天使には守護天使がついていた①
アンジェリカの「もう来るな」発言は彼女の中でどうなっているのか、ブライアンにはさっぱり判らなかった。再び彼が猫の目亭に顔を出すようになっても、彼女は渋い顔を見せるでもなく、淡々と以前と同じような接客態度だからだ。
そう、『接客態度』。
彼女のブライアンに対する応答は、その表現に尽きる。
ラザフォード家の執事に見つかればやんわりと注意を受けるだろうだらしない姿勢で頬杖を突いて、ブライアンは平常運転のアンジェリカを眺めた。
孤児院ではほんの少しいつもと違うアンジェリカを目にすることができ、ほんの少しだけいつもと違う対応を見せてくれたような気がしたのだが――それはブライアンの気のせいもしくは希望的観測に過ぎなかったのかもしれない。
仮に何か彼女の中で変化があったとしても、元々表情が変わらない人だから、考えを読むことが非情に難しい。
(少なくとも、ここに来ることは認めてもらえている気がするんだけどな)
しかし、そうなると、それはすなわち、あの時の台詞をなかったことにしてくれたということになるのか。
――まあ、彼の方もまたここに来るのを昼だけにしたからというのもあるのかもしれないが。
来るな発言をなかったことにしてくれたのなら、それはブライアンにとって有利なことのはずだと思う。しかし、それにしてはなんなのだろう、この釈然としない気持ちは。
ブライアンは内心で首をかしげた。
確かに胸にズシリと来た言葉だったことは間違いないのに、帳消しにして欲しくはない気がする。
以前と変わらぬ態度をとってもらえるのは喜ばしいことのはずなのだけれども、何故かそれが良いことのように思えない。
この店の中で言われたことと、孤児院で言われたこと。
なんとなく、彼女のあの二つの言葉は、ブライアンにとって特別な意味を含んで発せられたものであるような気がしていたのだ。だが、こんなふうに何一つ変わらないような素振りだと、それらは全て彼の勝手な思い込みに過ぎない、全く存在していなかったものなのだと受け止めざるを得ない。
はあ、とブライアンがため息をついた時だった。
「ねえ、もうお昼の時間終わりなんだけど?」
そう声をかけられたブライアンが目を上げると、そこに立っているのはコニーだった。ふと気付けば、彼の他に客の姿はない。
「あ、ごめん」
彼は慌てて立ち上がる。出ていく前にいつものように何気なくアンジェリカの姿を探した。
が。
――いない。
つい先ほどまで、いたはずだが。厨房に入っているのだろうか。
きょろきょろと店内を探るブライアンの視線に気付いて、コニーが小首をかしげる。
「アンジーなら出かけたよ」
その言葉で、彼の肩からがくりと力が抜けた。
「え……と、そっか……またあの孤児院?」
「ううん。今日は別のとこ」
「別?」
「アンジーが行ってるとこ、他にもいくつかあるから。一番好きなのは子どもたちのとこなんだけどね。あれは半分趣味。子どもたちと遊んであげるの。今日のは、多分――そういうのじゃない」
「へぇ?」
相槌を打ちながら目で先を促すと、コニーはためらうように唇を噛んだ。
これはまた嫌な予感がする。
眉をひそめたブライアンをチラリと見て、更にしばしの逡巡の後、コニーが口を開く。
「なんか、厄介なことになってるんじゃないのかなぁ、とか」
「厄介!?」
不安を掻き立てるばかりで要領を得ないコニーの言い方ではらちが明かない。
「ごめん、もう少し詳しくというか解かるように説明してくれないかな」
ブライアンの要望に彼女は顎を引いて唇を噛んだ。
「ダメなんだ。あんまり話しちゃいけないってアンジーに言われてるから」
そう言われているにも拘らずブライアンにこぼしてしまったということは、コニーも不安に思うところがあるということか。
とにかくあまり良くない流れであることだけは、伝わってきた。
「取り敢えず、彼女がいる場所を教えてもらえるかな。大丈夫、たまたま通りがかったみたいな顔をするから」
「けど、わたしもちゃんとは知らないんだ」
「大体でいいよ。探してみるから」
「でもなぁ。わたしが怒られちゃうし」
「頼むよ」
真剣な声で重ねて頼めば、コニーの目が泳いだ。
「ホントに、ちゃんとは知らないんだからね」
「ああ、構わない」
「……前にも今日みたいに急に呼び出されたことがあってね。その時もすごく切羽詰まった感じで、今日と同じ人が呼びに来たの。その時は、アンジーについてきちゃダメだって言われたんだけど……その後、たまたまその人を見かけたことがあってね、どこの人かと思って後つけてみたんだ。そしたら、普通のお屋敷に入っていってね」
そう言って、コニーはその屋敷の場所を教えてくれる。そうして、彼女はまた唇を噛んだ。
「アンジーだから大丈夫なのは判ってるんだけどさ」
「心配なんだよね。僕も同じだよ。だから、本当に大丈夫かどうか、見てくるよ」
ポンと頭を叩いてやると、コニーの不安げな様子がわずかに和らいだ。
「うん。まあ、ブライアンが行っても、アンジーの助けにはならないだろうけどね」
二ッといつもと同じ猫に似た笑顔を浮かべてそんなことを言えるのは、気が楽になった証拠だろう。ブライアンはコニーに笑顔を返しながら答える。
「ま、僕も男だ。何かあったらこの身を挺して彼女を守るよ」
「はいはい」
彼にしたら本気の台詞だったが、コニーにはあっさりと流された――と思ったら、彼女は何やらムッと唇を尖らせている。
「どうしたんだい?」
「わたしももっとアンジーのこと手伝いたいのに、させてくれないんだよね。必要ないって言って。わたしだって、もうそんなに子どもじゃないんだけどなぁ」
丸切り同じことを言われたブライアンは、何だか身につまされる。
アンジェリカは支えも助けも守りも必要としないのかもしれないが、彼は彼女にそれを与えたいのだ――自分のこの手で。
だが、アンジェリカにとっては、コニーもブライアンも大差のない存在らしい。下手をすると、彼も彼女にとっては庇護するべき存在に分類されている可能性すらある。
そう思うと、落ち込んだ。
何故か、来るなと言われた時よりも、激しく気分が落ち込んだ。
この上なくアンジェリカと親しい間柄のコニーと同じ扱いであるということを喜ぶべきか、それとも、三十を超えた大の男がわずか十六歳の少女と同じ扱いであることを悲しむべきなのか。
――自分の心の平穏の為にも、前者だと思っておこう。
「とにかく、行ってみるよ」
「お願いね」
コニーのその声と眼差しに込められた切実な思いは、ひしひしと伝わってきた。
少なくとも、この少女はブライアンを多少なりとも頼ってくれている。
「任せてくれ」
叶うならばアンジェリカにも同じように思って欲しいものだと思いつつ、彼はコニーにそう請け負って店を出た。




