第5話:夢言と武技と魔物
「後ろに下がってッ!」
リリルが腰の鞘に差していた剣を勢いよく抜き放ち、啓吾と魔物の間に立つ。
(おいおい、犬好きの俺でもあれは無理だわ……あれもさっきのヤツと同じような怪物なのか?いったいあれは何なんだ?)
未だお互いに探るように間合いをとりつつあるリリルと魔物を見ながら、魔物を観察する。全体は黒がかった紫色をしており、ライオンのような鬣のようなものがある。目は白く、友好的な意思疎通ができそうには全く感じられない。そして問題はその大きさであった。大きさは人が二人は乗れるかというほどであり、その体格と同じように大きな爪や牙からは人間であれば一瞬で死に至らしめるであろう恐怖を感じ取れる。
恐怖で後ろに下がった啓吾の頭に、ゲームのような音声が広がる。
『夜(YORU)内で初めて敵性対象と戦闘を開始しました、チュートリアルを開始します。《YES》or 《NO》?』
一瞬の間――、
「はぁっ!? ちょっ、ちょっと待て。なんだあんたは、というかチュートリアルってなんだよッ!?』
突然の謎の声に啓吾が動揺していると、
「なにごちゃごちゃ言ってるのよ、来るわよッ! 下がってなさいッ。」
いつの間にか涎を垂らしながら大口を開け突撃してきていた。啓吾がうわっと叫ぶと同時に、リリルが剣を使って魔物の爪をはじく、――そしてすれ違いざま回転を加え、剣を犬の頭蓋に叩き込んだ。ヒュンという風の切れる音が聞こえ頭蓋に吸い込まれるかと思った剣だったが、魔物が身を翻したため頭蓋ではなく鬣の部分へと吸い込まれていく。
ガキン、というフワフワしてそうな鬣からは似つかわしくない音が立ち、剣が弾かれる。剣が弾かれた勢いのまま、リリルが小さく舌打ちをしながら後方へバックステップし、再度間合いをとる。
『フゥウウウウ……ハァアアア……』
魔物も先ほどの攻撃が回避され、反撃されたためか、先ほどよりも警戒し間合いを測るように俺たちの周りを回り始めた。
「おいおいおい、大丈夫なのか?」
「ええ、大丈夫。ただやっぱりさっきのゴブリンみたいに通常の状態では攻撃が聞かないみたいね……」
こちらの問いに答えながら、油断なく剣を中段に構え、魔物と睨みあう。しかし、大丈夫だと言いながらも、首筋から一筋垂れる汗からリリルの緊張が感じられ、余裕がないことが伺えた。
(まずいまずい、どうやったってあんな化物に女の子がかなう訳ないだろ、なんとかしないと)
何か方法はないかと周囲を見渡す啓吾の頭の中で再度声が聞こえる。
『夜(YORU)内で初めて敵性対象と戦闘を開始しました、チュートリアルを開始します。《YES》or 《NO》?』
「だぁあああ! なんだそりゃ意味分かんねぇ、チュートリアルってなんだよ! それに襲われてるのはこれが初めてじゃないし二度目だぞッ!」
得体の知れない声の気味悪さから耳を抑え頭を振るが――
『逃走せず戦闘開始したのは初めてです。チュートリアルを開始します。《YES》or 《NO》?』
(なんだそりゃ……確かに今は逃げてはいないけどこういうことは訳も分からず逃げてるあの時に教えてくれよ。何にしても今の俺にできることはない、とりあえず何かこの状況を良くする方法があるなら聞くしかないか。)
「きゃあッ!」
謎の声について考えている間に再度魔物がリリルに攻撃をし始めている。先ほどのような勢いだけの攻撃ではなく、少しずつ相手の体力を奪うような攻撃だ。今のところはリリルもうまく回避し、ケガはしていないようだがこのままではどうなるか分からない。
チュートリアルという割には不親切だとも感じられる謎の声へ悪態をつきながら、他に方法もないためチュートリアルというものを開始する。
「分かったよ、チュートリアルを開始してくれっ!」
『了解、チュートリアルを開始します。』
謎の声が再度頭に響く。
『貴方の精神はこの世界、<夜(YORU)>にとらわれました。この世界で貴方が死ねば現実の貴方も死にます。そして死なないためには目の前の魔物、《ナイトメア》を倒す必要があります。魔物に向けてユニークスキル《鑑定》を実行して下さい。』
色々と穏やかでないことが告げられる中、とりあえずは今の状況をなんとかするため、言われた通り《鑑定》というものができるのだと意識して観察すると何かが見えてくる。
『ダークストーカー 名前 なし
状態:興奮(中)
HP:75/75
筋力:30
防御:30
敏捷:40
スキル:《毒攻撃》』
『ミラス族 名前 リリル
状態:《正当防衛》
HP:35/40
筋力:10(12)
防御:10(12)
敏捷:25(30)
スキル:《正当防衛》《正義執行》』
(なんだこれ……本当にこれだけ見たらゲームみたいだな。しかしMPとかないのか? さっきリリルは魔法みたいなの使ってたけどMPみたいなものはないな……。)
「《我に》《力を》!《我に》《速さを》!」
リリルの言葉により先ほどのようにリリルの身体が光る。それと同時に端正な顔を歪め、少し息が荒くなっていく。
『ミラス族 名前 リリル
状態:《正当防衛》《筋力向上》《敏捷向上》
HP:15/40
筋力:10(42)
防御:10(12)
敏捷:25(60)
スキル:《正当防衛》《正義執行》』
(なんでHPが減るんだ……?パワーやスピードは犬を上回ったけど大丈夫なのか……?というかこういうステータスが出るなら俺自身も見れるのか?)
リリルのステータスに疑問を感じながら自身のステータスを確認する。
『人族 名前 ?
状態:異常なし
HP:68300/68300
筋力:2
防御:5
敏捷:5
スキル:《鑑定》《自己犠牲》』
「ぶふぉっ!?」
自身のステータスを確認し、そのHPの多さに驚愕する。
(うわ、本当に出た。というかHPはいいとしても他が低すぎないか? しかも名前『?』ってなんだこれ。)
「はぁあああッ!!」
自分のステータスに困惑していると、リリルが犬に突っ込んでいた。先ほどよりも一層速く流れるような剣が魔物の鬣に吸い込まれる。
『ギュォオオオオッ』
今度は剣が弾かれることなく、魔物の身体から血が噴き出す。そして先ほどまで押され気味であったのが嘘のようにリリルが魔物を圧倒していく。
魔物に最初のような勢いもなく、身体から血を流しながらヨタヨタと魔物が後ずさる。
これならばリリルが勝つだろう、先ほど《鑑定》で見たリリルのHPから減っておらず、逆に魔物の体力は既に僅かとなっている。
「もう少しっ! せやぁッ! ――ッ!?」
後ずさった魔物にとどめを誘うと突きを放ったリリルに、窮鼠のように魔物が襲いかかる。
剣が魔物に突き刺さるのと同時に、どす黒い色をした爪がリリルの腹部をかすめる。魔物がズンと倒れると同時に、リリルも腹部を抑えながら座り込む。
「お、おいっ、大丈夫か!?」
急いで傍まで駆け寄ると、リリルは脂汗を流しながら顔を歪め、吐血した。
「どうなってるんだ!?」
もう一度リリルの状態を確認する。
『ミラス族 名前 リリル
状態:《毒(中)》
HP:3/40
筋力:10
防御:10
敏捷:25
スキル:《正当防衛》《正義執行》』
啓吾の背中にゾワリとしたものが走る。
(まずい、《鑑定》にあった魔物の《毒攻撃》か、HPが0になると死ぬとしたらこのHPじゃまずいんじゃないか?)
「おい、毒をなんとかできるものは持ってないのか、周囲に何かないかッ?」
毒の対処についてリリルに問いただしても、毒によるものか真っ青な顔をして呻くのみで返事がない。
「ちくしょう、こんな訳分からん展開でこんな可愛い子死なせてたまるかよ、まだ何も恩返ししてないんだぞ!」
何もできない自分に歯ぎしりしながらどうしたらいいのかと頭を抱え――、
「そうだ、さっきの頭で訳わからんこと言ってたチュートリアル! おいっ! 毒になってるのをなんとかしてくれよ!」
必死になって叫んだ啓吾の頭に先ほどの声が聞こえる。
『戦闘終了を確認……、本来であれば貴方が戦い、戦闘を通して夢言や武技についてチュートリアルするところでしたが、第三者により戦闘が省略されましたのでチュートリアル方法を変更します。――確認しました、貴方が希望する毒の治療を通して夢言についてチュートリアルします。毒の治療のために夢言を使用して下さい。夢が現実になれと願うように、言葉に思いを込めて《毒よ》《去れ》と唱えて下さい。』
色々と訳が分からないこともあるが、リリルのHPが3から2になったため急いで言われた単語を必死に唱える。
「《毒よ》《去れ》!」
先ほどのようにリリルの身体が光輝き、毒に顔を歪めていたリリルの顔が柔らかくなり、小さく寝息を立て始める。そしてそれと同時に自身の大切なものが急激に奪われていく感覚に襲われる。
「うぉおお!?」
時間にすると一瞬だったかもしれない、先ほどの不快感はすでにもうないが確かに自分は何かを奪われた。
何が起こったのかは分からないが、急いでリリルのステータスを確認する。
『ミラス族 名前 リリル
状態:《睡眠》
HP:2/40
筋力:10
防御:10
敏捷:25
スキル:《正当防衛》《正義執行》』
状態に毒という文字がないことを確認してドサッと倒れこむ。
「良かった……よく分からないけど毒はなくなったみたいだ、顔色も元に戻ったし……ん?」
自身のステータスに変化があった。
『人族 名前 ?
状態:異常なし
HP:63300/68300
筋力:2
防御:5
敏捷:5
スキル:《鑑定》《自己犠牲》』
「なんで俺のHPがこんなに減ってるんだ……?」