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さよなら、アカプルコ  作者: 佳名哉
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3

 ユッコが行儀悪く机の上に足を投げ出し、座っていた。

スカートがかなり際どい部分まで捲れていたが、陽子は別にそれを注意する気にはならなかった。そのスカートもプリーツ以外の箇所に折り目がついていたし、履いている靴下もゴムが伸びている。そんなことは頓着せず、ユッコは巨大な鏡を片手に、歌舞伎役者のようにチークを濃く塗っている。

 ……そのチークも、顔立ちと全くあっていない。ただ、最新のコスメ雑誌で紹介されていた新製品を、塗りたくっているだけだ。

 陽子は手の中でゴム製の警棒を転がした。陽子も、こんなリーチがないモノで防犯ができるとは思ってはいなかった。ユッコの付き合いで買っただけだ。

 授業がもう始まっているのに、教壇の前に先生の姿は無い。生徒が三々五々丹集まって、下らない話題を咲かせている。


「上手くいくかな……」


 陽子は視線をユッコから外して呟いた。この高校は、自転車以外の乗り物は禁止のはずだったが、駐輪所には当たり前のようにいくつかの大型バイクが鎮座している。校舎の外壁には、ラッカーの無秩序な軌道を描く蛍光色。


 智陰に言われなくても、自分が底辺の学校に通っていることぐらい、知っていた。

 こんな筈ではなかった。陽子の人生の道端には、その言葉が横溢していた。

 だが、陽子には智陰のような克己心も、何かに対する激情も持っていなかった。

 ただ時計の針に押し流されているだけだ。流れに抵抗したことも無い。だから、流れに流れた先が泥沼でも文句は言えない。

 陽子は溜め息を吐いた。ポケットに突っ込んだ携帯が震える。メールだ。

 確認してみると、智陰のバイト先の店長からだった。確か西村とかいうまだ若い男だった。

家に固定電話が無いので、何か会った時の緊急連絡先として履歴書に書く際に借りたものだった。

 現状は、何があったどころではないが。

 陽子はこの男が苦手だった。智陰は無条件で懐いているから声に出して言わないが、嫌い、と言ってもよかった。赤の他人なのに、すんなり緊急連絡先の相手になってくれた(頼んだ自分もやや後悔しているが)気安い優しさ、自分のことは捨て置いてまで相手に尽くす献身さが苦手だった。喜んで脇役に徹する主義も。ドリアン・グレイの「幸福な王子」を目指しているような性格も。とにかく、何もかもだ。

 自分の人生は自分のものだと思っている陽子とは、相容れなかった。

 メールの内容も、無自覚の善意が金箔のように振り撒かれたような内容だった。この人は、バイトの智陰だけではなく、その妹の陽子まで何かと心配する。陽子はメールを読むと返事を返さずに閉じた。


ユッコは化粧を終え、ゴテゴテとラインストーンで飾った携帯電話を操作している。その表情には、緊張や恐怖の類はない。

 あの作戦が上手くと思っているのだろう。

 陽子も、ユッコにしては名案だ、と思ったが、同時に胸に奇妙に冷たい塊が滑り、霧散した。

 

 だが、あの作戦は――。

 そこまで思ったとき、校舎の外に見知らぬ男が立っていることに気付いた。生徒にも、教師にも見えない。学校の警備が厳しくなったと云われる昨今でも、生徒への「お礼参り」が絶えないこの高校は、白旗をあげ、最初から警備員すら置いていない。

 男を追い払う人間はいない。

 肩から先はウィンナーのように太っていて、腹も、今にもボタンがはち切れて飛びそうだった。逞し過ぎる腰から続く脚も、橋梁のように太い。微妙に猫背気味なので、ある種の甲殻類を連想させる。

 その男は、洋子のいるクラスをただ黙って見上げていた。陽子は頬杖をついていた手を思わず滑らせた。


「ねえ、今日バイト行く前にさ、リョウ達と遊んでいかない?」


 そう言って、歌舞伎役者を目指すのかと言いたくなるほど、濃い化粧のユッコが陽子のほうへ身を乗り出した。彼女の頭からはもう殺人鬼のアジトへ乗り込んでしまったなどという記憶は霧消しているような朗らかさだった。

ユッコが身を乗り出した所為で、外から陽子とユッコの上半身がほぼ丸見えになった格好になった。

 陽子は反射的に窓から校舎の外を見下ろした。


 男の姿は、消えていた。


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