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放蕩貴族と銀の天使  作者: トウリン
天上を舞う天使は雲の中を惑いそして墜ちる。

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封じられていた過去②

「父上と母上がどんな務めを果たしていたか、私が今何をしているのか、君にはまだちゃんと話したことがなかったね」

 兄の台詞に、アンジェリカはこくりと頷く。

「ただ、国中を回って、各地の困りごとを解決しているのだ、と」


 少なくとも、ガブリエルについてはそう聞いている。人々の役に立つ、大事な役割に就いているから、なかなか逢えないのだと、そう言われてきた。両親に至っては彼女もまだ幼かったし、よく判らないまま二人に連れられて旅暮らしを楽しんでいただけだった。


 アンジェリカの返事に、ガブリエルは苦笑を浮かべる。

「そういわれると、何だか何でも屋か何かのようだけどね、正式には、巡回警邏官と呼ばれているよ」


「けいらかん?」

 つまり、ブラッド・デッカーのような役割ということか。

 アンジェリカは目を瞬かせた。


「王の下には日々各地から色々な歎願や問題が持ち込まれるのだけれどもね、その中でも色々と複雑な要素が絡んでくるものが我々に回ってくるんだよ」

 そこでガブリエルは言葉を切った。少しの間考え込むような素振りをしてから、続ける。


「父上と母上は、馬車の操作を誤って崖から転落したと聞いている。だが、彼らに限ってそんなことは有り得ない」

 断言した兄に、アンジェリカは眉根を寄せる。

「事故ではなかったということですか?」

「ああ。恐らく、その時に手掛けていた案件に関係があるのではないかと思う」

「じゃあ、それがどんなものだったのか判ればいいのですね。父さまたちに命じた方に詳しいことを教えていただいたら――」

 勢い込んだアンジェリカに、しかし、ガブリエルはかぶりを振った。


「それぞれの巡回警邏官の直属の上司が誰かということは秘匿事項なんだよ。父上たちが誰の命令で動いていたのかは、判らない。私が誰の下についているのか、私と上司以外には知る者がいないようにね」

「では、調べようがないのですか……」

「そういう経路ではね。でも、二人が亡くなった場所から辿って、その直前まで彼らがどこにいたのか、そこで何をしていたのかまでは調べたよ。君が預けられていたのはコールスウェルだったけど、父上たちが亡くなったのはハイヤーハムだった」

 ガブリエルはサラリとそう言ったけれども、その内容を受け入れたアンジェリカは束の間呆気に取られる。


「全然、違う場所ではないですか」


 このグランスは島国で、今いる王都ロンディウムがあるのは東部のイェルス地方だ。対して、先ほどガブリエルが挙げたコールスウェルは南西のサウェル地方にあるし、ハイヤーハムは北のノールス地方にある。つまり、ほとんど国を縦断する距離を、アンジェリカは一人で移動したことになってしまう。


 愕然としているアンジェリカに、ガブリエルが観察者の眼差しを向けてきた。


「君は、あの時のことをどれくらい覚えている?」

「あの時?」

「父上たちが亡くなった時だよ」

「私、は……」


 答えようとして、口ごもった。

 アンジェリカの記憶に残っているのは、激しく揺れる馬車の中で母に抱き締められていたことだけだ。その前後のことは覚えていない。


 どんなふうに両親が息を引き取ったのかということを覚えていないが故に両親が亡くなったことに実感が持てなかったアンジェリカに、彼女が預けられていた孤児院の先生は、あまりに衝撃的な事だったから、記憶に留めておけなかったのだろうと言っていた。言っていたことを、今、思い出した。

 もちろん、アンジェリカは思い出したかったし思い出そうとしていたけれども、日々を過ごすうち、次第にその気持ちも薄れてしまった。そうして、いつしか、そのことを忘れていたということすら、忘れてしまっていたらしい。ガブリエルに問われて、その事実に気付かされた。いつの間にか、アンジェリカの頭の中では両親の死はただの事故になっていて、敢えて思い出す必要などないことになっていたのだ。


(大事なことなのに)

 記憶の奥に押し込んでしまっていたなんて、信じられない。


 唇を噛んだアンジェリカに、黙って彼女を見守っていたガブリエルが静かに告げる。


「そろそろ、思い出すべき時期だと思うんだ」

「兄さま、でも……」


「ウォレス・シェフィールド」

「え?」


 突然あまり聞きたくなかった名前を聞かされて、アンジェリカは目を瞬かせた。そんな彼女に、ガブリエルは淡々とその男の名前を繰り返す。


「父上たちが関わっていた件には、ウォレス・シェフィールドが絡んでいたかもしれない」

「彼、ですか?」

「ああ。シェフィールドは、黒髪黒目でこれといった特徴のない、人当たりの良いしゃべり方をする――そんな男なのだろう?」

「はい」

「さっきも言ったように、この十年の間、私は任務の合間に独自に父上たちのことを探っていたんだ。彼らが最後に解決した案件を調べているときに、そんな男が見え隠れしていた」

「彼のような人はどこにでもいます」

「まあね。でも、特徴がない、というのはある意味最大の特徴になる」

 言われて、アンジェリカは考え込んだ。確かにウォーレス・シェフィールドのことを思い出そうとしても何となくぼやけてしまって、ガブリエルに特徴を伝えようとしてもさっぱり出てこなかった。言われてみると、そんな人物の方がむしろ珍しい。


 頭の中を整理しようと試みるアンジェリカを待つことなく、ガブリエルが畳みかける。

「恐らく、今回の件は、最初から君を狙っていたのだと思う」

「でも、あれは、人身売買目的の誘拐だったのでは?」

 半信半疑のアンジェリカに、彼はかぶりを振った。


「多分、そちらは目くらましか、あるいはついでの一仕事というところだろう。捕らえることができた数人の下っ端から聞き出したところによると、君を手に入れた途端にあの男は出発の準備を始めたそうだから」

 肩をすくめながらそう言った兄を前に、アンジェリカの脳裏をウォーレスと対峙した時のことがよぎる。


(あの時彼は――)


 十年。

 そう、確かに、十年がどうのと言っていた。


(彼が、母さまたちを、殺した?)


 自分は、その現場を見ていたのだろうか。

 アンジェリカはきつく目を閉じ、記憶を辿る。


 ――全然、覚えていない。


 歯がゆさに、膝の上で拳を握り締めた。手のひらに爪が食い込んで痛みを覚えたけれども、その刺激で頭が何かを思い出してくれることを望んで、いっそう力を籠める。


 でも。

(何も、何も、出てこない)


 不甲斐ない自分に、腹が立った。


 と、静かな声が彼女を呼ぶ。

「アンジェリカ」

 顔を上げると、ガブリエルがジッと彼女を見つめていた。

「過去のことはどうでもいいんだ。母上たちとの良い思い出さえ残っているなら、別に無理に記憶を取り戻す必要はないと思う。だが、君に執着しているなら、あの男はまた君を狙ってくるだろう。だから、あの男を捕らえるために、思い出さなければいけない」


「兄さま」

「私はひと月の休暇をもらったよ。そのひと月で、君の記憶を探してみよう。君があの男のことを思い出せば――父上たちが追っていた問題に奴が絡んでいたということを証言できるようになれば、正式な任務として追跡することが可能になる」

「でも……」

「自信がない? それとも、不安かい?」

 そう言って柔らかく微笑んだガブリエルは、いつもの兄に戻っていた。


 その眼差しに慈しみの温もりを溢れさせ、彼は片手を伸ばしてアンジェリカの頬を包み込む。

「大丈夫、私がついているよ」


 こういう時の彼は、アンジェリカが幼いころから少しも変わらない。彼女は遠く及ばない――絶対的な、庇護者だ。

 何度も繰り返されてきて、いつでもアンジェリカに安らぎを与えてくれたその所作が、どうしてか、今は落ち着きなく胸を疼かせる。


 キュッと唇を引き結んだ彼女に、ガブリエルがいぶかしげな眼差しを向けてきた。


「アンジェリカ?」

 彼女はこの胸の中にわだかまる何かを伝えたかったけれども、うまく言葉にできなかった。


「……なんでもありません」


 呟くように答えたアンジェリカから、ガブリエルはそっと手を引いた。そうして、彼は軽く首をかしげて彼女をみつめてきたけれど、アンジェリカはわずかに目を伏せることで、その視線を遠ざけた。


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