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放蕩貴族と銀の天使  作者: トウリン
天上を舞う天使は雲の中を惑いそして墜ちる。

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北の地へ④

 アンジェリカはお茶を淹れ、ガブリエル、そしてブライアンに渡すと、自分もカップを手にして、二人のちょうど真ん中に腰を下ろした。


 彼女がお茶を一口すすったのを見てから、ガブリエルが口を開く。

「で、アンジェリカにはもう少し話をしたのだが、君にも私たちの両親のことを少し説明しておこう」

 その視線が向けられているのは、焚火をはさんで真向かいに座るブライアンだ。


「ご両親って、十年ほど前に……」

 首をかしげたブライアンが、アンジェリカに目で問いかけてきた。

 アンジェリカは兄に目を走らせ、彼が小さく頷くのを見てからブライアンに答える。

「私の父と母は、巡回警邏官というものだったらしい」

「巡……? なんだい、それ?」

「ひとところに留まらず、依頼があった場所に赴いて問題を解決する、この国全土の保安を図ることを目的とした警邏官なのだそうだ」

「へぇ……そんなの、いたんだ」

 ブライアンも、その存在のことを全く知らなかったらしい。目を丸くしている彼に向かって、アンジェリカの後を引き継いだガブリエルが続ける。


「父と母はこれから向かうハイヤーハムで任務を果たし、その帰路で命を落としたらしい」

「あれ? でも、あなたが身を寄せていた孤児院はもっと南の方じゃなかったっけ?」

 そう言って、ブライアンが首を傾げた。

 彼のそのセリフに、アンジェリカは目をしばたたかせる。

 彼女が自分の昔の話をしたのは、二度か三度か、せいぜいそのくらいだったと思う。しかも何かのついでのような感じでこぼした程度だったはずだ。


 さっと流しただけの話をよく覚えているものだと感心しながら、アンジェリカは頷いた。

「北で両親を喪った私を、誰かがコールスウェルに連れて行ってくれたのだと思う」

「お兄さんではなく?」

「兄さまではなく」

 不思議なほどに記憶が曖昧だけれども、ぼんやりと、それが男の人だったことは覚えている。兄よりももっと年上の、身体の大きな人だった。


 束の間記憶の深みにはまったアンジェリカを、ガブリエルの声が引き戻す。

「多分、ハイヤーハムの住人の誰かなのだろう。あるいは、行商人か。いずれにせよ、誰かコールスウェルに向かうものがいて、一緒に連れて行ってくれたのだろうな。ハイヤーハムは子どもが住むには向いていない街だから」

「そうなんだ?」

 目をしばたたかせたブライアンに、ガブリエルが肩をすくめた。

「ああ。十にもなれば、坑道の奥で働き詰めにされる」

「え……十歳で? でも、坑道というのは危険なところなのだろう?」

「むしろ身体が小さい分、小回りが利くから使い道がある。貴族の屋敷の煙突掃除も子どもがしているだろうが。同じようなものだ」

「そ、れは、そうだけど……」

 ブライアンが口ごもった。


「兄さま、それは今の話とは関係ないでしょう」

 言葉もないブライアンと彼に嘲りの眼差しを向けている兄とを取りなすように、アンジェリカは両者の間に割って入る。何となく、ブライアンの打ちひしがれた様子は見ていたくない。何というか、ようやく歩き始めたばかりの雛をうっかり蹴り飛ばしてしまったような気分になる。

 ガブリエルはさらに蹴り飛ばしたそうに見えたけれども、アンジェリカが菫色の目を光らせて睨み付けると肩をすくめてカップの中身をすすった。


 やれやれとアンジェリカがブライアンに目を移すと、ブライアンは何かを深く考え込むように、ジッと焚火を見つめている。

 そんなときの彼はいつものおちゃらけた様子が消え失せて、『何か』を背負う人の顔になる。


 温室育ちの貴族の面々のご多分に漏れず、ブライアンも物知らずだ。

 庶民の『過酷な現実』を見聞きするたび、彼は目を丸くし、時に落ち込む――自分が無知であったということに。

 最初の頃は、それもまた、アンジェリカに好感を持たせるための演技なのかと思っていた。けれどすぐに、そうではないことが判ってきた。


 呆れるほどにお人好し。

 それが、ブライアン・ラザフォードという人なのだということが。


 ほとんどの貴族は庶民の生活のことなど知らないし、知ったところでどうとも感じないだろう。ブライアンのように、いちいち真に受けてしまう方が稀なのだ。


(だけど、ブライアンが他の貴族と一番違っているのは、そこじゃない)

 彼のすごいところは、知った後に行動するところだとアンジェリカは思う。

 知らなかった、そうか、悲しいね、では終わらず、必ず、どうしたらいいのだろう、と続く。

 全部が全部解決方法が見つかるわけではなく、むしろ、どうにもならないことの方が多いけれども、それでも、そうやって一緒に考えてくれる人がいるというだけで、アンジェリカは嬉しくなる。


 そんなこと思いながらブライアンを眺めていると、彼女の視線に気づいたのか、彼が顔を上げた。目が合うと、へにゃりと笑う。緊張感のない笑い方だけれども、アンジェリカはそれが嫌いではない。時々、つい、つられて笑い返しそうになってしまう。


「とにかく、ハイヤーハムに行って、当時両親がしていたことを調べようと思う」

 静かに届いたガブリエルの声に、アンジェリカは我に返った。

「父さまたちが何をしていたかは、全然判っていないのですか?」

「いや……父上たちが訪れたのと同じころ、貴石の不正取引が摘発されていた」

「貴石の?」

「ああ」

 頷き、ガブリエルが続ける。


「ノールス地方では鉱石が採れる。各地で採掘された様々な鉱物――貴石は、ハイヤーハムに集められ、国によって厳しく管理されているんだよ。そこでかつて不正があり、解決された」

「それが、父さまたちが成し遂げたことだと?」

「多分ね。どういう経緯で解決されたかは公にはされていないけど」

 そう言って、兄はカップを口に運んだ。


 しばらくの沈黙。


 そして。


「貴石の違法取引経路は父上たちが潰したが、その報復で襲われ、命を落としたのではないかと私は考えている。たとえどんなに悪天候、どんなに悪路だとしても、父上が馬車の手綱さばきを誤るなど考えられない。ましてや、そこらの山賊やらなにやらに後れを取るなど、絶対に、あり得ないんだ。だから、二人を殺すのだという意図をもった、それなりの能力を有している者に襲われたに違いない」


 ガブリエルの眼にあるのは、揺らぎのない確信だ。

 両親の力を信じているが故に、その死は事故ではないと、彼は信じている。


「報復」

 アンジェリカは短く繰り返した。

 避けようがなかった事故ではなく、誰かの悪意によって、二人は奪われたのか。


 手にしたカップに爪を立てる。


 キリ、と音がした、その時。


 彼女の手の甲に温かなものがそっと触れる。


 瞬きを一つしてそこを見ると、添えるようにしてブライアンの指があった。それを辿っていった先で鮮やかな緑の瞳と視線が絡む。


 彼は何も言わず、アンジェリカを見つめている。

 その穏やかさ、温かさが、波立った彼女の心を包み込んでくるようだ。

 次第に自身の内側が凪いでくるのを感じて、アンジェリカは戸惑った。


(どうして……?)

 こんなふうに、ブライアンに影響を受ける自分は、居心地が悪い。


 アンジェリカは首を捩じるようにして再びガブリエルに目を戻す。

「父さまたちを襲った者は、見つかっていないのでしょう?」

「ああ。そもそも、あれはただの事故とされていたしな。ただ、不正取引の表面に出ていた者は軒並み捕縛されたが、その背後にも何者かがいた可能性が出てきたんだ。で、今回、君が巻き込まれた事件でウォーレス・シェフィールドという男のことを知ってな。その男は、その件とハイヤーハムの件以外にも、各地の違法取引にも関与しているかもしれない」


「え?」

 アンジェリカは眉をひそめた。そんな彼女に向けたガブリエルの眼差しに、スッと冷徹な光が宿る。


「得体が知れない、影のような男なんだ。様々な事件で、この『特徴のない男』が報告されている。だが、誰一人としてはっきりと証言できなくて手をこまねいていた」

 ガブリエルがアンジェリカの頬に手を伸ばす。そうして、そっと目の下を親指でなぞった。

「君は、あの時あの男を見ているはずなんだ。君の記憶が戻れば、正式に父上たちを殺した者として、あいつを追える」


 アンジェリカに真っ直ぐ向けられているのは、怖いほどに真剣な面持ちだ。

 こんな兄の顔は、今まで目にしたことがなかった。


(兄さまだって、平気なわけではなかったんだ)

 再会した時からずっと、いつでも飄々としていたから、もう過去のものとして兄の中では片がついてしまっているのかと思っていた。


 知らなかったガブリエルの一面をまじまじと見つめるアンジェリカに、彼はふとその表情を和らげ、微笑んだ。


「もちろん、もしも君が何も思い出せなくても大丈夫、他に手はあるから」

 そう言って手を引き、立ち上がる。

「兄さま?」

「少し、見回りをしてくるよ」

 ガブリエルはアンジェリカの頭をクシャリとひと撫ですると、暗がりの中へ消えていった。


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