鉱山の街①
絶えず煙の臭いが漂い、そこかしこから金属を打つ音が響いてくるハイヤーハムは、雑然としていて、どこかエイリスサイドに似た雰囲気を持つ街だった。
街の入り口にある厩舎に馬を預けたアンジェリカたちは、身軽になって中央の本通りを歩く。夕食時が近いこともあって、そこは人でごった返していた。
幼いころから肉体労働に従事している為か、通りを歩く人々は皆筋骨たくましい。男性は言うに及ばず、女性ですら力強い身体つきをしていて、ガブリエルやブライアンの方がよほどなよやかに見えた。
ガブリエルが先に立ち、アンジェリカとブライアンが並んでその後に続いているのだけれども、そんな彼らはどうしても目を引いてしまうのか、行き交う人々が通り過ぎざまにチラチラと視線を送ってくる。
人目を引くということは、それだけ揉め事に巻き込まれる確率も上がるということだ。
ガブリエルは自分で対処できるだろうけれども、ブライアンには難しいだろう。
(ブライアンのことは気を付けておいてあげないと)
アンジェリカは隣を歩くブライアンをこっそりと見上げた。粗野な雰囲気が不安なのか、彼は心持ち眉間にしわを寄せて辺りに視線を走らせている。と思ったら、すぐにアンジェリカの視線を感じ取ったらしく、その目を彼女に向けてきた。
「どうかした?」
柔らかな、笑顔。
(やっぱり、いつも通りだ)
彼女は胸の内で呟き、ホッと息をつく。
「何も」
「そう? ――っと」
不意にブライアンが手を伸ばしてアンジェリカの肩を引き寄せた。ふら付き彼にもたれかかった彼女をかすめるようにして、ひときわ大柄な男がすれ違っていく。
その背を束の間見送ってから、ブライアンは腕の中に囲い込んだままの彼女を、小首をかしげて見下ろしてきた。
「大丈夫?」
近いところから真っ直ぐに見つめられ、何故か、微妙に気まずいような、何かうずうずとしたものがアンジェリカの中に漂う。
ブライアンが彼女に触れてくることは滅多にないのだけれども、たまに触れられると、今のように何となく落ち着かない気分になる。
前から、ではなかったと思う。いつからなのかと振り返っても、答えははっきりしない。
アンジェリカの居心地の悪さを察知したように、肩に置かれた彼の手はすぐに離れたけれども、二人の距離はそのままだ。歩くには不都合で、アンジェリカは半歩分だけ遠ざかる。
「大丈夫――ありがとう」
若干つっかえながら礼を言った彼女に、ブライアンはニコリと微笑んだ。その笑みに、アンジェリカの中にあった凝りが散らされる。
「……ブライアンは、人を和ませるのがうまい」
「え?」
キョトンと目を丸くした彼に、アンジェリカは黙ってかぶりを振った。
今もそうだけれども、野盗に襲われた後も、そうだった。アンジェリカは、深い意図などなかっただろうブライアンの言葉に過剰な反応を示してしまった。正直、彼女自身、どうしてあんなふうに取り乱してしまったのか、よく判らない。自分でもおかしいと思ったからすぐに謝って、彼はそれを受け入れてくれた。それからは、完全に普段通りになっている。
ブライアンの凄いところは、そういうところだと思う。
鷹揚というかなんというか。こちらが変な態度を取ってしまっても、まるで気にしない。いや、気にしているのかもしれないけれど、それを外には表さない。
謝罪の後もどうしてもぎくしゃくしてしまっていたアンジェリカに、彼は前と変わらぬ朗らかさで接してくれた。彼女のぎこちなさに、気付いていないということはなかったはずだ。そんな鈍い人ではない。
それなのに、気付いていても、サラリと受け流してくれる。
(そんなふうにできるのは、彼が大人だからなのだろうか)
物思いにふけりながらアンジェリカが見るともなしにブライアンを見ていると、また、彼が目を向けてきた。視線が合って、何故かブライアンは、ほんの一瞬、何かを喉に詰めたような変な顔になる。それは狼狽した、といってもいいような顔だったけれど、多分、彼女の気のせいだったのだろう。
ブライアンはすぐにアンジェリカから周囲に目を移し、また、彼女に戻ってくる。今度の顔は、やけに渋い。
「アンジェリカ、あなたは頭巾をかぶっていた方がいいんじゃないかな?」
唐突にそんなことを言われ、アンジェリカは眉をひそめた。
「え?」
「あなたは目立ちすぎるよ。皆見てる」
「……それは、ブライアンや兄さまのせいでは?」
自覚がないのか、とアンジェリカが呆れた眼差しで見上げれば、それ以上に呆れ返った顔を向けられた。
「は? 違うよ。いや、まあ、二割くらいはガブリエルもあるかもしれないけれど、基本はあなたのせいだ」
眉間にしわを刻んで見返せば、ブライアンからため息が漏れる。
「お願いだから、自覚して。あなたは綺麗で可憐で愛らしい。ウォーレス・シェフィールドほどイッちゃってる輩は滅多に現れないと思うけど、あなたに対して良からぬ思いを抱く人間は腐るほどいるんだよ。確かにあなたは腕が立つけど、どうにもならない状況に陥るって可能性は、ないわけじゃないんだからね?」
懇々と説くブライアンの眼差しは、彼らしくなく真剣そのものだ。アンジェリカは、自分の方がよほど危なっかしいくせに、と思ったけれども、いつも柔らかな物腰の彼が見せた強硬な物言いに、反感と反論を手放す。
「……判っている」
小さな声での彼女の返事にブライアンの眼がキラリと瞬いた。さらに何か言ってくるのだろうかと身構えたアンジェリカを彼はまた少し見つめてから、囁く。
「頼むから、僕の存在を忘れないで」
頼むから、というところには、やけに切実な響きが込められていた。
それは、何かあったら一人で突っ走らないように、という意味なのだろう。
アンジェリカだって、見知らぬ土地で暴走するほど愚かではないというのに。
自分の力量を鑑み、手に余るようであれば、ちゃんと応援を求める。
「判っている」
同じ返事を繰り返したアンジェリカをブライアンは軽く首をかしげるようにして見つめ、ややして、小さな苦笑を浮かべた。
「ああ、ほら、はぐれてしまうよ」
ブライアンに言われて兄の背に目を戻すと、それは今にも人波の中に紛れ込みそうだった。
二人は少し足を速めて彼を追う。




