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放蕩貴族と銀の天使  作者: トウリン
第一部:地上に舞い降りた天使は護り手など必要としない。

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天使に囲まれた天使②

 コニーが教えてくれた場所に行ってみると、そこは一邸の屋敷だった。


 佇まいを一望して、ブライアンは眉をひそめる。


 その屋敷は、よく言えば質素、正直な表現を使えば、粗末、だった。


 少々高めの鉄柵でぐるりと囲まれていて、門扉も飾り気のない鉄製だ。実用的ではあるかもしれないが、人の目を楽しませるものではない。

 その奥に見える屋敷も、大きいことは大きい。それに、屋根が落ちたり壁が崩れていたりという訳でもない。手入れはそれなりにされているようだが――はっきりいってボロ臭い。


 アンジェリカの相手は落ちぶれた金持ちか何かだろうか。

 面倒見のいい彼女のことだから、ダメな男に引っかかっている可能性もある。

 不幸な境遇でも打ち明けられれば、彼女はひとたまりもなく落ちてしまいそうだ。

 そんなことを考えると今まで見聞きしてきた身の回りの色恋沙汰が色々と思い出されてきて、ブライアンの胸の中にむくむくと不安が膨らんできた。賢くしっかりした女性なのにくだらない男に心を奪われてしまうということはしばしばあって、そのたびに「どうしてあんな男に」とブライアンは首をかしげてきたものだ。


 もしもアンジェリカもそうならば、何とかしなくてはいけないのではないだろうか。

 使命感にも似た思いが込み上げてくる一方で、それを抑制する意識も働いた。衝動のままにここまで来てしまったものの、今さらながら、こんなことをしても良かったのだろうかと理性が頭の片隅から囁きかけてくる。


 第一、万が一、アンジェリカがどうしようもない男に惹かれているのだとしても、ブライアンが口を出す筋合いはない。


 だがしかし。

 だが、しかし。


 門の外で葛藤を胸に佇んでいるブライアンを、通行人がジロジロと見ながら通り過ぎていく。


 どうしたらよいのか――どうすべきなのか。


 と、そこへ。


「おじちゃん、何かご用なの?」

 舌足らずな声がかけられ、ハタと我に返ったブライアンはキョロキョロと辺りを見回した。


 誰もいない。

 空耳だったかと首を傾げかけた彼のズボンが、ツンツンと引かれる。

 目線を下げていけば――ブライアンの腰の高さに少女の頭が。

 身ぎれいにはしているが、着ているものは目の前の屋敷と同じように質素だ。

 使用人の子どもだろうか――と思ったら、庭木の陰から更に数人の子どもたちが彼の様子を窺っているではないか。


(何なんだ?)


 年齢はバラバラだ。女性ならともかく、子どもの年はブライアンにはよく判らない。一番大きい子で十歳を超えたかどうかくらいに見える。


(なんでこんなに子どもがいるんだ?)

 よほど子持ちの使用人が多いのだろうか。だが、あの数は相当だ。パッと見ただけでも十人はいる。それに、皆、同じ服装をしているのはどういうことだろう。まるで使用人のお仕着せだが、まさかあんな子どもをこき使っているのだろうか。


 首を捻ったブライアンに、また少女が問いかけてくる。


「ねえねえ、院長先生にご用なの?」

「いんちょうせんせい? 誰だい?」

「違うの? じゃあ、おじさん、変な人?」

「え」

「危ない人? 人さらい? あたしたちを連れてっちゃうんだ!」

「いや、まさか……」


 否定する暇がなかった。


 少女は一歩二歩後ずさったかと思ったら、一目散に駆け出していく。

「やぁあ! アンジー、アンジー、変な人が来たぁ!」

「え、ちょっと待って、――って、アンジー、って、アンジェリカ!?」

 思わず少女を追いかけてブライアンは門を越えてしまう。と、駆け込んだ彼に驚いたように、離れた場所で固まっていた子どもたちも声を上げて走り出した。


 前庭の真ん中あたりまできて、ブライアンはハタと我に返る。

「あ、しまった――と、え!?」

 不意に、横合いから腕を引かれた。

「う、わ!」

 ふわりと身体が浮く。

「!」

 背中が硬い地面に思い切り叩き付けられた。

「グッ――!」

 息が詰まって声も出ない。

 一瞬遠のいたブライアンの意識を、続いた声が引き戻した。


「ラザフォードさん!?」

 それは、この一週間というもの聴きたくてたまらなかった声だった。


「大丈夫か!? 何故ここに……」

 柔らかな手でペシペシと頬を叩かれ、閉ざしていた目蓋を何とか開けると、目と鼻の先で麗しいかんばせが覗き込んでいる。サラリと落ちてきた銀の髪が、上等な絹糸の柔らかさでブライアンの頬を撫でた。


「アンジェ、リカ……」

 痛みに喘ぎながらなんとか名前を口にすると、彼女の顔が微かに和らぐ。

「すまない、てっきり不審者かと。最近、街中では誘拐が相次いでいるから」


 アンジェリカの小さな手に支えられて身体を起こしたブライアンの鼻先を、甘い花の香りがくすぐった。香水ではない、仄かな香りだ。


 思わず身体を強張らせると、アンジェリカの顔がまた心配そうに曇る。

「大丈夫か? 背中が傷むのか?」

「ああ、いや、大丈夫だ。もう、大丈夫」

 身を乗り出してブライアンの服をめくり上げようとしてくるアンジェリカに、慌ててかぶりを振った。

 そんな彼を、アンジェリカはジッと見つめてくる。無言のうちにその目で「ここで何をしている」と問いかけてくるようで、居た堪れない。


 とにかく何か言い繕おうとしたところで、アンジェリカの肩からヒョコリと小さな顔が覗いた。最初にブライアンに声をかけてきた少女だ。


「そのおじさん、へんしつしゃ? アヤシイひと? ブラッド、呼ぶ?」

「ああ、違うよ。この人はブライアン・ラザフォードという人で、私の知り合いだ」

「ぶらいあん? お友だち?」

「そう。だから大丈夫、遊んでおいで」

 アンジェリカが頭を撫でてやると、少女は嬉しそうに首を竦めてそれを受け取った。そうして少女は彼女の頬にキスを一つ残して遠巻きにしている仲間たちのもとへと駆け出していった。


 アンジェリカは目元を和ませ子どもたちを見守っている。

 その眼差しは猫の目亭では見たことがないもので、ブライアンは我知らず目を奪われた。

 彼女はいつでも可憐で美しいが、常にわずかな緩みもなく張り詰めた弦のような雰囲気をまとっている。

 今の彼女には、それがなかった。代わりに、甘い柔らかさがその頬にある。


 ブライアンは、そこに触れさせてくれと疼く指先を押さえ込み、渾身の力を振り絞って膝の上で握り締めた。

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