8 メグ
「こんにちは、ローラさん」
息を弾ませて呼びかけられた声は朗らかで明るく、小鳥のさえずりのように可愛らしい。
足を止め肩越しに振り返ると彼女は小さな顔いっぱいで喜びを表現するかのごとくにこりと微笑んできた。
「……元気そうね。どう?勉強の方は」
捗ってる?と問えばメグはほんの少しだけ眉を寄せて小さな溜息をつく。
「覚えることがたくさんあってやりがいがあるんですけど、教えて貰えば貰うほど自分の至らない所ばかり目がついてしまって」
追いついたメグがそのまま進み続けるので、並んで歩きながらローラはその憂い顔をしげしげと見つめた。
セロ村に到着した時の彼女は希望と自信に漲っていたように映っていたが、ここ数日で現実を見たのか――落ち込んでいるようにも見える。
励ますべきなのだろうが、果たしてなんと言うべきか。
メグのことを深く知っているわけでもないのに、その場しのぎの言葉などきっと気休めにしか聞こえないだろう。
せめて元気づけるようなことでもとローラが悩んでいる間に、聡明な彼女は頭を切り替えたのか「さっき、オーランさんとなにを話してたんですか?」と逆に探るような眼差しを向けてくる。
「別に、たいしたことを話してたわけじゃないけど……」
「言えない内容ですか?」
物の見方や考え方の違いについて教授されつつも、頭が固いままの自分に後ろ暗い思いがあったからだろう。
妙に濁したローラにメグが何故だか突っ込んで聞いてくる。
「言えないわけじゃないけど……でも、どうして聞きたがるの?そんなこと」
旅人が品物を道端で広げているのだから誰でも彼の元へ行き眺める権利はあるし、交渉することも話すことも自由なのだ。
そのためにオーランは人が多く通る道や広場にいる。
ローラが彼となにを話そうが誰かに咎められる謂れは無い。
そして個人的な会話をメグに話す必要も無いのだ。
緑色の瞳に挑むような強い光を湛えて、メグは瞬きもせずにローラを見上げている。
「ローラさんの本心が知りたくて」
更に返ってきた言葉もどこか挑戦的で生意気だった。
口角だけを上げて笑みの形を浮かべた彼女が年齢通りの少女ではないことを物語っているようでもある。
きっとローラより沢山の経験をして、痛みや喜びも味わっているのだろう。
チクリと胸を刺す棘が羨望からくる嫉妬だと気づくことは非常に屈辱的ではあるが、経験不足なのは事実なのでぐっと押さえる。
「私の本心なんか聞いて、あなたにとってなんの得があるの?」
また自分が損得という価値観で話をしていることにひどく傷つきながら、人の考え方など簡単に変わるものではないのだと実感する。
「そんなことでは無なくて。オーランさんはとっても魅力的な人だからローラさんを惑わしてるんじゃないかって心配してるだけです」
メグは早口で言い切ったが、それが焦りからなのか苛立ちからなのかはよく解らない。
でも年下の彼女から人づきあいについて――しかも男女の間のこと――を案じられることがどうしても素直に受け入れられなかった。
だから。
「あら?私のことを心配してくれてるの?それとも」
オーランのことを心配しているの?
なんて。
意地悪で大人気ない態度を取ってしまった。
本当に彼女にとって彼が特別な相手であったなら侮辱でもあり、親切心からの言葉であったのならとんでもない裏切りでもある。
メグはきゅっと唇を引き締めた後でゆっくりと「両方です」と呟いた。
「オーランさんは旅人です。そんな人に夢中になったらローラさんが苦労する」
「分からないわよ。そんなこと」
「分かりますよ。それにローラさんみたいに綺麗でちょっと我儘なくせに中身は脆い女性は男の人を強く惹きつけるんです。オーランさんだって例外じゃない。もしそうなったら、彼が旅を続けられなくなる」
彼女が懸念しているようなことは起こらないと思うのに、きっぱりと断言してメグは瞳を翳らせる。
そもそもオーランの心を射止められるほどローラは魅力的な女ではない。
だがそんなことなどメグには関係ないのか切ない声で「オーランさんの探し物は永遠に、見つからなくなってしまう」と嘆く。
「二人が結ばれることで不幸になることの方が多いから、わたしは心配するんです」
その言葉にも瞳にも偽りはないように見えた。
捻くれて可愛げのないローラのために真剣に考え、忠告してくれようとしている。
それが分かったから「ありがとう」と今度は素直に答えられた。
「いいんです。わたしこそすみません。よくお前はお節介だって故郷でも迷惑がられてたんで……また余計なことしてるかもしれないって思いつつも止められなくて」
はにかんで申し訳なさそうに微笑むメグは抱きしめたくなるくらい可愛くて、どうしようもなく厄介な世話焼きだ。
最終的には受け入れるしかなくなる。
彼女への妬みも苛立ちも全て帳消しになるくらいなのだから。
意固地になるのもバカバカしくて。
「…………さっき、オーランと馬のシドの二人がかりで『あんたの考え方は余裕が無くて頑固だ』って怒られてたの。大切なものや必要としているものは人それぞれ違うんだから縛られない自由な考え方をした方が楽しいだろ?って」
世界は広いけれど、自分たちが住む世界は狭い。
たくさんの町や村を渡り歩いてきたオーランには物足りないかもしれないけれど、セロ村は平和で穏やかで、いつだって優しいから。
外を知らないローラに彼の考え方はあまりにも新鮮で難しすぎる。
そう感じるのは自分だけかもしれないけれど。
「そうですか。シドと二人がかりで……なんか、分かります」
馬にまでバカにされた上に、シドをまるで人のように語ったことを笑われるかと思ったがメグは納得したような顔をしていた。
「シドは不思議な馬ですよね。言うことは全部理解できてるし、気づけばいつも観察されてる感じがあって……でも、それは気味が悪いとかそんなんじゃなくて。自分たちにとって信頼できる相手なのかって見極めようとしているというか」
さすがに暫く共に旅をしていただけある。
「でもオーランさんにとってシドは本当に大切な存在なんですよ。きっとシドにとってもオーランさんは特別な人で」
「……確かにそういう空気があるのは伝わって来るわね」
「知ってます?オーランさんは余程のことが無い限りシドには乗らないし、誰も乗せないんです。運んでいる荷を平等に半分ずつにして旅をする……オーランさんとシドは対等なんだって言ってました」
「ああ、だから」
オーランは二頭の馬を連れているのだ。
これからはメグから受け取った馬もいるから三頭になるが。
「彼らの考え方は魅力的だって分かってるけど簡単に変わることなんかできないから悔しくて、恥ずかしいから……本当は誰にも話したくなかったんだけど」
「結局話しちゃいましたね」
クスリと笑ったメグにつられてローラも笑う。
「ほんとに、困っちゃうわ」
「すみません」
全く悪びれている様子もなく肩を竦めた彼女を憎んだり嫌ったりできないのは、やはりその人間性にあるのかもしれない。
容姿だけではなく中身も伴っているメグ。
自分のことのように人のことも親身になって考えられるなんて年下ながら人間ができている。
「そんなあなただから薬草師になりたいと思ったんでしょうね」
彼女が目指している仕事は誰かのためにという気持ちがなければ勤まらない仕事だ。
何気なく口にした言葉にメグはちょっとだけ声を落として「実は」と続けた。
「命を救うなら治療師の方がいいんでしょうけど、わたしはみんなの役に立ちたくて薬草師の道を選んだんです」
ローラには治療師も薬草師も人の命を救うことにそう違いは無い気がするが、彼女の中では明確に大きな違いがあるらしい。
黙って頷いて先を促すとメグは溜息を漏らして口を開く。
「元々腕のいい治療師が町にいたことも関係あるんですけど、薬草師なら患者だけじゃなく治療師の役にも立てるでしょう?町の人全員に堂々とお節介が焼けるなんてすごくないですか?でも――そんな下心があったからですかね」
「毎日クラップさんに叱られてばっかりで」と浮かない顔で愚痴るメグに親近感を覚えながらローラは苦笑する。
「嫌になってきた?」
「いいえ。自己嫌悪でいっぱいですけど、夢はあきらめません。動機が不純なのは分かってましたから。後はしっかり学んで薬草師としての心得をクラップさんから伝授してもらいます」
しっかり前を向き、なにがあっても諦めないと言える強い信念を持った彼女の瞳はキラキラと輝いている。
それにメグは動機が不純だと思っているようだが、みんなの役に立ちたいと願う気持ちは褒められるべきものだと思う。
「自信持ちなさいよ。あなたのお節介に救われる人もいるんだから。例えば、私も話したことで少しは気が楽になったし」
少なくとも彼女に対する気持ちや印象は変わった。
メグはちょっとだけ目を丸くした後「ありがとうございます」と礼を言う。
「でも、それはローラさんにも言えますよ?」
「私に?」
一体なんだろうか。
「自信。持ってください。こんなに美人で気持ちのいい女性なのに、傷つくのが怖くて逃げるなんて勿体ないです」
「…………はっきり言うのね」
「言いますよ。だって、」
ローラさんにも幸せになってもらいたいですから。
ふわりと微笑んでメグは別れた道の前で立ち止まり、ローラの家とは向かわない方の道を指差した。
「わたし、こっちなので」
「え?そうなの……」
この話の流れで別れることになんだか戸惑いが残るが「クラップさんからのお使いなので」と言われてしまえば引き留めるわけにはいかなくなる。
「では、また。わたしの家ではないのでおかしいですけど、たまには遊びに来てください」
「そうね……メグに会いに行くためなら行ってもいいわ」
もっと話したいと思い始めていたから彼女からの誘いに素直に応じるとメグは「それでもいいです」と困ったように眉を下げた。
そのまま手を振って道を進んでいく後ろ姿はやはり希望に満ちていて羨ましくはあったが、もう彼女に不当な悪感情は浮かんでこない。
ただメグの夢が叶いますように――と心の底から願えるくらいに、彼女のことを好きになっていた。