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夕方までは、どうってことはない一日だった。
詳らかに説明しても、英単語帳で棒人形のパラパラ漫画を作ったり、現国の教科書に掲載されている文豪の顔にちょび髭やちょんまげを書き加えたり、世界史の教科書に落書きしたりと、ごくありふれた高校生の授業風景だった。
ぬいぐるみに詰め込まれるパンヤの如き人混みを掻き分け、なんとか最後のクリームパンをゲットしたことも、ごく普通の出来事だ。たまに食欲性欲旺盛、知識欲無関心の餓鬼のような学生のお陰でたまにクリームパンからアンパンへシフトチェンジするが。
購買部という戦地から教室と云う教護室へ戻ってくると、いつも昼を一緒に囲んでいるクラスメイトが待っていた。彼らの机上には弁当箱。大半は冷凍食品だろうが、温かみを感じる中身だ。
それと比べると、自分の昼食の愛情のなさに溜め息が出る。仕方がないことだ。愛情などというものは、生れ落ちる前に神様が「不必要」の烙印を押したのだから。
喉に詰まりそうなパンを咀嚼していると、話題は近隣の女子高生の話になっていた。いかにも男子高校生が好みそうな話のトップ10にランクインしていそうなものだが、今回は趣が違った。
女子高生の一人が先週からずっと行方不明になっているらしい。陽子と同じ学年だ。そして、多分、同じクラスだ。あのバカ高校は二年も通えるほど根性がある人間はいないので、自然に学年が上になるごとに生徒の数が先細りしている。
クラスメイトの一人がこちらに顔を向けて言った。
そういや、あの高校ってお前の妹が通っているんじゃなかったっけ?
パンを呑み込んだ。喉がはっきりと頷いた。
「どうだったかな。あいつ、あんまり帰ってこないから」
「マジ? 危ないんじゃねーの? 今日、あの高校、全校集会だってさ」
「何処でそんなこと知ったんだ?」
「SNSだよ。高校名で検索かけると、すっげーひっかかるぞ」
首肯して、パンをもう一口齧った。やっと甘ったるい、妙に粘性のあるクリームに辿り着いた。甘過ぎて喉が渇く。
「そう」
「そういえば、国下のSNSのアイコンって誰だ?」
「白黒の外国人俳優の画像だよな、好きなのか?」
「ジョニー・ワイズミュラーだよ」
アイコンを探すために検索したらたまたまひっかかっただけで、深い意味は無いよ。と付け加えた。
メキシコ、アカプルコで狂死した人物だと言う必要は全く感じなかった。
夕方。バイトの支度の為に一旦家に帰ると、陽子がいた。それ自体、少し珍しいことだったかもしれない。陽子はニュースを見ていた。明日は槍が降ってきてもおかしくはない。
陽子は真っ青だった。カバンを持ったままブラウン管を覗き込んだ。近くの山林で女子高生の変死体が発見された。死人の名誉など知ったことかとばかりに、被害者の個人情報が解剖されている。
生徒手帳のものであろう、被害者の顔写真がクローズアップされた。ハムスターのような顔で、可もなく不可もないが、すっぴんでこれならば、まあまあ美人の類に入るだろう。
陽子が通う高校がモザイクをかけて映された。モザイクをかけても、知っている人が見たら意味をなさないレベルでかなりバレバレなことを知り、若干の感動を覚えた。
曰く、被害者は大人しく、誰かの諍いもなければ、怪しい交友関係もなかった、委員を真面目に務めていた良い子だった。テストではいつもトップだった。
テストの成績がよければ、全てがチャラになるような言い方だった。無言で陽子を見た。
「…………この子、滑り止めでウチの高校へ来たって、いっつも自慢してたの」
陽子が膝をきつく抱えながら言った。組んだ手が瘧のように震えていた。
「……それで、お高くとまったところがあって、ユッコも気に入らないって、」
いっつもいじめていたの。
それを聞いた時、陽子を見下ろす眼に侮蔑が混じることを隠せなかった。冷蔵庫から麦茶のパックを取り出し、吐き捨てた。
「お前、最低だな」
俺の冷淡に反して、陽子はアヒルのようにわめき始めた。
「この子、あの殺人野郎に殺されたのよ! ユッコが、この子にわざとあの殺人野郎に電話かけさせたの。うちらが殺人鬼に殺されないように! そしたら、一週間前から行方不明になるし、」
「落ち着けよ」
やや棒読みで言いながら考えた。今回は、例の殺人鬼とは手口は違う。思考を一時ハワイ旅行へやっていた所為で、目の前に携帯電話の液晶が翳されたことへの反応が遅れた。
白濁した眼と目が合った。眼球には、いや、埋められた上半身には小さな小虫が無数に這っていた。頬から粘性のある黄色い液体が垂れていた。恐らく、蜂蜜。
顔には苦悶の後がはっきり残っていた。動けないように半分だけ生き埋めにされ、その上から無視や小動物を呼ぶために蜂蜜をかけられ、自分が小さく、だが確かに齧られる様を見るのはどんな感じなのだろうか。
中世で似たような拷問方法があった。確か、された虜囚は途中で発狂していたはずだ。
陽子は震える声で言った。少し、おつむ自慢が過ぎただけの十数年しか生きていない女子高生の死が、水泡に帰す一言だった。
「この写真、ユッコの携帯電話に送られてきたの」