に辛いから貴族口調にしてみた。
訊ねられたマーシャは私の『意識』を感じ取り、すっと気を引き締めて美しい姿勢でお辞儀をする。
「新しく入りました侍従候補のジョルジオさんと私の先輩侍女のキャリーです。
サフィール様付きの侍女が長期休暇に入ったのを期にアガネット伯爵の紹介で彼が専属となり、彼の推薦で彼女が同時に任につきました。
ちなみにジョルジオさんはダイエリ子爵家の三男です」
ああ、なんか陰謀くさい。
自分の眉間に皺が寄るのがわかった。
「長期休暇?」
「産休です。家族計画に失敗したそうです」
うん、めでたい事だけどそのせいで害虫か家に入るのは好ましくない。
とは言っても、妊婦さんに復帰を願うのもの酷な話だろう。
次男とは言え有力な跡継ぎ候補のサフィールにこんなゴミ屑を付けた事に理由があるのかもしれないが、生まれ変わった私と同い年の弟にこれ以上負担をかけるのはいただけない。
「父上とブライアンに言って彼等をサフィール付きから外して」
ブライアンは当家を管理する執事だ。
この二人に言えばこの最悪な状況も改善されるはずだ。
「僕は伯爵様の推薦されてて、公爵様が雇用しているんだ!公爵様の認めを覆すつもりか!!」
私の言葉に愚物……ジョルジオが喚き散らかす。
「だから父上と執事を通しているんだが?」
私は大きく溜息をついてから、頭が悪いのか?とニュアンスを込めて答えた。
彼かぐっと息を詰まらせると、今度は愚物2号……キャリーがサフィールに泣きついた。
「サフィール様、お助けください!アレキサンドル様は邪魔な貴方とともに我々を追い出すつもりです」
はあ?何を言っているんだ、この女。
私が排除しようとしているのはお前ら2人だけだぞ。
「なぜサフィールを追い出すなんて話になる?」
「それは……」
私の疑問に反応したのは、私の目の前で表情を暗くさせて顔を伏せていたサフィールだった。
彼は少しの逡巡のあと、こぶしを握りしめ、意を決して顔を上げた。その眦には涙が滲んでいる。
「それは僕が兄様がだめな時のために引き取られたから」
……なんですと?
「じゃないと同い年の兄弟なんて、ないって」
こいつら、可愛い弟に何吹き込んでんだ!
どうみたって、サフィールは両親両方の血、ひいてるだろ!!顔は父上そっくりだし、瞳と髪は母上がもつ珍しい蒼だぞ!!
「サフィールは間違いなく父上と母上の間に生まれた弟だ。私が1月、お前が12月だからおかしいことなど何もない。
第一、顔立ちと色から鑑みて父上と母上の子供以外にありえない」
冷静に否定する私に、サフィールは大きな目を涙で潤ませ、嬉しさいっぱいに笑った。
うわ、何、この子可愛い。親友がイチオシするのが理解できるぞ。
「それに私には赤ん坊からの記憶がある。
私の魂が目覚めてないと判断されたあと、両親二人と私が残された部屋で母上は『もしものためにもう一人頑張りましょ』と父上を長椅子に押し倒してことに及んでいた。だから大丈夫だ」
おかしいな。なぜか、マーシャが弟の耳を塞いでいた。