Acapulco says「 」
壁紙の上から更に新聞紙の切り抜きが貼られた部屋で、アカプルコは考える。
分厚い遮光性のカーテンと、壁紙を埋め尽くす切り抜きのお陰で、採光性は皆無だったが、アカプルコの眼はこの部屋の何処に何があるかよくわかっていた。学校の成績はダメだったが、趣味に関しての暗記力は悪くはなかったらしい。
その暗記力が、アカプルコに囁く。
大切なものが消えている、と。
通報されれば、『決定済』のレッテルが貼られている死刑が、オリンピックの短距離走者もビックリな速さで近付いていることを。
そうなると、やることは一つだ。この隠れ家を去る。それも、迅速に。
だが、アカプルコは慌てない。丁寧に壁に貼った新聞紙の切り抜きを、糊の跡を残さないように丁寧に剥がした。最初の殺人はそうでもなかったが、この頃になると、こういった『勲章』集めも面倒だ。
税金泥棒、税金泥棒、と言われて久しい警察が、図書館にマークしていることを、アカプルコは知っていた。奴等はどうでも良いことには躍起になる。自分が起こした記事だけ切り抜いたら、当たり前だが、確実に通報されるだろう。犯罪者オタクで通用するか怪しいし、アカプルコは、いや、人類の九割はそうだろうが、警察と話すことが嫌いだった。
もっと、見張る場所があるのだが、大人しく縛につきたくないアカプルコはそれを教えるほど親切ではなかった。
最後の切り抜きを壁から剥ぎ取った。『サラリーマン男性、頭部を刺され死亡』というアカプルコが起こした最新の事件だった。ただし、この記事は間違っている。アカプルコは男の頭を刺したのではなく、切断したのだ。
そんなこともわからない程、鑑識も警察も視力を何処かに落としたのか、と思ったが、これがいわゆる『秘密の暴露』というやつが、とアカプルコは得心がいって、最後の切り抜きをファイルにおさめた。楽しい作業の後は、面倒くさい作業だ。しかも、乗算がつくレベルで面倒くさい。できることならば、誰かに代わって欲しかったが、アカプルコにはあてはなかった。
一匹狼は、犯罪がバレにくいという利点があるが、欠点も抱えきれないほどにあるのだ。
アカプルコは懐中電灯つけ、部屋を見渡した。オレンジ色の光が、壁や屋上や床に走る。ワンルームなので、それほどの広さは無いが、念のための確認だ。
やはり、「アレ」がない。アカプルコは歯噛みをした。頬の肉がそれにつられて、かたく引きつった。
「アレ」は、ミス・マープルやポアロや明智小五郎が、法廷で得意顔をして突きつけるだろう代物だった。そしてそれをされたら、アカプルコは神妙に今まで犯した罪を白状するしかない。白状する場所は、できれば崖が良かった。それも、結構波浪が高いところ。
だが、とアカプルコは再び考える。
数ある証拠品の中で何故「アレ」を選んだのだろう?
アカプルコの犯行を示すものなら、この部屋に「アレ」以外にもあるし、アカプルコが言うのもどうかと思うが、「アレ」を警察に提出しても、アカプルコに辿り着くには少々時間を食う。
この部屋には犯行に使った凶器が全部一緒くたに、錆びの浮いた台所に放られているというのに。それを見逃すほど、日本のワンルーム兼台所は広くはない筈だ。台所の近付いてみると、鉄のような強烈な臭いと、コバエが数匹ワルツを始めた。
触られた形跡は無い、とアカプルコは確信した。全てアカプルコが使い終わり、そのまま放置したままになっている。とはいっても、今の時代、携帯電話の写真機能があるので安心はできないが。
懐中電灯を片手に、動物園のクマのようにウロウロしながら、自分のアジトに入ったけしからん輩が何か残していないかを探した。不法侵入は嫌いだ。殺したいほど大嫌いだった。
男性用のロングコートを一枚押し込んだら、もう何も収納できなさそうなウォークインクローゼットの前で、アカプルコは歩を止めた。懐中電灯の灯りをソレに当て、ゆっくりと屈み込み、人差し指と親指で慎重に拾い上げた。
それはアカプルコ自身が用意したものではなかった。
アカプルコのアジトへ勝手に入った闖入者の落し物だった。
アカプルコはかがんだ姿勢のまま、ソレを見詰め、考えた。まったく、今日はアリストテレス並によく考える日だ、とアカプルコは自虐した。
だが、此処に入った人間はわかった。五割ほどだったが。その確率を上げる方法はもう頭の中で弾き出していた。
同時に、何故泥棒が数ある物的証拠から「アレ」を選んだのかも。
アカプルコは溜め息を吐いた。好みの獲物の行動範囲や帰宅時間、交友関係を調べて、後は殺すだけだったのに、後回しにしなければならない。
アカプルコのささやかな娯楽を奪った罪は、その死であがなってもらうが。アカプルコはこの罪人をどうやって殺すか考えた。残虐な思想にどっぷり浸かっていると、少しだけストレスが緩和された。
丹念にアジトを完全に消滅させる準備をしてから、アカプルコは両手を天に突き上げ、大きく伸びをして、外の世界の住人になった。持って行くものは、自分の犯行が載った記事の切り抜きのみなので、さほど重くはなかった。凶器はこのまま消滅させることにした。そっちには、アカプルコに頓着はなかった。殺そうと思えば、そこいらに転がっている日常品でも殺せる。
それにしても。
歩きながらアカプルコは思った。もう背中にアジトは影も見えない。
女子高生に、連続殺人犯のアジトがバレるってかなり情けないな。
通行人に怪しまれないように小さく呟くと同時に、遥か後ろでくぐもった爆発音が聞こえた。すぐに周囲の人間が眼に好奇の光を宿らせてそちら側に走っていく。日本人は娯楽に飢えていると嘆かれているが、こういうことに関しては、楽しそうだ。
「女子高生か…………」
アカプルコは歩き続けながら呟いた。その独り言は、消防車のサイレンでかき消された。
「殺したら、変態と思われるんだろうなあ」
そう言って、アカプルコは心から溜め息を吐いた。