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放蕩貴族と銀の天使  作者: トウリン
天上を舞う天使は雲の中を惑いそして墜ちる。

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あやふやな記憶④

 ガブリエルのもとに戻って事の顛末を伝えると、彼はブライアンを連れて男たちが転がっているはずの場所を確認しに行った。

 二人が戻ってくるのにさほど時間はかからず、アンジェリカたちが落としてきてしまった薪も拾ってきてくれた。さっそくそれで火をおこし始めたガブリエルを、アンジェリカも手伝う。

「君たちが遭った連中は、どうやら目を覚まして逃げていったようだよ。誰もいなかった」

 そう教えてくれた兄の手元で細い煙が立つ。それはすぐに炎となって、勢いよく木の枝を燃やし始めた。


 火の温かさになんとなくホッとしながら、アンジェリカは傍らでまだ目を閉じたままピクリともしない女性に目を移す。まだ若い。アンジェリカよりもいくつか年上……ガブリエルと同じくらいの年に見える。

「この人はこんな森の中で、何をしていたのだろう。あの男たちは、いったい……」

 黒い巻き毛に縁どられた容姿は平凡だけれどもとても肉感的な身体つきをしているから、よからぬ輩に目をつけられてもおかしくはない。それとも、他に何か事情があるのだろうか。


「この辺りで一番近いのはボルス村だけど、のどかな集落って聞いてるけどなぁ」

 そう言ったのは、ブライアンだ。

 ロンディウムから出たことがなさそうな彼の台詞に、アンジェリカは首をかしげる。

「知っているのか?」

「え? ああ、この辺りはうちの領地だから」

「ブライアンの? 領地?」

 眉根を寄せたアンジェリカに、彼はサラリとうなずく。

「そう。コールスウェルの北側ね。もう少し西の方では羊の放牧をしていてね。ここらで問題が起きてるって報告は、なかったと思うけど。まあ、よほど大きなことでければ、地元で解決してしまっているのかもしれないな。とりあえず、その人を起こして話を訊いてみようか?」

 言いながら、ブライアンは自分の荷物をごそごそといじり始めた。


 ブライアンが取り出したのは、また、小瓶だ。けれど、酒とも消毒薬とも違う。茶色のガラス瓶で、中には透明な液体が入っている。彼はふたを開けると、それを女性の鼻先に持っていった。


 途端。


「ッ!?」

 軽く咳き込み、女性が飛び起きる。大きく見開いた少し吊り上がり気味の目は、黒に近い焦げ茶だ。真正面で彼女を覗き込んでいるブライアンと目が合うと、座ったままズリズリッと後退した。


「あ、あんたたち――?」

 喘ぎながらキョロキョロと目を泳がせ、ガブリエル、そしてアンジェリカを見る。

「落ち着いて、何もしないから」

 地面に突いている彼女の手に手を重ね、アンジェリカは静かな声でそう告げた。女性も気を失う前と状況が大きく変わっていることに気付いたのか、深く息をついてからにっこりと笑う。

「ごめん、ちょっと驚いちゃって。あの、もしかして、あたしのこと助けてくれた? あ、あたし、ディアドラっていうの。ディアドラ・リーン。薬師よ」

 そう言ってはにかんだ顔になると、意識がなかった時よりもいくつか若く見えた。際立った美人ではないけれども、魅力的だ。

「あなたは男たちに追われていたようだけれども、思い当たることは?」

「全然。でも、二、三日前からボルスに泊まってるんだけどね、そこで薬師だって言っちゃったから、目を付けられたのかも」

 そう言って、ディアドラはクシャリと癖の強い黒髪を掻き混ぜた。


 薬師は、特殊技能だ。通常は徒弟制度で、師から弟子へと知識が伝えられていくのだという。ほとんどの善良な人々からは敬意をもって遇されるけれども、良くない意図を持った者にはある種のお宝になる。ディアドラも、若く魅力的な女性だというだけでなく、その知識も狙われたのかもしれない。


 若い女性であることに加えて、薬師という職業。

 それなのに一人でこんな人里離れたところに来るなんて、無防備もいいところだ。

 ムッと眉をひそめたアンジェリカの前で、ディアドラがモソモソと外套の中に手を突っ込んだ。

「いつもはね、こんなことにならないのよ? 普段はね、これで撃退するんだけどね。さっきは不意を突かれちゃって」

 そんな台詞と共に彼女が腰に付けた袋から取り出したのは、手のひらにのるほどの小さな球だ。

「それは?」

「すんごいのよぉ、これ。目から鼻から口から垂れ流しになってね、三日は治らないから。ちなみに、男は一月ばかり『役立たず』にもなっちゃうの」

 フフッと笑ったディアドラは、屈託の欠片もない。

 試しに使ってみる? とでも言いだしそうなその様子に、慌てた口調でブライアンが割って入ってきた。


「えぇと、それで、こんなところで何をしていたんだい?」

「もちろん、薬草を採りに来たのよ」

「薬草? こんな時期に?」

 いぶかしげな声で繰り返したのは、ガブリエルだった。確かに、首をかしげたくなる。いくら南の方だとはいえもう冬といってもいい季節で、見渡してみても緑はだいぶ乏しかった。薬草にしろ何にしろ、『草』が採れるとは思えない。


 けれど、そんなガブリエルの疑問を、ディアドラはさらりと受け流す。

「ああ、この辺りにはね、今しか手に入れられない、貴重な薬草が現れるのよ。あ、どんななのかっていうのは、内緒よ?」

 彼女は立てた人差し指を唇に当て、秘密めかしてそう言った。

「それは、もう手に入ったのかい?」

 見たところ手ぶらなディアドラにブライアンが尋ねると、彼女はにっこりと笑う。

「ええ。手に入ったわ」

 そこでアンジェリカは、ディアドラの外套の陰から覗く鞄に気が付いた。男たちに荷物を奪われてしまったのかと思ったけれど、どうやら大事なものは外套の中に隠されていたらしい。


 アンジェリカの推測を裏打ちするように、ディアドラは外套の上からその鞄に手を添えた。

 と、にこやかな顔が、一転、曇る。

「だから、今日にでもコールスウェルに向かうところだったのよ。なのに、あんなのに絡まれちゃってね」

 はあ、とため息。

 気楽に構えているようでも、やっぱり不安なのかもしれない。


 アンジェリカは少し考え、口を開く。

「私たちもコールスウェルに向かっているところだから、一緒に行こう」

 アンジェリカの提案に、ディアドラがパッと顔を輝かせた。身を乗り出してアンジェリカの両手を握ってくる。

「ホント!? 助かるわ!」

 言ってしまってから、アンジェリカはガブリエルを振り返った。

「兄さま、構いませんか?」

「君がそうしたいならね」

 軽く首をかしげて見下ろしてくる兄に、彼女はこくりと頷いた。

「ありがとうございます。では、そろそろ食事の支度をします」

「あ、じゃあ、僕は水を汲んでくるから」

「お世話になるんだし、あたしも手伝うわ」

 言うなりいそいそと鍋を手にして川べりに向かうブライアンとディアドラの背を、アンジェリカは見送る。ブライアンはすっかり旅に順応して、この国でも有数の資産を持つ貴族の子弟とは思えない身軽さを身に付けつつあった。

 川岸まで行ったディアドラが何かを言って、ブライアンがそれに笑い返している。まるで旧知の中のような雰囲気だ。


「何かあったのかい?」

 なんとなく二人の様子を見つめていたアンジェリカに、ふいに、ガブリエルが声をかけてきた。

 兄に振り返ったアンジェリカは、眉をひそめて彼を見上げる。

「何か、とは?」

「少し元気がないように見えるよ」

「別に、何も……」

 ごまかそうとした彼女に、ガブリエルの眼差しがヒタと注がれ続ける。


 ブライアンが戻ってくるまで、だんまりを決め込むか。

 けれど、そうしたところで、また時を変えて問い詰められるに違いない。

 アンジェリカは、自分自身の中でもはっきりした形を取っていないモヤモヤを、何とか言葉にしようと試みた。

 この胸にわだかまるのは、記憶が戻り切らないことに対する苛立ちか、それとも――


「……私は、強くなったと思われますか?」

「え? ああ、そうだね、ずいぶん腕は上がったと思うよ」

「そうですか」

 兄がそう言ってくれるのならば、そうなのだろう。納得したにも拘らず、まだすっきりしない。


 黙り込んだアンジェリカに、しばらく待って、ガブリエルがまた問うてくる。

「彼女を助ける時、うまく立ち回れなかったのかい? しくじった?」

「いいえ」

 最後の一人はブライアンが仕留めたとはいえ、けっして、下手な戦い方をしたわけではない。

 かぶりを振ったきりうつむき口をつぐんだアンジェリカの頬を、大きな手が包み込んだ。それに持ち上げられるようにして、彼女は面を上げる。


 ガブリエルはアンジェリカとしっかり視線を合わせてから、口を開いた。

「アンジェリカ。君は、相手を倒す腕前は上がったよ。私も驚くほどにね。だから、今はちょっと失敗したと思っている」

 思ってもみなかった兄の言葉に、アンジェリカは目をしばたたかせた。


「何故?」

「私が与えたかったのは、君自身を守るための力だったからね。他の人にまで手を伸ばして欲しくなかったよ、正直なところを言えば」

 そう言って、彼は苦笑を浮かべる。

「だから、そういう意味では、君はもう充分に、強い」


 アンジェリカは唇を噛んだ。

「でも、兄さま、私は強くなりたいのです。もっと……」

 このもどかしい気持ち、不全感を、どう伝えたらいいのだろう。


 焦れるアンジェリカを、ガブリエルが見つめてくる。

「ねぇ、アンジェリカ。君が思い描いている『強さ』とは、どういうものなんだい?」

 静かな声で問われ、アンジェリカは戸惑いの眼差しを兄に返した。

「え?」

「誰かを叩き伏せる力は、君はもう充分に身につけているよ。それなのに、どうして君は満足できないのだろうね?」

 ガブリエルはもう一度そう断言して、アンジェリカを解放した。

 彼の言葉は疑問の形を取っているけれども、それは問いというよりも何かの暗示のように、聞こえた。


 どういう意味なのかを教えて欲しくて口を開きかけたところで、川の方から足音が近づいてくる。振り返るとブライアンたちがこちらへ戻ってくるところだった。

 彼は手にした鍋を持ち上げ、得意げに言う。

「すごいよ、ディアドラが魚を捕まえたんだ」


 その何の不満も心配もないような能天気な様子に、また少しばかり、アンジェリカは苛立ちを覚えた。


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