天使の涙は人の子を勇者にする③
猫の目亭の前に集った人の壁を擦り抜けたブライアンとデッカーは、しばらく歩いてから路地裏に入った。
「で、消えた女の子たちはどういう子たちなんだい? その……娼婦が姿を消すことなんかは、良くあることだろう?」
ブライアンは少し口ごもりがちにそう訊ねた。
良くあることだから、取り立てて騒がれることもない。
言外にそう臭わすと、デッカーは頷きを返してくる。
「ええ、確かに。正直なところ、娼婦だけが消えたのであれば、これほど取り沙汰されることにはならなかった」
そう答えたデッカーの目には不本意そうな色がにじんでいる。だが、娼婦は大手を振って通りを歩ける商売ではないし、治安が良いとされるこの王都ロンディウムでも、彼女たちが何らかの犯罪に巻き込まれる危険性は高いのだ。一般家庭の少女がいなくなったとなれば大ごとだが、数人の娼婦が姿を消したからと言って、騒ぎ立てられることはないのが現実だ。
「五人のうち、三人は娼館から姿を消しましたが、残る二人は特に金持ちでも貧しくもない、ごく一般的な家庭の娘です」
「娼館から姿を消したっていう言い方は、何だか微妙な感じだけど?」
「その三人は娼館に身を置いていましたが、まだ幼く、『仕事』は初めていない少女たちでした」
「そうなんだ……」
ロンディウムでは娼婦そのものは職業として公にも認められているが、実際に身体を売る仕事を始めることができるのは十八歳からとされている。その年になるまでは、娼館にいても住み込みで掃除や炊事などの下働きをする。まったく人目に触れないことはないが、どちらかというと男の気を引かないようにみすぼらしい格好をしていることがほとんどだ。
「皆同じところの子?」
「いえ、バラバラです」
デッカーの返事に、ブライアンは顎を撫でながら考え込んだ。
「彼女たちに何か共通する点はないのかい?」
「特には。強いて言えば、皆、淡い色の金髪と青い目だったということくらいしか。もっとも、それも、コニーが今回の失踪事件に含まれるとすると共通点とは言えなくなりますが」
金髪碧眼――その手の色合いは、一般的に好まれることが多いものだ。少女たちを『商品』として連れ去ったならば、その特徴を持つ者を選ぶのは当然と言えば当然か。コニーはかなり美しい少女だし、たとえ目と髪の色が平凡な茶色だとしても商品価値は高い。ウィリスサイドでコニーのような『普通の』少女が消えることなど滅多にないから、一連の失踪事件に含める方が妥当だろう。
「女の子たちがいなくなった娼館はどこ?」
訊ねたブライアンに、デッカーが答える。どれも高級娼館で、以前にはブライアンも足を運んだことがある場所だ。
「そこでは何か掴めたのかい?」
ブライアンの問いに、デッカーは小さく首を振った。
「いえ。娼婦たちは皆口が堅くて」
それはそうだろう。
高級娼館には身分のある者が訪れる。警官相手でもその情報をペラペラしゃべるわけがない。
ブライアンは先ほどデッカーが挙げた娼館の支配人を思い浮かべた。三人とも、皆、一筋縄ではない相手だ。
しかし、手掛かりを得ることができるとしたら、一般家庭の二人の少女の周囲よりも人の出入りの多い娼館の方がありそうな気がする。
警官のデッカーが相手では警戒しても、顔馴染みのブライアンには何か話してくれるかもしれない。もっとも、ここ半年ほどご無沙汰だから、臍を曲げられている可能性もあるが。
「ちょっと行ってみようか」
首をかしげるようにしてデッカーを見遣れば、彼としても手詰まりなのか、何も言わずに頷いた。
「じゃあ、取り敢えず、行ってみよう」
言いながら手を上げて辻馬車を止める。娼館があるのはセントールだから、歩きでは少々時間がかかる。
幸いすぐに馬車を捕まえることができ、ブライアンとデッカーはそれに乗り込んだ。
しばらく、二人とも無言だった。
ややして、チラリとデッカーがブライアンを見る。その気配に気づいたブライアンは、眉をひそめてデッカーを見返した。
「何だい?」
「いえ」
彼は束の間口をつぐみ、少し考え込む素振りを見せてから、また開く。
「アンジェリカが泣くところを、初めて見ました」
「え? ああ、でも、あれは一瞬だったし」
「たとえ一瞬でも、オレにはあんなふうに『弱み』を見せたことはありませんよ……恐らく、コニーやオルセン夫妻にも」
低い声でそう言ったデッカーに、ブライアンは苦笑する。
「いや、さすがにトッドやポーリーンにはあるだろう。九つか十くらいの時から一緒に居るんだろう? 両親を急に亡くして、小さい頃は寂しがった時もあるんじゃないか?」
彼がそう言うと、デッカーは肩をすくめてよこした。
「どうでしょうね。まあ、オレも彼女との付き合いは二、三年ほど前からに過ぎませんが」
デッカーは軽く言ってのけたが、二、三年も前からなら、充分に長い付き合いと言えると思うが。
無意識のうちに憮然とした表情になっていたのだろう。ブライアンの顔を見て、デッカーがふと口元を緩めた。
「あなたの数倍の年月を共にしてきたオレよりも、多分、あなたの方が彼女の色々な表情を見ることができていますよ」
疑わし気な眼差しを送るブライアンに、デッカーは今度こそクスリと笑う。
「アンジェリカは、あなたのことを『面白い人だ』と言っていました」
「『面白い』?」
それは、誉め言葉なのだろうか。
いや、そうではない気がする。
アンジェリカが自分のことを話していたということは嬉しいが、男として見られているとは思えないのが微妙なところだ。
胸中で悩むブライアンの隣で、デッカーが考え深げにつぶやく。
「彼女が誰かに対してそんな表現を使うのは、初めてです」
それは馬車の騒音にかき消されてしまいがちな低い声で、ブライアンは眉をひそめて問い返す。
「え?」
「アンジェリカには腐るほど男が寄ってきていましたが、彼女の気に留まることができたのは、あなたが初めてですよ」
デッカーの台詞からも声音からも、そう言ったというアンジェリカの心中を察することができなくて、ブライアンはやり場が無くなった戸惑いの眼差しを窓の外へと流した。




