鉱山の街④
組合の建物を出たアンジェリカたちは、ひとまず宿を探すことにした。
が、丁度、冬に入る前に最後のひと仕事をしようという者がこの街を訪れている時期で、なかなか空きが見つからない。
夕食がてらあちこちで買い食いをしつつ宿巡りをし、五軒目でようやく取れたのは、二人部屋だった。
「二人部屋って――」
ブライアンが窺う眼差しをガブリエルに向ける。兄は小さく肩をすくめた。
「元々、私とアンジェリカの二人だけの予定だったからな、あなたはあなたでどこか探してくれ」
すげなくそう言うと、ガブリエルはアンジェリカの肩を抱いてさっさと部屋がある二階への階段に向かった。そこに、ブライアンが食い下がる。
「部屋の床でもいいから、いさせてもらえないかな」
貴族の跡取りとは思えない発言に、アンジェリカは眉をひそめた。
「慣れない旅先で独りになるのが不安なのは解かるが、それはどうかと思う」
「いや、その不安じゃなくて……」
そこでブライアンはチラリとガブリエルに目を走らせた。
「うっかりしたら、置いて行かれそうだし」
そんなことを言われるとは、心外だった。まるで、彼がアンジェリカたちのことを信頼していないかのようだ。
彼女はムッと口を尖らせる。
「そんなことはしないと約束する」
「いや、でも、離れてたら、色々無駄が増えてしまうだろう? 大丈夫、ごつごつした土の上に寝ていたのを考えれば、屋根のあるところなんて天国だよ」
「でも、せっかく街に来たのだからちゃんとした寝台で寝た方が疲れが取れる。ここまで強行軍だったのだから、ちゃんと身体を休めるべきだ」
「あなたの姿が見えなかったら、身体は休まっても心は休まらないよ」
ブライアンは、お願い、と手を合わせんばかりだ。
アンジェリカに注がれるのは懇願の眼差しで、こんな顔をされると、拒むことが難しくなってくる。
「兄さま……」
腕の中から見上げると、ガブリエルは、これ以上はないというほどあからさまな『不承不承』のため息をこぼした。
「わかったよ、仕方ないなぁ。じゃあ、行こうか」
刹那、ブライアンの顔がパッと輝いた。
(本当に、素直な人だな)
アンジェリカは感心すると同時に、少し不安にもなった。こんなにいろいろあけすけで、この人はこの先やっていけるのだろうかと。
十以上も年上の立派な大人に対するアンジェリカのそんな心配をよそに、ガブリエルは階段を上がっていく。
彼女たちにあてがわれたのは、寝台が二つと小さな卓があるだけの部屋だった。寝台と寝台の間もようやく人が一人通れるか、というくらいしかあいていない。そもそもは一人用の部屋に、無理矢理寝台を二つ入れただけなのかもしれない。とはいえ、室内はきれいに掃除されているし、寝台もきれいに整えられていて寝心地は良さそうだ。
その部屋の隅に荷物を下ろすと、ガブリエルはブライアンを振り返る。
「アンジェリカは奥の寝台、私は手前を使う。あなたはここだ」
そう言って彼が指さしたのは、扉の前の床だった。
アンジェリカは兄の指の先を見つめ、そしてブライアンを見る。
彼は微笑み返してきたけれど――
「やっぱり、これは良くないと思う。私と兄さまで一緒に寝て、ブライアンはその寝台を使うのはどうでしょうか」
時々、アンジェリカはコニーと一緒に寝る時がある。この寝台は普段使っているものよりもやや狭いけれども、同衾は不可能ではない。
アンジェリカの提案に、しかし、ガブリエルはニッコリ笑ってかぶりを振った。
「君と一緒、というのは別に構わないけどね、これに二人で寝るのは無理じゃないかな」
確かに、兄に寝苦しい思いをさせてしまうのは申し訳ない。
「じゃあ、私が床に――」
「「却下」」
感動するほどピッタリと、男二人の声が揃った。
アンジェリカはブライアンが寝床にする予定の床を睨んで、三番目の策を考える。
二つの寝台を三人で使う方法といったら、あとは――
「私とブライアンが一緒に寝るとか……?」
床の硬さを我慢するのと窮屈なのを我慢するのとでは、まだ窮屈な方がマシではないだろうか。
この案でどうだと顔を上げ、兄とブライアンを見た。
二人は、妙な顔をしている。やけに強張っている、というか。
「兄さま、ブライアン?」
呼びかけると、彼らは同時に我に返った。
アンジェリカに返事をくれるのかと思ったら、何故か兄はブライアンに向き直る。そして両手を彼の肩に置いた。
「ちょっと、君? どうして、アンジェリカは気軽にこんなことを言えてしまうのかな? まさか、同じようなことをしたことがあるとか、言わないよね?」
ガブリエルの声は朗らかだけれども、アンジェリカに背を向けているので表情は見えない。その一方で、兄の肩越しに半分だけ見えるブライアンの顔はさっき以上に強張っている。
「まさか、そんな、ろくに手も触れられないのに――って、痛い、痛いです!」
どうやら、アンジェリカの提案が物議をかもしてしまったらしい。
「ダメなら――」
言いかけたアンジェリカに、ガブリエルがクルリと振り返った。
笑顔がなんだか怖い。
「君の案は論外だ。とにかく、私が言った通り、君はそこ、私はこっち、彼は床だ」
「ですが……」
一文字たりとも反論を許さない眼差しを向けられて、アンジェリカは開けかけた口をピタリと閉じた。小さいころから良く判っている。こういう時の兄には、何を言っても無駄だ。
神妙に佇むアンジェリカをジッと見つめてから、ガブリエルは小さく息をついた。
「まったく、少し教育を間違えたかな。もう少し、男と女というものについて教えておくべきだったか……」
「?」
口は閉じたまま目で問いかけたアンジェリカに、ガブリエルは苦笑する。
「何でもないよ」
そう言って、クシャリとアンジェリカの頭を撫でた。
「私は少し情報収集をしてくるから、君は休んでおいで。遅くなるかもしれないから、先に寝ていても構わない」
「私も一緒に行きたいです」
両親と過ごしたことがある場所を、アンジェリカももう少し歩いてみたい。そう思っての言葉だったけれども、ガブリエルは首を振る。
「女性がいては入りづらい場所もあるからね。時間ももう遅いし、今日はここにいておくれ」
アンジェリカの気持ちも汲んでくれているのか、ガブリエルは少し申し訳なさそうに言った。残念ではあるけれど、仕方がない。
「わかりました」
素直にうなずくアンジェリカの頭をもう一度ひと撫でして部屋を出ていきかけて、ガブリエルはふと立ち止まる。まだ扉の脇に立ったままだったブライアンを一瞥した。彼の耳にぼそりと何かを言ったようだったけれど、声が小さくて聞き取れない。
ただ、その一言で、ブライアンがピシリと固まったのだけは見て取れた。




