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放蕩貴族と銀の天使  作者: トウリン
天上を舞う天使は雲の中を惑いそして墜ちる。

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あやふやな記憶③

「何?」

 反射的に立ち上がったアンジェリカは、獲物を探す猫さながらに背筋を伸ばし、悲鳴が聞こえてきた方向に目を遣り耳を澄ます。


 そして。


「気のせいじゃない」

 アンジェリカは呟いた。

 今度は、悲鳴ではなくもっとくぐもった声だった。多分、そう遠くない。

 そう思った瞬間、彼女は地を蹴っていた。


「アンジェリカ!?」

 何も言わずに走り出したアンジェリカをブライアンの声が追いかけてきたけれど、彼女は構わず声がした方へと向かう。

 まだ日が高いのが幸いして、そう手間取ることなく木々の間に見え隠れする人影を見つけることができた。


 何人だろう。


 アンジェリカは目を眇めて相手を探る。

 三――四人。男ばかりだ。


(声を上げた女性は?)

 アンジェリカは足を止めることなく目を凝らす。


 いた。


 年齢は判らないけれども、女性の衣装を身にまとう者が地面に倒れ伏している。アンジェリカが見つめていても彼女はピクリともせず、怪我の有無、息があるのかどうかは、不明だ。


 男の一人が、仲間に何か言いながら彼女に手を伸ばす。女性の腕が掴まれ、グイと引っ張られた。半ば身を持ち上げられても、彼女はぐったりとして抗う様子を見せない。

 ぞんざいなその扱いは、身内や知り合いに対するものとは思えなかった。アンジェリカは、行動を決める。


「その人を放せ!」

 アンジェリカが張り上げた声は高く響き、かなりの距離がある男たちのもとへ届く。彼らはハッと動きを止め、辺りを見回し、アンジェリカを見つけた。中の一人が彼女を指さし何かを言う。

 どうやら、尻尾を巻いて逃げる気はなさそうだ。それどころか、アンジェリカのことも獲物認定したのかもしれない。


 いつもそうだ。アンジェリカを見て「危険だ」と判断する男はいない。

 もっとも、だからこそ、彼女の方が有利になれるのだが。

 ほとんどの男たちは、華奢なアンジェリカを見て「御し易し」と思う。そんなふうに彼らが彼女のことを侮っているから、先手を取れる。


 その場にとどまり彼女のことを待ち構えている男たちの前に、アンジェリカはゆっくりと足を進めた。


 四人。

 だが、いかにもそこらのごろつきという風情で、この程度の輩の相手は今までにも散々してきた。負ける気はしない。


「その人を置いて去れ」

 男たちを見据えてアンジェリカがそう告げると、彼らは互いに顔を見合わせ、そして一斉に笑い出す。これも、いつものことだ。


「はあ? お嬢ちゃん、何言ってんの? 状況解かってる?」

 中の一人が嘲りに満ちた笑みを浮かべながらアンジェリカに歩み寄り、手を伸ばしてきた。


(まったく)

 いつも思うけれど、どうして皆こうも力の見極めというものができないのだろう。

 内心でため息をこぼしつつアンジェリカは彼女の腕を掴もうとした男の親指を掴み、クルリと捻り上げる。

「グワッ!? いて、いてててッ」

 情けない悲鳴を上げて彼女から逃れようとする男の力を利用して、筋肉の塊を地に組み伏せた。ヒトの身体の構造を熟知していれば、体格の差、力の差を打ち消すことなど、造作ない。アンジェリカは間髪を容れずに、その首筋に手刀を叩き込む。途端、男はくたりと力を失った。


「へ?」

「おい?」

 面食らった顔の男たち。

 その隙を逃さず、アンジェリカは次の男に狙いを定める。音も立てずに近寄った彼女に、標的にした男が反応した。それは多分、反射のようなものだったのだろう。

「!」

 距離を詰めたアンジェリカに向けて彼の拳が振り上げられた。向かってきたそれをわずかな動きでかわし、男の懐に入り込む。そうして、どんな人間でも鍛えられない急所を突いた。


 あっという間に仲間二人が無力化されて初めて、ようやく残る二人は目の前のひ弱そうな娘が見た目通りではないということに気が付いたらしい。

「くそ! お前はそっちの女を!」

「ああ!」

 頷いた方の男が、まだ意識を失ったままの女性へと駆け寄った。一瞬彼女に気を取られたアンジェリカを、屈強な男が背後から羽交い絞めにする。

 即座にアンジェリカは男の足の甲に踵を叩き込んだ。

「グッ」

 呻いたが、男の腕はわずかに緩んだだけだ。けれど、アンジェリカはそのわずかな緩みを逃さなかった。男の脚に自分の脚を絡めると、それを軸にして、身体を捻りながら太い腕を引っ張る。

「へ?」

 男がよろめき、間の抜けた声を漏らした。一瞬後にはアンジェリカは拘束からするりと抜け出していて、一歩後ろに跳ぶ。男は呆気に取られた顔で前に立つ彼女を見下ろしていた。確かにガシリと捉えていたはずのアンジェリカが自分の腕の中から消えていることが理解できないらしい。と思ったら、ハタと我に返ってまた腕を伸ばしてくる。


「くそ、このアマ!」

 アンジェリカは男の手を避け、顔の横を通り過ぎていく腕を捉えた。そうして、彼自身の突進の勢いを使って、巨体を投げる。ドゥ、と地響きを立てて地面に叩き付けられた男をそのまま放置し、彼女は残る一人を目で追った。

 男は女性を担ぎ上げたところで、アンジェリカを一瞥して走り出す。

「待て――!」

 すぐさま追いかけようとした彼女の足が、止まった。そして、男の足も。


「なんだ、貴様は!? どきやがれ!」

 彼が怒声を浴びせかけたのは、アンジェリカではない。その相手は、彼の前に立ちはだかる金髪の男――ブライアンだ。声と同時に人さらいは拳を振り上げ、ブライアンめがけて繰り出した。


「ブラ――!」

 一瞬後には、地面に伸びるブライアンの姿を予想した。

 けれど、そうはならなかった。


 アンジェリカの目にはブライアンが男の拳を掻い潜るのが映り、次の瞬間には、襲った男の方がへなへなと崩れ落ちていく。ブライアンは男が倒れ伏す前に彼の肩に担がれていた女性をすくい取った。


(今、彼が……?)

 アンジェリカは半信半疑で自問した。

 けれど確かに、彼の倍は重そうな男を、ブライアンが瞬殺したのだ。


 ポカンと見つめるアンジェリカのもとに、女性を横抱きにした彼が駆け寄ってくる。

「早くここを離れよう。縛るものもないし、起きてこられたら厄介だろう?」

 たった今、荒事をこなしたとは思えない涼しい顔をしたブライアンにそう言われ、アンジェリカは目をしばたたかせた。

「あ、ああ……」

 我に返って頷いて、先に立って走り出す。


 女性を担いでいるにも拘らず平然とアンジェリカの隣を走っているブライアンの横顔を、彼女はチラチラと見ずにはいられなかった。その視線に気付いて、彼が首をかしげるようにして見返してくる。

「何?」

 いぶかしそうに問われて、アンジェリカは束の間目を逸らし、そして言う。

「強くなったな」

「え? ああ」

 彼女の一言にキョトンと目を丸くしたブライアンは、次いで満面の笑みを浮かべた。それはそれは嬉しそうに。

「そうかい? 実はね、旅に出てからはボールドウィンの稽古が受けられないから、代わりに君のお兄さんに鍛えてもらってるんだ。彼のはボールドウィンが教えてくれるのとはちょっと違うんだよね。なんていうか、より実践的っていうか。ボールドウィンが教えてくれるのは正攻法っていう感じでさ」

「兄さまに……いつの間にそんな仲良くなった?」

「仲良い、かなぁ……時々ちょっと本気で殺意を感じるよ。まあ、拝み倒してお願いしたから、文句は言えないんだけど」


 拝み倒して。


 何だか、その光景が目に浮かぶ。ふんぞり返ったガブリエルの前で金髪を地にこすりつけんばかりにひれ伏していても、おかしくない。実際、必要とあればブライアンはきっとそうするだろう。


「……あなたは、いつだってそうやって気軽に人の手を借りることができるのだな」

 そんなふうに人に頼ることに、ためらいを覚えないのだろうか。


 ――アンジェリカには、できない。


 誰かに助けを求めるというのは、弱さだ。

 誰かの手を借りなければならない者が、他の誰かを守れるとは思えない。

 誰かを守る者は、独りで立てなければ、ならない。


 むっつりと口をつぐんだ彼女に、ブライアンが小さく笑う。

 そして、笑いを含まぬ声で。

「僕はね、最終的に、目的を成し遂げることができるかどうかが大事だと思うんだ。そうするために人の手を借りることが必要だというのなら、いくらでも借りるよ」

 チラリとブライアンに目を走らせると、いつものおどけは微塵もない、真剣な横顔があった。


 それは、そうなのかもしれない。

 そういう考え方も、あるだろう。


 そううなずく自分もいるけれども、やっぱり、アンジェリカ自身はとうてい彼がするようにはできそうもなかった。


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