嫉妬①
昼下がり、いつものようにふらりと猫の目亭にやってきたブライアンが、一通の封筒を差し出した。
アンジェリカは受け取ったそれをしげしげと眺める。
外見は淡い薔薇色で、花の浮かし模様が入っている。手応えは硬く、手紙というよりも厚紙か何かが入っているようだ。ほのかに漂ってくるのは、薔薇の香りか。
ブライアンとはそれなりに長い付き合いになっているが、こういう、封をされた手紙をもらったのは初めてな気がする。
「……これは?」
改まって何なのだろう、と彼を見上げると、ニッコリと笑顔が返ってきた。
「招待状だよ。セレスティアの誕生日を祝う会の」
「セレスティア様の?」
「そう」
セレスティアはブライアンの妹で、つまり、貴族だ。彼女の誕生日となれば個人的には是非とも祝いたいところだが、貴族の集いに平民であるアンジェリカが出席するというのは、適切なこととは思えない。
「それは――」
アンジェリカは辞退の言葉を返そうとしたが、彼女の口を封じるように、ブライアンが続ける。
「来るのは彼女と僕の友人だけだから、気楽なものだよ。貴族よりも、商人とか芸術家とか、彼女が後援している施設の関係者とか、そういう人たちの方が多いんだ。そもそも、セレスティア自身が割と浮いている子だからね。数少ない貴族も、お堅い奴は来ないよ。それに、アンジェリカには、絶対に来て欲しいと言っていたからね。貴女が来てくれなかったら、僕が彼女に殺されてしまう」
滔々と語った末に、だから頼むと眼で請われ、アンジェリカは眉根を寄せる。
「でも、そんな正式な場に出られるような服は持っていないから」
彼女にしたら遠回しの断りの台詞だったつもりだが、どうやらブライアンは受諾と受け取ったらしい。パッと顔を輝かせる。
「ああ、それなら大丈夫。セレスティアが用意しているから。自分へのご褒美だとか何とか言って。貴女のことを着せ替え人形にしたくてたまらないようだよ。そうだ、コニーも一緒に来たらどうかと言っていたな」
「コニーも?」
「そう、彼女の分もドレスを用意するからって」
それはあの子が喜びそうだと、アンジェリカの気持ちが動く。と、すかさずそれを見抜いたように、ブライアンが畳みかけた。
「ドレスは僕が選んだんだ。二人とも、きっと良く似合う。コニーにもいい経験になるよ」
そう言って、ブライアンは頼む、お願い、と、両手を合わせている。
しばしの迷い。
そして。
「わかった。コニーにも話してみよう」
アンジェリカは頷いた。
*
ラザフォード家は、王都に本邸と別宅、二軒の屋敷を構えている。
そのうち、別宅は名実ともにセレスティアのものだ。
本邸ほど大きくはないが、部屋数は二桁あり、広間も百人を収めてもまだ余裕があるほど広い。
貴族の娘の適齢期である十八を遥かに通り過ぎたセレスティアに対して両親はとうに諦めの境地に至っているようで、この別邸を与えて放置状態だ。そんな状況をいいことに、彼女は祖母の遺産を投資に回し、莫大な財産をさらに増やしながら、慈善事業に精を出している。
そんな彼女の交友関係はかなり幅広く、今日の宴の席にもそれだけの広さを持つ広間が窮屈に感じられるほどの人数が集まっていた。
その広間の片隅で、ブライアンは気もそぞろこの上ない態度で友人のセドリック・ボールドウィンとその妻エイミー、それにエリック・ドーソンの相手をしながら、求める相手の登場を今か今かと待っていた。
猫の目亭から連れてきたアンジェリカとコニーをセレスティアに引き渡したのは、かれこれ四半刻ほど前のこと。
女性の身支度には時間がかかるものだとは重々承知だが、どうにも気が焦る。
そわそわと広間の出入り口に何度も視線を送るブライアンに、ドーソンが眉を上げた。
「何なんだ、さっきから」
「え?」
「ヒトの話も聞いてなかっただろ? 何を気にしているんだ?」
「ああ、いや、僕の知り合いが来るはずでね」
「知り合い?」
眉根を寄せたドーソンが、パッとそれを開く。
「ああ、例の天使か。なぁ、ボールドウィン、お前も会ったことはないんだよな?」
「そうだな、彼とセレスティアからの話だけだ。ラザフォードはともかく、セレスティアもベタ褒めでね。ああ、でも、君は会ったことがあるんだよね、エイミー?」
話を振られたボールドウィンが、傍らの妻を見下ろしながら訊ねた。
この屋敷に到着した時から、彼の腕はエイミーの腰から一瞬たりとも離れたためしがない。まるで、放した瞬間、彼女のことを誰かに奪われてしまうとでも思っているかのようだ。この夫妻はいつもそんな感じで、エイミーの方は淡々としたものだが、ボールドウィンは妻に対する執着を微塵も隠そうとしない。
かつてのブライアンはそんな彼に呆れた眼差しを投げていたものだが、アンジェリカと出逢ってからというもの、想う相手にはそんなふうになってしまうのだということが嫌というほど理解できるようになったし、そうできるということが羨ましくてならないというのが偽らざる本音だ。
ボールドウィンの問いかけに、彼の腕の中でエイミーがコクリと頷く。
「はい。セレスティアさまが援助している孤児院で、一緒にお仕事をさせていただきました。とてもお優しい方です」
「そう、僕のアンジェリカは内も外も素晴らしいんだ」
勢い込んで語ったブライアンだったが、ボールドウィンがボソリとツッコむ。
「君の、ではないだろうが」
それは、そうだが。
ブライアンがグッと言葉に詰まったところで、不意に広間に集う人々の間にどよめきが走った。
「何だ?」
眉をひそめたドーソンが振り返る。だが、ブライアンにはその原因に察しがついていた。期待に満ち満ちた視線を巡らせた先に、彼は予想通りのものを見出す。しかし、その存在自体は予想通りだったとしても、そこから受けた衝撃は予想をはるかに上回るものだった。
ピシリと固まったブライアンの隣で、ドーソンが声を上げる。
「うわ。セレスティアが連れているのは、いったい何者なんだ? ――っと、ラザフォード!?」
フラリと揺れたブライアンを、ドーソンが慌てて支えた。
「どうした!?」
「……僕の天使が……」
ブライアンは片手で目を覆い、眩暈をこらえながら体制を整えつつ辛うじてそう答えた。
「お前の? じゃあ、アレが……」
エリックは呟き、たった今広間に入ってきたセレスティア、そして彼女の両脇に立つアンジェリカとコニーに目を戻す。何とか呼吸を整えて、ブライアンもまた、アンジェリカを視界に収めた。
思わず、息が止まる。
彼女は、有り得ないほど美しい。
三つ編みで質素な服に前掛け姿で、むさい親父どもの間で給仕をしていても、アンジェリカは美しかった。だが、華美ではないが優雅な意匠のドレスを身にまとった彼女は、この世のものとは思えないほどの――神々しいと言ってもいいほどの、美しさだった。まさに、目が眩まんばかりの。
ドレスは銀色にも見える青みを帯びた白色で、裾の方には彼女の目と完全に同じ色をした菫の花が散りばめられている。胸元と耳、そして下ろしたままの流れるような銀色の髪には、これまた彼女の目を思わせる、厳選した紫水晶をあしらった銀製の装飾品が彩りを与えていた。
それらすべてを整えたのは、ブライアン自身だ。もちろん、セレスティアも選びたがったが、チェス三回勝負で彼がその権利を勝ち取ったのだ。
当然、そのドレスと宝飾品を身に着けたアンジェリカの姿を思い浮かべながら指示を出しはしたが、今、彼は、己の想像力の貧弱さを痛感していた。
改めて感嘆の吐息をこぼしたブライアンの隣で、同じようなため息が聞こえる。
「確かに、スゴイ美女だな」
アンジェリカを凝視しているドーソンが、しみじみとした口調でそう言った。
美女。
ブライアンは奥歯を軋ませる。
確かにそうだが、そんな陳腐な言葉は、アンジェリカに相応しくない。その一言が気に障ったし、加えて、かつての自分と同じくらい女性泣かせであったこの男の視界に彼女が入っていることが、無性に気に食わなかった。




