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放蕩貴族と銀の天使  作者: トウリン
天上を舞う天使は雲の中を惑いそして墜ちる。

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鉱山の街③

「あなたは……生きていたのか……」

 兄によればモーガン・ヘニングという名らしいハイヤーハム鉱物取引組合の長なる人物は、アンジェリカを見るなりそう呟いた。


 ガブリエルはチラリとアンジェリカを見遣ってから、ヘニングに向き直る。

「彼女をご存知ですか?」

「もちろん! 忘れるわけが――忘れられるわけがない。ずいぶん大きく、綺麗になったが、あの頃もたいそう美しい子だった。ましてや、お母さんにそっくりだからな」

 ヘニングはアンジェリカに視線を注いだまま、感慨深げに言った。

 けれど、アンジェリカの記憶の中の母の顔はおぼろげだ。そっくりだと言われても実感はわかない。

 心許なくガブリエルを見上げれば、彼は温かな眼差しで頷きを返してくれる。


 思い返してみると、兄から両親の話を聴くことはほとんどなかった気がする。

 多分、アンジェリカに記憶の欠落があることに気が付いていたからなのだろう。

 もしかしたら、ウォーレス・シェフィールドのことさえなければ、過去を掘り返さずにいるつもりだったのかもしれない。

 アンジェリカは猫の目亭で穏やかに幸せに暮らしていたのだから、不穏な過去は封じたままで、その暮らしを続けさせたかったのかもしれない。


 ――ガブリエルは、アンジェリカの幸せを一番に考えてくれる人だから。


 改めて兄の愛情を感じているアンジェリカに、いかに彼女が母に似ているかを、ヘニングは更に言葉を重ねて言い募る。

「本当に、瓜二つだよ。一瞬、彼女が生きていたのかと思ってしまったくらいだ。お母さんに逢いたいと思ったら、鏡を見るといい。ああ、でも、彼女はそのお兄さんのような金色の髪だったな。銀髪は、お父さんの方だった。お兄さんはお父さんとよく似ている。彼の方が、もう少しがっしりした感じだったがね。彼の目は、夏の晴天のような青だったよ」

「よく覚えていらっしゃいますね」

 感心したように言ったのは、ガブリエルだ。ヘニングはようやくアンジェリカから目を放し、彼を見る。

「それは、忘れようと思っても忘れられるわけがない。ヒトとは思えないほど美しいご両親だったからな」


 そこで、組合長は口をつぐむ。そうして、少し窺うような眼差しになって、ためらいがちに切り出した。


「その、彼らがここに来た理由は、知っているのかな?」

「ああ、ええ、推測ですが。恐らく、貴石の不正取引を解決するためだったのではないかと」

 ガブリエルの返事に、ヘニングはホッとしたように肩の力を抜いた。

「そうだ。我々の内部調査では半年かかっても掴めなかった奴らの尻尾を、ケアリー夫妻は七日で縛り上げてくれたよ」

 微笑みながら彼はそう言ったが、ふと、その笑みが曇る。


「問題を解決してくれた彼らはこの街を出て、その二日後に、崖下に落ちている馬車が見つかったんだよ。ここからそう離れていない場所だ」

 ヘニングが唇を引き結び、部屋には沈黙が訪れる。と、何かに気付いたようなブライアンの声が、それを破った。


「ちょっと待って、さっきアンジェリカを見た時、あなたは『生きていたのか』って言いましたよね?」

 そこで初めてブライアンの存在に気付いたように、ヘニングが目をしばたたかせる。問うような眼差しを向けた彼に、ガブリエルが肩をすくめた。

「ああ、彼は、ちょっとした連れです。ある程度の話はしているので、お気になさらず」

「そうか。――ええ、確かに、言ったよ」

 後半はブライアンに向けた台詞だ。


「でも、どうしてそんなふうに? ご両親が亡くなった時、彼女はひとまずここに保護されたのでは?」

 そう問われて、ヘニングは困惑の眼差しになる。

「いや、ハイヤーハムに連れてこられたのは、ご両親だけだ」

「え……」

 予想外のヘニングの言葉に、アンジェリカ、ガブリエル、ブライアンは同時に顔を見合わせた。


「でも、それなら、誰がアンジェリカを? 私が探し出した時、彼女は南のコールスウェルにいたのですが」

「コールスウェル? それはまた遠い……でも、それは我々ではないですよ。私たちが見つけたのは、崖の下で壊れていた馬車と、そのすぐそばにいたお父さん、それに、かなり離れたところにいたお母さんの、二人だけだった」

 ヘニングがそう言うならば、間違いなくそうなのだろう。


 けれど、そうなると、アンジェリカはいったいどうやってコールスウェルまで行ったのだろう。わずか十歳の子どもが馬で五日はかかる距離をたった一人で動けるわけがない。

 誰かが彼女を拾い上げ、コールスウェルまで連れて行ってくれたはず。


 ――それはいったい誰なのか。


(たまたま通りかかった人?)

 だったら、その人物を見つけるのは不可能だ。


(ここで手詰まりなのか)

 アンジェリカは胸の中でため息をついて、これからどうするのだろうとガブリエルを見上げた。と、兄は何やら考え込んでいる様子だ。


 どうしたのだろう。


 アンジェリカが首を傾げた時、ヘニングが机を回って壁際に向かった。そこは本ではなく物を入れるための棚になっているようだった。

 彼はしばらくそこでごそごそしていたけれど、やがてそれほど大きくはない箱を手にしてアンジェリカ達の方へやってくる。


「これを。まさか、誰かに渡せるとは思っていなかったが」

 そう言って、彼はその箱をアンジェリカに差し出した。

 受け取っても、それほど重くはない。かなりしっかりと封がしてあるようで、今この場で開けて中身を見ることはできなそうだ。


「何でしょうか」

 首をかしげてヘニングを見ると、彼は少し苦しげに目尻を歪めて微笑んだ。

「あなたのご両親のものだよ。ほとんどのものが汚れたり壊れたりしてしまっていたが、残せるものは残しておこうと思ってね」

「父さまたちの……」


 不意に、箱が重みを増したような気がした。それを抱える腕に無意識に力を込めたアンジェリカの背中に、温かなものが置かれる。ふと顔を上げて何となく横を見るとブライアンの微笑があった。

 アンジェリカは背の温もりが彼の手のひらが与えてくれるものだと悟り、悟ると同時に、強張った身体から力が抜ける。


 大丈夫、とブライアンに目配せをしたところで、ヘニングがどこか申し訳なさそうな口調で言う。

「本当に、多くはないんだよ。誰か受け取ってくれる相手が現れるとは思っていなかったからね。だが、この街の為に尽力してくれた人たちが、ただ消えていってしまうことが悔しくてね」

 ヘニングの声が、不意に詰まった。見ると、また、彼の目が潤んでいる。


「本当に、あなたが生きていてくれて良かった」


 彼は束の間目尻を親指と人差し指で摘まんで目を閉じ、開ける。そうして、ガブリエルに目を向けた。

「この街にいる間は、何でも言って欲しい。ゆっくり過ごしてくれ」

 ヘニングの申し出に、ガブリエルが顎を引くようにうなずく。

「それなのですが、両親が亡くなった場所を訪れてみたくて」

「ああ、そうだな。確かに、そうしたいだろうね。では、さっそく明日案内しよう」

「ありがとうございます」

 笑顔と共に礼を言うガブリエルにヘニングも微笑みを返したが、ふと思い当たったように問いかけてくる。


「そういえば、宿はどうしたんだい? 何なら、私の家に泊まってもらってもいいのだが」

 ヘニングの言葉に、ガブリエルはかぶりを振った。

「いえ、大丈夫です。宿を取りますので」

「そうかい。なら、もしも部屋が空いていなければ言ってくれ。では、明日、早めの時間に出るとするか」


 ヘニングのその言葉を最後に、彼に見送られながらアンジェリカ達は組合を後にした。


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