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放蕩貴族と銀の天使  作者: トウリン
天上を舞う天使は雲の中を惑いそして墜ちる。

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惑う心②

 アンジェリカたちがコールスウェルに足を踏み入れたのは、空が紅く染まり始めた頃だった。


 鉱山地帯であるノールス地方は使える土地が限られていたのでハイヤーハムに人口が一点集中していたのに対し、サウェル地方は穏やかな気候と豊かな土壌に恵まれているため、小さな集落があちらこちらに散在している。その中でもコールスウェルには様々な施設があって、サウェル地方の中で一番大きな街だ。

 よくぞそんなにというほど建物が密集していたハイヤーハムと違って、コールスウェルはどこもかしこも何となく広々としている。アンジェリカたちは馬を降り、手綱を引きながらコールスウェルの街中を歩く。道幅も段違いだから、皆で横に並んで歩いたとしても、全然通行の邪魔になりそうにない。

 路上で店を開いている行商人の商品をしゃがんで覗き込み、悠長に交渉を始める通行人の姿もしばしば見かけた。

 街の雰囲気も、どこかのどかだ。


 そんな通りを、ブライアンがキョロキョロと見回す。

「コールスウェルって、僕も成人するまでは時々来てたんだよね。もしかしたら、小っちゃなアンジェリカとどこかですれ違っていたりしないかな。きっとあなたは妖精のように可愛らしかったんだろうなぁ」

 両手を胸に当てて遠くを見つめる眼差しでそう言ったブライアンに、アンジェリカは首をかしげた。

「私がここにいたのは十年前だから、恐らくそれはないと思う。というより、かすりもしていないのでは?」

 ブライアンが成人したのは、十年と少し前だ。どう考えても、同じ時期にいたはずがない。


 明白な事実を指摘したアンジェリカに、彼はヘラッと笑う。

「そう言われるとそうだなぁ。残念、もっとマメにこっちに来ておけば良かった」

 と、ブライアンの横から冷やかな声でガブリエルの訂正が入る。

「今でも私のアンジェリカは可愛い」

 その簡潔な兄バカ極まりない台詞に、ハッとブライアンが反応する。

「確かに」


 うなずき合う男二人を横目で見ながら、ディアドラがアンジェリカの袖を引いた。その眼差しは、ちょっと近くにいたくないなと言っている。

「ねえ、この二人って、いつもこんななの?」

「いや、滅多に意見の一致を見ることはないが」

 珍しいこともあるものだと思いつつ、二人の仲が良ければ何となく少しうれしい。が、アンジェリカはディアドラの質問の意図を正しく取り損ねたのか、彼女は眉根を寄せる。

「や、そうじゃなくてさ……」

 アンジェリカのその答えに納得しないものは他にもいた。前を歩いていたガブリエルが振り返り、渋面でいかにも嫌そうな声を出す。

「私だって彼と同じ思考は持ちたくないけど、厳然たる事実はどうしようもないじゃないか。……まあ、いい。取り敢えず、これから君が預けられていた孤児院へ行ってみようか? この時間ならまだ邪魔しても許されるだろう。どうする? 明日にするかい?」

 問われて、アンジェリカは空を見上げる。それは紅く染まってはいるけれど、途中からだいぶ移動速度を上げたお陰か、まだ日は暮れていなかった。


 確かに、明日でもいいかもしれない。


 けれど。


「私は……行ってみたい」

 幼い頃にいた場所に立ってみれば、もっと記憶も蘇るかもしれない。そう期待して、アンジェリカは頷いた。

「そうかい? 今日はゆっくり休んでもいいんだよ?」

「いいえ」

 宿の寝台に横になったとしても、ぐっすり眠れそうにない。

「そう」

 かぶりを振ったアンジェリカを見てガブリエルは淡く微笑んだ。


 と、その遣り取りを聞いていたディアドラが、はい、とばかりに手を上げる。

「孤児院に用なの? じゃぁ、あたしが案内してあげる。街の南の方なんだ」

 そう言って、皆の答えを待たずに先に立って歩き出した。

 ガブリエルは束の間その背を見つめてから、アンジェリカに振り返る。

「行こうか? 彼女の方が詳しそうだ」

 その声、口調に、アンジェリカは何となく引っかかりを感じる。

「兄さま、何か気になることでも?」

「え? ああ、いや、別に。ただ、私も場所は知っているからね。彼女はもう帰ってもらってもいいのだけれど……まあ、いいか。行こう」

 ガブリエルは微笑んで、アンジェリカを促した。


 アンジェリカたちはコールスウェルの北から入ったから、南側にあるという孤児院に行くには街を縦断する形になる。ディアドラは人が行き交う市場のような場所から中央広場を抜けて、さらに進んだ。

 やがて、ずいぶんと高い塀に行き当たる。長身のガブリエルよりも、更に高い。その上、右にも左にも長く伸びていて、かなりの広さであることがうかがえた。

 それを見上げながら、アンジェリカはディアドラに訊ねる。

「この塀は?」

「これが孤児院よ」

「これが?」

 アンジェリカは目をしばたたかせた。ロンディウムの孤児院をいくつか知っているけれど、こんな壁を持っているところはなかった。

 だいぶ街の外れの方だから、子どもたちの安全に気を遣っているのだろうか。

 いぶかしく思うアンジェリカをよそに、ディアドラは壁に沿ってスタスタと歩いていく。


 角を一つ曲がって更に進むと、やがて門が現れた。それもまた、やけに厳つい。

 鉄格子の門扉を覗き込むと、広い前庭の奥に三階建ての建物が見えた。日暮れが近いからか、子どもたちの姿はない。

「なんか、厳重だなぁ」

 呟きながらブライアンが門扉に手をかけ押し開こうとしたけれど、それはビクともしなかった。

「あれ?」

 首を傾げた彼の横に、ディアドラが手を伸ばした。

「この紐で人を呼ぶのよ」

 そう言って、それを引く。

 と、ガラン、ガラン、と、扉の上の方についている小さな半鐘が音を立てた。


 待つことしばし。


「何かご用ですか?」

 奥の建物ではなく扉の左の方から、初老の男が一人現れた。身体つきは大きくないけれども、鋭い眼差しと真っ直ぐに伸びた背筋のせいか風格が感じられる。その男に、ガブリエルが愛想よく微笑んだ。

「こんばんは。以前にここでお世話になったことがある者なのですが、近くまで来たのでちょっと寄ってみました」

「ここに?」

「ええ。あ、私じゃなくて、この子なのですが」

 言いながら、ガブリエルは横によけて、後ろにいたアンジェリカを手で示した。


 男は彼女を見つめ、記憶を辿るようにその目をすがめる。そう間を置かず、ノミで岩に刻んだような顔が微かに明るくなった。

「……アンジェリカ?」

 正しく名前を呼ばれ、彼女は首を傾げる。

「私を覚えておられるのですか?」

「ああ、もちろん」

 頷きながら男は懐から鍵束を取り出し、門の錠を、そして閂を外してくれる。

 門をくぐったアンジェリカは、塀の内側をぐるりと見渡した。外の光景には全く見覚えがなかったけれども、こちらからの眺めは、はっきりとではないものの、確かに記憶にある。塀の外を覚えていないのは、あまり出たことがなかったからかもしれない。


(でも、塀はあんなに高かっただろうか)

 それは、記憶にない。

 あまり近づかなかったのか、当時は違和感を覚えなかったのか。


 風景に視線を一巡させた後、アンジェリカは、門を開けてくれた男に目を戻した。彼はガブリエルたち――今からこの敷地内に入ろうとしている者たちを、ジッと見つめている。

 彼のことは、確かに、薄っすらとではあるもののアンジェリカの記憶にある。直接子どもたちに関わる姿はあまり見たことがなかったけれど、色々な雑事をこなしていた人ではないだろうか。ちょうどこんなふうに、庭を掃く手を止めて駆け回る子どもたちを見守ってくれていた気がする。


 アンジェリカに続いてガブリエル、ディアドラ、最後にブライアンが中に入ると、男はまた、閂をかけた。大きな錠はそのままだ。

「いつもこんなに戸締り厳重なのかい?」

 眉を上げたブライアンに、男が頷く。

「ああ。大事な子どもたちを預かっているからな。院長に会いたいのかい? アンジェリカがいた時とは代替わりしているが。他の連中も皆入れ替わっていてな、十年前から残っているのは俺くらいだ」

 男はガブリエル、次いでアンジェリカに目を遣って、尋ねてきた。

「私はお会いしたい。アンジェリカ、君はどうする?」

 ガブリエルは頷き、アンジェリカを見下ろす。

「私は……」


 自分がいた頃の人とは違っているならば、会ってもあまり意味がないだろう。それよりも、庭を見て歩きたい。


「私は、外にいたいです」

 いいですか? と眼で問うと、ガブリエルは伸ばした手でクシャリとアンジェリカの銀髪を掻き混ぜた。


「君の好きなように」


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