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放蕩貴族と銀の天使  作者: トウリン
第一部:地上に舞い降りた天使は護り手など必要としない。

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天使を求めて人の子はひた走る③

 四人、いや、五人。

 ブライアンが立つ方へ駆けてくる者がいる。

 ヒラヒラと――はためいているのは明らかにスカートだ。


 女性だ、と頭が判断した瞬間、ブライアンはそちらへ走り出していた。人数と状況から考えて、いなくなった少女たちであることはまず間違いない。だが、アンジェリカを入れれば全部で六人のはずだ。一人足りないという事実に、ブライアンは胸が騒いだ。


 彼女たちはブライアンに気付いて一瞬ギクリと立ち止まったが、すぐにまた、それまで以上に必死な様子で彼に真っ直ぐ向かってくる。


「ブライアン!」

 互いの顔が見て取れる距離まで来たとき、先頭にいた少女が声を上げた。


 コニーだ。

 店では見たことがないような上質のドレスを身に着けているが、確かに、猫の目亭の看板娘だ。


「コニー、良かった!」

 剥き出しの肩を両手で掴んで頭のてっぺんからドレスの裾まで視線を往復させる。少なくとも目に見える範囲では怪我などはなさそうだ。


 ホッと安堵の息をつき、次いでブライアンは、固まって不安そうに身を震わせてる他の四人の少女に目を遣った。


「この子たちは同じところから逃げてきたんだね?」

「そう、閉じ込められてた。あたしは昨日だけど、長い子はもう何か月も前からだって」


 やっぱり、一連の失踪は一つの誘拐事件だったのか。見れば、皆、ごく淡い金髪で、暗くてはっきりとは言えないが、多分青系の目の色をしている。そして、どの子もとても美しい。

 コニーを除けば、淡い金髪、青い目、そして小柄で華奢で、色っぽさよりも可憐な愛らしさが共通点だ。


 懸念がいよいよ現実味を帯びてきた。ブライアンは吐き気にも似た不快感が込み上げてきて、思わず胸元を掴む。

 少女たちに共通する特徴に最も当てはまる女性として彼の頭の中に浮かぶのは、アンジェリカだった。


(やっぱりコニーは囮だったのか?)

 彼のその疑いを、続いたコニーの言葉が裏打ちする。


「アンジーが、アンジーがまだ中にいるの! あいつ、あたしを人質にしてアンジーを連れて行くんだって言ってた! アンジーにもそう言ったのに!」

 ブライアンの胸倉を掴んで訴えるコニーは必死の形相だ。

「アンジーはこっそり助けに来てくれたんだけど、あたしたちを先に逃がして、自分は船を動けなくしてから逃げるからって、まだ中に残ってるの!」


「はぁ!?」


 つまり、充分コニー達と一緒に逃げられるはずだったのに、そうしなかったということか。


 素っ頓狂な声を上げたブライアンの前で、コニーはハァ、と一つ息をつく。

「船で逃げられちゃったら追いかけられないから――って」


 泣きそうな声でそう言ったコニー以上に、ブライアンは泣きたくなった。それにめまいと吐き気も催してくる。

 確かに、親玉を逃がしたらまたどこかで同じことが繰り返されてしまうのかもしれないが、よりによって一番の標的が最後に残るとは。


「まったく、あの人は……」

「どうしよう、ブライアン。アンジー大丈夫かな」

 潤んだ茶色の瞳にいつものこまっしゃくれた輝きはなく、すがるようにブライアンを見上げてくる。


 彼も同じくらいアンジェリカのことが心配だった。

 けれど、コニーにそれを伝えてどうなるというのだろう。


「アンジェリカだよ? 大丈夫に決まっているじゃないか」

 軽く笑いながら彼は胸の内とは裏腹にそう答えた。


 そう、もちろん大丈夫に決まっている。アンジェリカの能力に対する信頼は揺るぎない。

 だが、彼女のことを信じることとその身を案じることとは、まったく別の次元の話だ。どんなにアンジェリカを信じていても、どんなに大丈夫だと確信していても、心配なことは心配だった。


「とにかく、君たちは逃げて。見つかって連れ戻されたら、またアンジェリカの弱みになってしまうだろう?」

「でも――」

「アンジェリカのところには僕が行くから」

「え」

「何をしてでも、彼女は無事に帰すよ」

 コニーの肩に置いた両手に力を込めて、ブライアンは揺らぎのない声でそう告げた。


 どんなことをしてでも、たとえこの身がどうなろうとも、アンジェリカだけは救い出す。

 光る眼差しで宣言したブライアンを、コニーは瞬きをして見つめた。その眼差しに信頼と不安が交互に現れては消える。


「ホントに?」

 年齢相応の心許なげな声で窺ってきたコニーに、ブライアンはもう一度深々と頷いた。クシャリと茶色の髪を撫で、不安げに身を寄せ合う他の少女たちを目で示す。

「本当に。さあ、もう行って。アンジェリカの代わりに、君がこの子たちを帰してやらないと」

 そう告げて、ブライアンは彼女の背を押した。


 コニーはためらいがちに数歩を踏み出し、そして覚悟を決めたように唇を引き結ぶ。

「判った。うちで待ってるから、早く帰ってきてね。皆、行こう」

「街に戻ったら一番最初の店に入って、警官を呼ぶように言って。多分デッカーたちもこっちに向かってるから、来たらここまで案内してやって」

 役割を与えられて、コニーの眼差しが定まった。


「判った。気を付けて。アンジーがいるのはここから三つ目の、あの大きい奴だから。多分、まだあたしたちが逃げたことには気付いてないと思うけど、そんなに時間はないと思う」

「急ぐよ。じゃあ、猫の目亭で会おう」

「ん、またね」


 それを最後に互いが来た道を進む。


 コニーが教えてくれた船は、近づいてみると他の船より一際豪勢なものだというのが見て取れた。見上げながらうろついてみると甲板から縄梯子が垂れ下がっていた。少女たちはそれを使って船を降りてきたのだろう。


 ブライアンは少し下がって桟橋に接している船の腹を一望してみた。

 見える範囲では、縄梯子以外何もない。乗船するにはそれを使うしかなさそうだ。

 上り切ったら悪者どもと鉢合わせ、という羽目にもなり得るが、上に行かない限りアンジェリカのもとには行けないのだ。

 背に腹は代えられない。

 ブライアンは覚悟を決めて梯子に手をかけた。


 横さんに足をのせるたび、ギシリと鈍く音を立てる。静まり返った中ではそれはやけに大きく聞こえたが、甲板からは人の声などもせず、どうやらこのまま上がり切ることができそうだ。


 無事に天辺まで辿り着き、ブライアンは一度だけそっと深呼吸をしてから覗き込む。


 誰もいない。

 音もしない。

 少女たちが逃げ出したのは、まだ気づかれていないのか。


 そのまま身を乗り出して甲板に上がりきり、身を低くしたままで、さてこれからどうしようとブライアンは思案した。


 正直、船の構造なんて知らないので、どこをどう探せばいいのかさっぱりだ。

 今は船尾にいて、どうやら甲板の中でもここが一番高くなっているようだが。


 ブライアンは床に伏せて慎重に甲板の上を窺う。


 と。


(いた)


 アンジェリカだ。黒っぽい服を着ていて身体は目立たないけれど、一つに編んだ銀髪が、暗い中でも光を放つように輝いている。


 一目見た瞬間に、まるで何十年も探し求めていた相手に会えたような安堵がブライアンの全身に溢れた。


 とにかく、彼女はそこにいる。

 無事に。


 が、安堵の波が引いていけば、嫌な現実も明らかになる。確かにアンジェリカは見つけたが、それ以外にも人がいた。彼女の前に、さっきのチンピラなど比ではない屈強な男が、三人ほど。


(まずい)


 ブライアンはガバリと身を起こし、屋敷の一階分ほどの高さから飛び下りる。かなりの音を立ててしまったが、それを気にする余裕はなかった。


 とにかく、彼女の下へ。

 それしか考えられず、ブライアンは脇腹から銃を抜きながら走る。


 物が置かれていたり柱が幾本も立っていたりはするものの、基本的に甲板は平面だ。上から見えていた場所に、迷うことなく辿り着ける。

 さっき上から見た限りでは、男たちはこちらに背を向ける形で立っていた。移動していなければ、彼らの後ろに回ることができるはず。


 間近まで行くと、アンジェリカの声と彼女に対峙する男たちの声とが聞こえてきた。ブライアンは柱に身を潜めながらこっそりと様子を窺う。


「嬢ちゃん、おとなしくしてくれよ。あんたのことは擦り傷一つ付けるなってお達しなんだからよ」


 上から見えたときからほとんど動いていないようで、アンジェリカだけがブライアンの方に向いていて、彼女の前に立っている男たちは背中が見えるだけだ。

 その中の一人が猫撫で声を出す。その口調からは、明らかにアンジェリカのことを侮っているのが、ありありと伝わってきた。


「な? オレらのかしらはよっぽどあんたのことが気に入ってるみたいだからよ、悪いようにはされないって。あの人のこと怒らせさえしなけりゃ、あんな店で働くよか良い暮らしさせてもらえるぜ?」

「断る」

 昂然と顔を上げたアンジェリカは、さっくり切り捨てるようなひと言を返した。

 そうして、更に言い募ろうとする。


「私は――」


 が、その時。


 柱の陰から覗き込むブライアンと、バチリと目が合う。


 一瞬、言葉が途切れた。

 が、それは本当に一瞬で、彼女は何事もなかったかのように続ける。


「――あの暮らしが気に入っている」

「そんなこと言わずによぉ」

「私は帰る。だから、おとなしくそこを通してくれ。通さないなら、怪我をさせることも辞さない」

 淡々と告げるアンジェリカに、男たちが一瞬顔を見合わせた。そうして、ゲラゲラと笑う。


「おいおい、三対一だぜ? あんたみたいなお嬢ちゃんに何ができるって言うんだよ」

 嘲笑いながら、男たちが静かな眼差しで彼らを見つめる彼女に手を伸ばした。そこでブライアンは我慢の限界を迎える。


 あの手がアンジェリカに触れるなど、想像することすら耐えられない。


「動くな」

 サッと柱の陰から身を躍らせて、構えた銃を男たちに向けた。闖入者に彼らはギクリと身を強張らせ、三人揃って肩越しにブライアンを振り返る。


「なんだ、お前?」

「いいから、動くな」

 声を発した男に、わずかなブレもなく狙いを付けた。


「ッ!」


 屈強さの欠片もない優男が相手でも、銃はやはり怖いらしい。顔では威嚇しながらも、男たちは誰一人動くことができずにいる。


「動くな。アンジェリカ、こっちへ」

 目配せをすると、彼女は小さく頷き、男たちの手が届かないよう距離を取りながらブライアンの方へ来ようとした。が、半分ほど動いたところで、ハッと息を呑む。


「ブライアン、後ろ!」


 思わず振り返った先で、ブライアンは意外な姿を目にした。

 何度か顔を合わせたくらいの人物だが、どうしてここに。


「君は――」


 つい、腕から力が抜けて、銃口が下を向く。


 直後、ガツンと頭に激しい痛みと衝撃が。


 それきり、ブライアンの意識は闇に呑まれていった。


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