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放蕩貴族と銀の天使  作者: トウリン
天上を舞う天使は雲の中を惑いそして墜ちる。

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幕間・その二:天使の心はいつでも謎だ

 ブライアンが道を塞ぐ枝をどかしている間に、ガブリエルは襲ってきた野盗たちを脱がした彼ら自身のズボンで縛り上げていた。


 ブライアンは無造作に地面に転がされ微塵も目を覚ます気配がない彼らを一瞥する。

「ハイヤーハムから人を来させたとしても、丸一昼夜はかかるんじゃないか?」


 この時期、この格好で路上に放置したら、命に係わるのではないだろうか。


 そんな心配を胸によぎらせたブライアンに、ガブリエルは肩をすくめた。

「凍え死ぬ前に回収できるといいがな」


「兄さま、それはあまりシャレになりません」

 同情心の欠片も感じさせない兄に咎める眼差しを向け、アンジェリカが付け足す。

「身を寄せ合わせたら、一晩くらいはもつと思う」

 ブライアンを見ようとせずに、けれども明らかに彼に向けてそう言って、アンジェリカは自分の倍は重そうな男を掴んで道端に引きずっていこうとする。


 彼女のそんな素振りに、ブライアンは首を傾げた。


(やっぱり、変だな)

 普通そうにしているけれど、本当にいつも通りなら、こんなとき、アンジェリカはブライアンの目を真っ直ぐに見るはずだ。


 先ほど、木の枝を動かしているときも、アンジェリカは突然離れて行ってしまった。

 さっきも何かがおかしいと感じたけれど、交わしていた会話は取り立てて変わった内容ではなかったはずだから、ブライアンは気のせいだろうと思うことにしたのだ。


(でも、違ってたのか?)

 意識せぬまま、アンジェリカの気に障るようなことを言ってしまったのだろうか。


 眉根を寄せつつ、自分の思い過ごしかもしれないとブライアンは彼女に歩み寄った。


「僕がやるから」

「でも……」

 予想通りに渋るアンジェリカに、ブライアンは苦笑する。はいどうぞと投げてよこすとは、彼としてもこれっぽっちも思っていなかった。

 だが、確かにアンジェリカは強いけれども、筋力があるというわけではない。そんな彼女が自分よりもはるかに重いものを動かそうなど、物理的に無理がある。


「あなたには無理だよ」

 ブライアンは他意なく言ったのだが、刹那、アンジェリカはキュッと唇を噛んだ。

 その仕草に、彼は自分がしくじったことを悟る。


 また、何か、まずいことを言ったらしい。


 が。


(まいったな)


 何がいけなかったのかが、ブライアンにはさっぱり判らない。

 木の枝を片付けた時、ブライアンが口にしたのは、アンジェリカを守りたいという言葉だけ――だったと思う。今は、どう考えても物理的に不可能なことをしようとしている彼女に、その事実を指摘しただけ。

 前者は女性を怒らせるような台詞ではないはずだし、後者も、場合によっては自尊心を損なうかもしれないけれど、アンジェリカは理性的な人だ。無理なものは無理だと、自分でも判るはず。


 それが、どうしてアンジェリカを怒らせてしまったのだろう。


(いや、違うな)


 怒らせた、とは違う。

 少なくとも、木の枝を片付けていた時のアンジェリカの態度は、どちらかというと、怯えていた、という方が合っている気がする。今の目の前の彼女も、拗ねた怒ったというよりも、傷付いているというか、落ち込んでいるというか。


 だがしかし。


(それこそ、なんで? だよなぁ)


 頭の中は疑問符だらけだったが、口を開けば墓穴を深くするばかりな気がして、ブライアンは黙ってアンジェリカから男を奪い、壁際へ運ぶ。

 唸りながら男たちを動かすブライアンに手を貸そうとするアンジェリカをガブリエルが引き留めたのが、彼の視界の片隅に入った。

「君には向いていない仕事だよ」

「でも……」

「適材適所というものだ。彼に任せておきなさい」

 そんな兄妹の遣り取りを耳から耳へと流しつつ、ブライアンは本日二度目の肉体労働に励む。


 力が抜けた筋肉の塊は、かなり重い。

 最後の方は身体の節々が軋んでいたが、それでもどうにか動かし終えた。


 やれやれと腰を伸ばしたブライアンに、背後から、そっと声がかかる。


「ブライアン」


 振り返ると、そこにいるのは、もちろん、アンジェリカだ。今の彼女は、真っ直ぐにブライアンを見つめている。


 アンジェリカは一呼吸分間を置いてから、口を開いた。


「申し訳なかった」


「え?」


 何の脈絡もない謝罪の言葉に、ブライアンは目を瞬かせた。彼のそんな反応に言葉足らずであることを悟ったのか、アンジェリカが言葉を足す。

「さっき、その、枝をどかしてくれていた時、変な態度を取ってしまった。申し訳なかった」


(謝ったということは、僕が悪いという訳ではないということでいいのか?)

 だが、彼の言葉の何かがアンジェリカの心に引っかかったのは紛れもない事実だ。


(謝るよりも、その何かを教えて欲しいよ)

 ブライアンは、唇を引き結んでいるアンジェリカを見つめて、胸の内でぼやいた。


 悄然とブライアンの返事を待っているアンジェリカに、自分の言葉の何がいけなかったのか、訊いてしまいたい。だが、それを訊ねることでせっかく歩み寄ってきた彼女がまた逃げ出してしまいそうで、そうすることもためらわれた。


 束の間の逡巡ののち、ブライアンは『なかったことにする』という選択肢を選ぶ。もう一歩踏み込めない自分が情けなかったが、仕方がない。


「何のことだい?」

 ニッコリと、作り慣れた本心を偽る笑みを浮かべて、彼はそう言った。

 と、アンジェリカはほんの一瞬拍子抜けしたような顔になり、すぐにそれは安堵の表情に取って代わる。


「……不快にさせたのでなければ、いい。気にしないで欲しい」


 不快には思っていないが、気にはなる。

 とても、気にはしている。

 アンジェリカのことは一から百まで知りたいし、特に、彼女を翳らせることならなおさらだ。それを知っておいて、徹底的に排除してやりたい。


 やっぱり根掘り葉掘り聞きだしてしまおうかという欲求に駆られつつ、それを無理やり胸の奥に押し込んで、ブライアンは軽く首をかしげて何でもないことのように言う。


「不快って、なんで?」

 とぼけた彼に、アンジェリカの表情が更に和らいだ。


 笑顔、ではない。が、限りなく笑顔に近い、表情。


(ああ、まずい)

 抱き潰したい――安堵一択のアンジェリカのその顔を目にした途端、ブライアンの胸の中に衝動が込み上げる。


(ガブリエルさえいなければ)

 いや、たとえ彼がいなくても、そんなことはできやしないが。


 アンジェリカがこうやって打ち解けた顔を見せてくれるのは、ブライアンが『イイ人』だからだ。現状では、万一彼が抱き締めたり口付けたりした日には、一気に彼女は壁を築いてしまうことだろう。


『イイ人』のままではいたくない。

 断じて、断る。


 だが、こんなふうに無防備な彼女を見せてくれなくなるのも、嫌だ。


 グラグラと揺れる理性の上で、アンジェリカの可愛らしい頭の中を覗き込むことができたらいいのに、と、ブライアンは切実に願った。


 彼女が何を望んでいるのか――何を恐れているのか。


(女性の望みを叶えることなんて、簡単なことだと思っていたのになぁ)


 ブライアンはこっそりとため息をこぼしつつ、信頼溢れる菫色の瞳に向けて、もう一度、ヘラッと笑って見せた。


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