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放蕩貴族と銀の天使  作者: トウリン
SS

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ブライアンの悩み

「ねえ、コニー。僕はどうしたらいいと思う?」

 昼時間終了間近、客もまばらになった猫の目亭の卓に頬杖を突いて、ブライアンは食器を片付けていた看板娘の一人にそう声をかけた。もう一人の看板娘は厨房にいる。


 コニーは足を止め、ブライアンを見下ろしてくる。

「どうしたらって、何を、なのよ」

「もちろん、アンジェリカのことさ」

「アンジー? でも、いい感じじゃないの?」

 小首をかしげたコニーに、ブライアンはため息を返す。

「いい感じって、どこが? 僕らが帰ってきてからもう一ヶ月経つだろう?」

「え……まあ、そのくらいかな」

「その一ヶ月、僕と彼女との間に何か変化があったように思えるかい?」

「ん? ん――あ、でも、ほら、アンジェリカ、前より笑うようになったし」

「ああ、うん、可愛いよね、じゃなくて、それは、多分色々思い出したからとか吹っ切ったからとか、だろ? 僕が言っているのは、僕とアンジェリカの関係のことだよ!」

 思わずうなずいてしまってから、ブライアンは嘆きの声を上げた。


 王都に戻って三日後に、ブライアンはアンジェリカに求婚した。途中で邪魔は入ったものの、今度こそ、その言葉は彼女に届いたはずだ。そして、多少順番は前後しているが、アンジェリカはブライアンと一生一緒にいたいと言ってくれていたのだ。


「つまり、それって、僕と結婚してくれるってことじゃないの?」

 それなのに、アンジェリカとの距離が縮まらない。一向に、ほんの毛筋分ほども。せっかくガブリエルが職務の為に――かなり嫌々ながら――ロンディウムを離れたというのに、アンジェリカとブライアンとの関係は、これっぽっちも進展がない。


 アンジェリカの物腰は、確かに軟化している。

 しかし、ブライアンへの態度は、友人に対するものそのもので、それ以上でもそれ以下でもない――ようにしか見えない。

 逢うのはやはり店の中、もしくは、彼女が頼まれごとに出かける時。

 相変わらず多忙なアンジェリカは常に何かしらで動いていて、二人きりになれる時間がない。

 ブライアンとしては、あんなことやこんなこと、友人間では決してしないようなことも、したいのだ。


「どう思う、コニー?」

 見上げると、返ってきたのは微妙に呆れ具合な眼差しだ。

「そういうの、わたしに訊いてどうするの? ブライアンの方がずっと年上だし、女のヒトとの経験だってたっぷりあるんでしょ?」

「コニーの方が、アンジェリカのことを良く知っているだろう? 第一、僕の今までの経験がアンジェリカに通用すると思うかい?」


 正直、対アンジェリカとなったら思春期の少年並みと言ってもいいだろう。


「もう、どうしたらいいのか……」

 また盛大なため息をこぼしたブライアンに、微妙に投げやりな口調でコニーが言う。

「いっそ、ちょっと強引に迫ってみれば?」

「え?」

「ぎゅーッてしたり、ちゅーってしたりさぁ。そのくらいしないと、アンジーには解かんないんじゃない? まあ、ブライアンがやれれば、だけど?」

 その口調は、どうせやれないんでしょ、と言わんばかりだ。


 ブライアンは、コニーの発言について黙考した。

 もしも、もしも本当に友人としか思っていない相手にそんなことをされたら、アンジェリカはどう思うだろう。


 だが。


(ちゅーは無理でも、ぎゅーくらいなら……)


「ブライアン?」

 黙り込んだ彼に、コニーが呼びかける。


 ブライアンは決意に満ちた顔を上げた。

「やってみるよ」

「え?」

「一か八かだ」

 ガタリと椅子を鳴らして立ち上がった彼に、コニーが目を丸くする。

「ブライアン?」

 呼び止める声に片手を振って、彼は店を後にした。


   *


 あれから三日。

 ブライアンはアンジェリカと約束を取り付け、猫の目亭の昼時間から夕時間までのひと時、セントール地区にある公園へと足を運んでいた。

 しているのは、いわゆる、ただの、散歩である。

 真冬なだけに他に人の姿はまばらだが、幸い天気に恵まれて、寒さに身を震わせることなく散策を楽しめた。

 とは言え、並んで歩くためだけにアンジェリカの時間をもらったわけではない。


 さぁ、どうしよう。


 ブライアンが胸の中で首を捻った時だった。

「で、これから何を?」

 アンジェリカが隣を歩くブライアンを見上げてきた。

「何って……特に、何も……」

「私に用があったのではないのか?」

 いぶかしげに眉をひそめた彼女に、ブライアンは笑顔で返す。

「あなたと過ごすことが、『用』なんだ」

 言ってしまってから、「しまった」と思った。

 今の台詞も本音ではあるものの、他に言ったりしたりしたいあれやこれやがあるのだ。せっかく彼女が水を向けてくれたのだから、切り出すきっかけにすれば良かった。


 心の中で天を仰いだブライアンの横で、アンジェリカがつぶやく。

「妙な用事だな」

 彼女の眉間のしわが深くなった。今にも「では帰る」と言われてしまいそうで身構えたブライアンだったが、予想に反して彼女はそれきり口をつぐんだ。


 また、無言。

 ゆっくりと歩いているにも拘らず、すでに公園の半ばほどまで来てしまっている。

 このままでは、本当にただ一緒に歩いただけで終わってしまいそうだ。

 せめて、ぎゅーだけは……抱き締めても嫌がられないことくらいは、確かめておきたい。


「アンジェリカ!」

 意を決し、意気込みと共に彼女を呼んだ。

 立ち止まったアンジェリカが首をかしげるようにしてブライアンを見上げてくる。

「何?」

「その――」

 彼は口を開きかけて、迷った。


(なんて言ったらいいんだ?)


 僕のことを好きかい?

 ――普通に、「好きだ」と言われそうな気がする。


 抱き締めてもいい?

 ――そんなこと、敢えて訊くのか?


 今までの女性たちに対しては、どうしていただろう。

 抱擁どころかキス、いや、それ以上のことまでも、サラリと流れるように進めていたけれど、今はアンジェリカの肩に手を置くことすらためらわれた。


「ブライアン?」

 アンジェリカが眼差しで問いかけてくる。


(ここは一気に、ガバッと――)

 ブライアンは己を鼓舞するが、動けない。

 大事過ぎて、愛おし過ぎて、行動に移した末にどうなるのかが怖い。

 これまでにも何度か彼女のことをこの腕の中に包み込んだことはあるけれど、それらには全て、何某かの理由があった。


 ただ、彼がしたいからというだけで抱き締めて。

(もしも、もしも嫌がられたら)


 ――二度と立ち直れないかもしれない。


「ブライアン?」

 固まったままの彼を、アンジェリカがまた呼んだ。今度は、先ほどよりもいぶかしげに。

 願望とためらいとの間で、ブライアンの頭がグルグルと空回りする。


 と。


 彼を見つめていたアンジェリカの顔が心配そうに曇る。

「何だか、顔色が悪いぞ?」


 考え過ぎで気分が悪くなってきた。


「大丈夫、何でもないから……」

 自分の情けなさに力なく笑ってそう返したけれど、アンジェリカはそれに取り合わず眉をひそめて辺りを見渡した。

「少し、休んだ方がいい。――あそこに行こう」

 言うなり、彼女はブライアンの手を引っ張って歩き出した。


 アンジェリカは芝生が植えられた場所まで行くと、そこに腰を下ろす。そうして、その左隣をポンポンと叩いて、ブライアンにも同じようにすることを要求した。

 促されるままに彼がそこに座ると、いきなりグイ、と頭を引っ張られる。


(え?)


 何が起きているのかを理解するのに、たっぷり呼吸五回分はかかったと思う。


 右耳の下にあるのは、適度な弾力を持った温かな何か。


 この感触は、覚えがある。

 かつて、女性たちとの戯れの中で、散々、味わった。


「ちょ、アンジェリカ!?」

 慌てて最高に寝心地の良いその膝枕から起き上がろうとしたブライアンの頭が、たおやかな手で押さえられる。

「少し、休め」

「でも、アンジェリカ――」

「休め」

 こめかみの辺りにあった手がずれて、温かく滑らかな手のひらに目蓋を覆われた。


 これは、まずい。

 心地良過ぎて、動けない。


 それまでとは違う意味で固まったブライアンの耳に、微かな笑いが届いた。

 極力頭を動かさないようにして目だけでアンジェリカを見ると、彼女は手を浮かして彼と眼を合わせてきた。そこには、まだ、柔らかな笑みが残っている。


 思わず見惚れて言葉を失ったブライアンに、アンジェリカが思いを語る。


「昔、父さまと母さまも、良くこうしていたから。旅の途中で野原を見つけると、『休憩しよう』と言って」

 無意識なのか、彼女の指がブライアンの前髪をいじる。

「私が花を摘んでいて、二人はこうしていて。とても仲が良さそうな父さまと母さまを見ていると、私はすごくうれしくて、幸せで」


 取り戻した過去を慈しむようなその眼差しに、それが失われたことを悲しむ色はない。けれど、そんなアンジェリカに、ブライアンの中には彼女を守りたい気持ちが込み上げる。彼女の両親の代わりに、いや、それ以上に、彼女のことを慈しみたいと思う気持ちと共に。


 ブライアンは頭に置かれたアンジェリカの手を取った。そのたなごころに口付けて、彼女を見上げる。

「僕がいるから。僕は、ずっと、あなたの傍にいるから」

 もう何度も繰り返した言葉を、また口にした。もっと言いたいことや訊きたいがあるはずだけれど、今は、それだけしか出てこない。

 見つからない言葉の代わりに、今度は繊細な指の一本一本にそっと唇で触れていく。


 アンジェリカの菫色の目が、微かに見開かれた。彼女のその目の色が、深みを増す。

「父さまも、母さまにそんなふうにしていたな。そうされて、母さまはいつも私に向けるのとは違う笑顔になっていた」

 囁き声でそう言って、アンジェリカは軽く首をかしげる。サラリと落ちた髪が、ブライアンの頬をくすぐった。束の間それに気を取られた彼の耳に、小さな声が届く。


「あのときの母さまの気持ちが、少し解ったような気がする」


 そして、彼女はふわりと笑った。

 目と心を奪われる、その微笑み。


 その瞬間、ブライアンの頭の中からは、今日の目的も何もかも、全て消え失せていた。


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