この想いは②
(私は、どうしてこの場にいるのだろう)
アンジェリカは、この心地の良い椅子に座らされてからもう五度は呟いている疑問を、再び頭の中で繰り返した。
ここがどこかというとブライアンの妹セレスティアの屋敷で、更に詳しく述べれば、その美しい庭を楽しむために設えられたあずまやの中だ。アンジェリカの他に、コニーとセレスティア、そしてエイミーが、紅茶とお菓子が用意された卓を囲んでいる。
エイミーは、セレスティアの慈善事業で知り合った女性だ。彼女は幼い頃に孤児となり、セドリック・ボールドウィンの屋敷にメイドとして引き取られ、紆余曲折の末、彼の妻にと望まれたのだそうだ。控えめだけれども行動的な人で、セレスティアと共にいくつもの事業に携わっている。が、夫のボールドウィン伯爵は彼女のことを溺愛していて、慈善事業への参加そのものは応援してくれているものの、あまりに外で過ごす時間が増えると拗ねてしまうのだという。
この顔合わせで集まることは、そう珍しくはない。お茶会と称してセレスティアがしばしば呼び寄せるからだ。
今日も今日とて、店が開く前に彼女からの遣いが訪れ、昼休憩の時間に来て欲しいと誘われたのだ。
未解決の懸案事項を抱えていたアンジェリカは、断るつもりだった。いや、断った。けれど、昼休憩に入るなり、有無を言わさずコニーに引っ張ってこられてしまった。
(今日、なのに)
華奢な造りのカップを手にして、アンジェリカは唇を噛む。
『僕はあなたを愛しているんだ。女性として』
先一昨日の夜、ブライアンはそんなことを言うだけ言って、帰って行った。あれ以来、その声その台詞が終始彼女の頭の中で木霊している。
(……愛している……?)
確かに、以前にも、その言葉をブライアンの口から聞いたような気がする。でも、社交辞令とかそういうものだと思っていた。彼が所属する世界では、そういった言葉を湯水のように消費するものだと、思っていたから。
でも、あの晩、そのことについて考えて欲しいと言ったブライアンの眼の中に軽薄さは欠片もなく、代わりに真摯な光があったから、アンジェリカは考えた。
ブライアンは、アンジェリカのことを『愛している』。
そして彼は、友人では嫌だとも言っていた。友人として見られたくはないのだと。
(なら、私は?)
アンジェリカは、彼にどんな答えを返すべきなのだろう――この胸の中にある想いは、どんなものなのだろう。
確かに、ブライアンは友人とは少し違うのかもしれない。一番大事な親友であるコニーに対する気持ちとは、何かが決定的に異なっていたから。
じゃあ、具体的にどこがどう違うのかと考えてみても、アンジェリカには解らなかった。
頭が痛くなるほど考えたけれども答えが出なかったと言えば、きっと、ブライアンはいつもの笑みで赦してくれるだろう。仕方ないねと言いながら。
けれどもアンジェリカは、答えを出したかった。正しく間違いのない答えを、彼に渡したかった。
なので懸命に考えて。
まだ、答えが見つからない。
違いだけは判るのに、答えに、今にも手が届きそうで届かない。
そんなもどかしさに顔をしかめたアンジェリカに、朗らかな声がかかる。
「ねぇ、アンジェリカ」
顔を上げるとセレスティアが艶やかな笑みを投げかけてきた。
「何か困っていることがあるのではないかしら?」
伸ばした白い指を綺麗な顎の先に当て、彼女は軽く首をかしげる。
「いえ、別に」
まさか、あなたのお兄さんのせいだとは言えず、かぶりを振ろうとしたアンジェリカだったが、続くセレスティアの言葉で動きを止めた。
「うちのおバカな兄のこと?」
パッと咎める眼差しをコニーに向けると、彼女は悪びれもせずにっこり、いや、にんまりと笑い返してくる。
あの晩のブライアンとの会話は彼女にも話してはいない。盗み聞きをしていたのか、それとも、この二昼夜のアンジェリカの態度と、時を同じくしてブライアンが姿を見せなくなったことから、何かを察したのか。
「まさか、あの人が何かオイタをしたわけではないわよね?」
笑顔のままで、セレスティアがそう言った瞬間、ひやりと、気温が下がったような気がした。
「いえ……」
気まずく口ごもったアンジェリカをしばし見つめ、セレスティアはため息をついた。
「そう? なら、あなたを惑わせるような煮え切らない態度を取っているのかしら? 早く愛しているなりなんなり、伝えてしまえばいいのに」
まったく、あの人は情けないったらありゃしない――セレスティアがそう続けたから、アンジェリカは反射的に応えてしまう。ブライアンにダメ男の烙印を押されたくなくて。
「もう言われました」
しまった、と思った時にはもう遅く、セレスティア、コニー、エイミーの視線がサッとアンジェリカに注がれた。
「え?」
三人が同時にその一言を発する。
コニーも右に同じくだったということは、どうやら盗み聞きをしたわけではなかったらしい。
セレスティアは眉根を寄せてコニーと顔を見合わせる。そうして、アンジェリカにその眼を移した。
「兄がちゃんと言葉にしたのなら、どうして応えてあげてくれないのかしら。兄のことが嫌い?」
「いいえ」
嫌いでは、ない。
断じて。
かぶりを振ったアンジェリカを、セレスティアが思案深げに眺める。
「でも、愛してもいない?」
愛。
また、その言葉が立ちふさがる。
「……愛しているというのはどんなものなのでしょう?」
アンジェリカとて、恋や愛は知っている。
一番身近な存在は、父と母だ。思い出した記憶の中に、仲睦まじい二人を見ていて幸せな気持ちになっていた自分がいる。きっと、あの二人は愛し合っていたに違いない。
じゃあ、両親の中にあったものと今自分のこの胸の中にあるものとは、果たして同じものなのだろうか。
「私の中にある気持ちは、『愛している』なのでしょうか」
アンジェリカは胸に手を当て、そこを見つめながら呟いた。
ブライアンと過ごすうちに彼女の中に宿った温かな何か。初めはあるのかどうかも判らないような小さなものだったけれど、今ははっきりとその存在を感じる。
それのせいで、以前のような平穏な心持ちばかりではいられなくなった。
今まではそんなことがなかったのに、誰かの――ブライアンのちょっとした一言や行動に、気持ちが揺さぶられるようになってしまった。
時々イライラするし、落ち着かない。自分が弱くなったような気がする。
けれど、同時に、彼がいてくれさえすればなんだってできるような、そんな安心感も覚えるようになった。
ブライアンは真剣だ。真剣に、『愛している』という言葉をくれた。
アンジェリカは、ブライアンが彼女に与えてくれるその想いに相応しいものを、彼に返したいと思う。けれども、自分の胸の内にあるものがそうなのか、確信が持てない。
「『愛している』、とは、どういう気持ちなのですか?」
心底から答えが欲しくて問うたけれども、セレスティアは小首をかしげる。
「さあ……コニーはどう思う?」
水を向けられ、コニーが目をしばたたかせる。
「え、わたし? わたしは、そうですねぇ……この人を自分のものにしたい、とかでしょうか。わたしは、好きな人には他の人を見て欲しくないな。独り占めしたいです」
「ふふ、可愛らしいわ。じゃあ、エイミーは?」
「わたし……わたしは、旦那さまの為に何かして差し上げたくなります」
エイミーの返事に、セレスティアは彼女を軽く睨み付けた。
「だからといって、何にでもハイハイと頷いたらいけないのよ? あの人はどこまででも調子に乗るから」
「はい」
コクリと頭を上下させるエイミーを、セレスティアは疑わし気な眼差しで見つめる。そんな彼女に、コニーが問いかける。
「セレスティア様は、どうなんですか?」
「わたくし?」
セレスティアは艶やかに笑う。
「そうね、わたくしは、大事な子にはいつだって笑顔でいて欲しいわ」
みんな、バラバラだ。
答えが出るどころかかえって困惑が増したアンジェリカは、カップを握り締めた。膨らんだその頬を、細い指がツイと突く。
「『正しい答え』なんてないでしょう?」
まるでアンジェリカの心の声を聞き取ったかのようにそう言うと、セレスティは伸ばしてきた手でアンジェリカの顔を挟んだ。そうして、彼女の柔らかな頬を押し潰す。
「いいえ、きっと、みんな『正しい』のよ。人の想いに定まった形なんて、ないのだわ。だから、あなたの想いを見つけなさいな」
その言葉と共に、セレスティアは花が開くように微笑んだ。




