表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
放蕩貴族と銀の天使  作者: トウリン
第一部:地上に舞い降りた天使は護り手など必要としない。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/97

天使には守護天使がついていた②

 コニーに教えてもらった場所は、猫の目亭から徒歩でも行けそうな距離だった。


 少し出遅れたが、明らかに歩幅が違うのだからアンジェリカに追いつくのもすぐだろう。


 そう思ってブライアンは足を速めたが、アンジェリカの銀髪は一向に人波の中に現れない。

 じきに目的地に着いてしまいそうなところまできて、ブライアンは眉をひそめた。

(まさか、途中で追い抜いてしまったっということはないよな)

 アンジェリカのことを見逃すなど、有り得ない。視界の片隅をかすめてさえいれば、気付いたはず。

 となれば、思ったよりもアンジェリカの歩みが速かったのだろうか。

 できたら途中で追いつき、たまたま出会った、という形にしたかったのだが。

 

 困ったなとは思いつつ、ブライアンは速度を緩めることなく先を急いだ。もしも先回りしてしまっても、その時はその時だ。


 確か、次の角を曲がったらそろそろ――と思ったまさにその瞬間、荒々しい怒声が向かおうとしている先から響き渡ってきた。


(まさか)

 ブライアンは声なく呻いた。

 ここまでで出会えなかったということは、この先にアンジェリカがいるはずだ。そこから男の怒鳴り声が聞こえてくるなど、もう嫌な予感しかしない。


 走り出したブライアンは角を曲がり、声の出どころを探した。いや、探すまでもなかった。

 パッと目を引いたのは、白銀の輝き。三名、もとい恐らく四名の男に取り囲まれたそれは、見紛いようがない。アンジェリカを隠さんばかりに壁を作っている男たちはいかにも肉体労働に従事しているらしい、筋骨隆々とした者ばかりだ。


 華奢で可憐な女性がごつい男たちに取り囲まれているという場面にも拘らず、通行人は足を止めるどころかむしろ速度を上げてそこを通り過ぎていく。横目で窺うような素振りをしている者もいるが、ほとんどは、何事も起きていないかのようにチラリとも目もくれない。


(ちょっと、待て)

 女性が困っているのに誰一人として気を留めないという有様もブライアンには信じられなかったが、それよりもアンジェリカが直面している危機的状況はもう現実としてあってはならないほどだろう。

 今、彼女が対峙しているのは怒り狂った暴れ馬のような連中で、足元もおぼつかないような酔っ払い相手とは話が違う。これは明らかにかつ段違いにこれまで目にしてきたいさかいよりもまずい状況だ。


 あまりにとんでもない事態に一瞬思考停止に陥ったブライアンだったが、喚き散らす男の声で我に返る。

「ここにいるのは判ってんだよ! いいからつべこべ言わずにアニーとリンを返しやがれ! オレのツレと子どもだぞ!」

「あなたが彼女に手を上げたのはこれで二度目だ。アニーはもう帰らないと言っているし、彼女はもうここにはいない」

 こんな時でも、アンジェリカの声は淡々として冷静そのものだ。聞いているブライアンの方が彼女の身を案じるあまりに気が遠くなってくる。


 だが、いったい、どうしたら良いのだろう。

 以前にコニーが酔っ払いに絡まれているときは、ブライアンが割って入ったことで一層火に油を注いでしまった感があった。

 ここで口を挟んだら、あの時と同じことにならないだろうか。

 こんなふうに喚き立てる者はブライアンの身近にはいなかったので、対処の仕方がさっぱり判らない。そもそも、上流階級の間では感情を露わにすることは恥ずべきことなのだ。ウィリスサイドに出入りするようになるまで、彼は酔っ払いの胴間声すら滅多に耳にしたことがなかった。


 行動を決めかねているブライアンをよそに、ことは進行していく。

「うるせぇ!」

 また何かを言ったアンジェリカに、彼女と真正面から向き合っている大男が怒号を上げて掴みかかった。


「アンジェリカ!」

 反射的に駆け出したブライアンだったが、その足は二歩で止まる。


「え……?」

 彼は思わず目を見開いた。アンジェリカを捉えようとしていた男が、その手を彼女に届かせることなく、不意にへなへなと崩れ落ちたからだ。いつものように投げ飛ばしたのとは違う。まさに、崩れ落ちる、という風情だった。アンジェリカがわずかに動いたのはブライアンにも見て取れたが、何をしたのかはよく判らなかった。


 何が起きたのかが判らないのは近くにいた他の男たちも同じだったようだ。地面に崩れ落ちた男を仲間と思しき三人が取り囲んでおたおたしている。


 これで収拾がつくのだろうか。

 ブライアンがそんなふうにホッと胸を撫で下ろした時だった。


「このアマぁ!」

 一斉に立ち上がった三人が、アンジェリカに迫る。彼女はひらりひらりと難なく男たちの手を掻い潜っているように見えるけれども、あまりに多勢に無勢だ。きっと長くは続くまい。


 ブライアンは今度こそアンジェリカのもとへ向かう。

 そうして、考えるよりも先に、今にも彼女に叩き付けられんばかりに振りかざされた拳と彼女との間に割り込んだ。

 次の瞬間、こめかみのあたりを猛烈な衝撃が襲う。痛みではない。痛みと感じる余裕もない。

 目の前に火花が散った。

 頭が激しく揺さぶられたような感じがして、ふぅッと気が遠くなる。その中で、遥か彼方から可憐な声が必死に自分を呼んでいるような気がした。


 この声には、応えねば。

 うっすらと目蓋が上がれば、かすむ視界に間近で覗き込んでくる菫色の瞳が入ってきた。

「大丈夫か!?」

「アンジェ……」

 名前を呼びかけたところで、彼女がパッと立ち上がった。そうして振り向きざまに小さな拳を巨漢のみぞおちに突き込む。その一撃で、最初の男のように彼も崩れ落ちた。


 アンジェリカが、片手で髪を払った。パッと銀色が瞬き、凛とした横顔が、覗く。


(ああ、何て彼女は綺麗なんだろう)

 そうやって立つ姿も、野獣のような男たちをいなす姿も。

 そんな場合ではないと判っていても、ブライアンはどうしようもなく彼女に見惚れてしまう。

 舞うような彼女の動きは全く危なげなく、優雅とさえ言い表せた。


 だが、あと二人、いるはず。

 ブライアンのことなど放っておいていいのに、肩越しに振り返ったアンジェリカが案ずる眼差しで彼を一瞥した。


(僕のことは、いいから)

 声には出せない、というよりも遠のきそうな意識を引き留めるのに精いっぱいなブライアンのその胸の中での訴えが届いたように、彼女は隙のない身ごなしで残る男に向き直った。

 地面に情けなく横たわったままのブライアンが見つめる小さなその背中に緊張感は全くなく、こんな状況も彼女には何でもないことなのだということが伝わってくる。


 だけれども。


 アンジェリカがこんな事態に遭遇していることが、たった一人で応じなければいけないことが彼には腹立たしく、耐え難い。


(助けたいのに)


 ままならない。


 常々、人を叩き伏せるための力など野蛮なだけのものだと思っていた。

 だが今、その力が欲しいとブライアンは切実に願う。


 奥歯を噛み締め、彼は懸命に身体を起こした。そうすることで、一層気が遠くなる。


(ああ、くそ)

 生まれて初めての罵り声を心の中で放った、その時。


 バキッと、打撃音が。それと同時に、男の一人が吹き飛んだ。

 続いて、低く、落ち着いた声がする。


「大丈夫か、アンジェリカ」

 いよいよかすみ始めたブライアンの視界の中に、かろうじて、アンジェリカを守るように立つとてつもなく大きな背中が入る。


(誰だ……?)


 彼のその疑問に答えたのは、涼やかな声。


「ブラッド、助かった」


(ブラッド……?)

 その名前は、確かどこかで。

(だが、どこで……?)


 自問の答えが出る前に、ブライアンは漆黒の闇に呑み込まれていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ