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返り八重咲き  作者: 151A
8/17

7 損か得か





「本当にいいんだな?後で後悔しない?よし、なら。交渉成立だ」


 にこりと微笑むと彼の前に膝を着いて座っていた娘がほんのりと頬を染めた。

 とろけそうな蜂蜜色の柔らかい髪は春の日差しに優しく照らされて華奢な背中で揺れている。

 触れずとも解る滑らかな肌やきらきらと輝く瞳には若さと瑞々しさが溢れていてローラは眩しくて目を細めた。


 彼女の手には交換してもらった青と緑を混ぜたような美しい布。


 代わりにオーランの元には丁寧に編まれているけれど、ちょっと目の粗いひざ掛けが残された。

 それは彼女が拙い技術ながら一生懸命に編み上げたもの。

 だけれども到底オーランが交換した綺麗な布と釣り合うほどのできではない。


「意外とお人好しなのね」


 布を抱えて嬉しそうに去って行く娘を見送ってからそう声をかけると、オーランは交換したひざ掛けを荷物にしまいながら「そうでもないさ」と首を振る。

 オーランの座っている前には青い布が敷かれ、その上に彼が旅先で手に入れた自慢の品々が並んでいた。

 そっとしゃがみ込むと彼の背後で草を食んでいる馬がちらりとこちらを見て、濡れた茶色の瞳が何故か先ほどの若い娘とローラを比べて笑っているような気がして落ち着かない。


 馬にまで笑いものにされているんじゃないかと思い込んでしまうなんて。


 情けない。

 どこまで自信がないのか。


「…………だって、どうみてもさっきあの子が手にした布の方が上等だし、みんなが欲しがるようなものだったじゃない。もっといいものと交換して欲しいと言ってくれる人もいるはずなのに」

「ローラは俺の方が損したって言いたいんだろうけど」


 それは違う。


 言い切ったオーランが目の前の敷布の上をゆっくりと指し示す。


 美しい銀細工の装飾品、組み木細工で作ったからくり箱、繊細な染物がされた薄い反物、磨けば輝く原石や良くできた着せ替え人形、獣の牙、なにかの木の皮、香辛料や木の実、植物の種、食器や小さな貝殻。


 ここに並べられていないものも含め種々雑多なものをこの旅人は持っている。

 ものだけでなく、情報や知識も。


「……沢山あるから、少しくらい損しても構わないってこと?」


 若者や子どもたちは交換できるだけのものを持っていることが少ない。

 さきほどの娘のように未熟な腕で作ったものや、どこにでもあるようなものくらいしかないのが普通だ。

 もちろん若くても天才的な技術や才能を持っている者も中に入るから一概には言えないけれど、ほとんどが欲しくても交換できないことが多い。


 それを知っているからオーランは娘が持ってきたひざ掛けとの交換を断らなかったのだろう。


 旅人の馬は人の言葉や内容が分かるのだろうか。

 絶妙な間で呆れたように黄褐色の月毛の馬に鼻を鳴らされローラは眉を寄せる。

 そんな馬を振り返りオーランが優しく「シド」と名を呼ぶと馬は耳を後ろに向けた後で顔を背けゆっくりと尻を向けた。


「ごめん。ずっと一緒に旅をしている相棒だからか、仕事に関してはシドなりの一家言があるらしくて……まあ、そこは俺とも意見が共通する部分だから文句は無いんだけど」

「……つまり私が間違ったことを言ってるってことでしょ」


 結局オーランと馬の二人がかりで否定されてしまったことになる。

 悔しいというよりもここの所ずっと間違い続けていることで些細なことがローラの心を乱してしまうようだった。

 吐き出した言葉が捻くれた感情と共にオーランに向かう。


「違う。ローラが間違っているということじゃない。物の見方や考え方が違うってだけで、そこに正解を求めることは難しい」


 困ったように笑って説明してくれても難解なものに変わりは無い。

 早々に諦めてローラは首を左右に振る。


「悪いけど、分からないわ」

「まあ、いいから聞いて。さっきの女の子との取引でローラは俺が損したと思っただろ?」

「ええ……」


 気乗りはしなかったけれどローラは渋々頷いてオーランの声に耳を傾ける。


「編み目が揃っていないから形は歪だし、せっかく編み込まれている模様もはっきりしてない。そんなものを欲しがる人がいるとは思えない、そう考えた。違うか?」


 確認された内容ははっきりと口にするとさっきの娘に対して失礼なものではあったが、ローラの思ったことと一致していたので首肯するしかない。

 彼女に対して悪いなと思う気持ちがもやもやと胸の中で渦巻いてなんとも苦い返答になった。


「……ええ」

「だが場所や人が変わればこれが素朴だと受け入れられ、また温かみを感じさせると喜ばれることもある。あるいは一生懸命に編まれた編み目ひとつひとつに若かりし日の自分を思い出す人もいる。なにを思い、なにを大切にしているかで求めるものが人それぞれ違う」


 伝わっているだろうか?とこちらに向けられる灰色の瞳があまりにも真摯で、熱意を帯びていてなんだか申し訳ない気持ちになる。

 オーランはなにも難しいことを言おうとしているわけではない。

 ただ損か得かで咄嗟にものを考えてしまったローラの方にこそ心の余裕が無かったということ。

 しかも親切に教えてくれようとしていた彼に対して面倒だと簡単に諦めてしまうなんてあまりにも失礼だった。


「交換したものがどこかで必要とされている……そう考えた方が結果うまくいく。これは良いものだと確信したものほど誰からも望まれないことが多かったこともあるし。まあそれは色々と失敗を重ねたから言えることだけど」

「あなたも、失敗や後悔をするの……?」


 旅慣れてなんでも卒なくこなしていそうなオーランにも沢山の失敗や反省があったのだと聞くことはとても不思議な気分だったが、そこに生身の彼が見えた気がしてちょっとだけ嬉しい。


「そりゃするさ。正直言うと俺には品物の本当の価値なんか分からない。分からないからこそ、こうして各地を巡って人と触れあい学んでいる最中だ」

「なによ。オーランにも分からないのなら私にはもっと分からないわ」

「損か得かなんて結局最後まで分からないんだ。だったらそれに縛られないほうがずっと自由で楽しいだろ?」


 どんなものでも求めてくれる誰かの手に渡ればそれは素晴らしい価値があるのだと彼は言う。


 さっきの娘が大事そうに抱えて帰ったあの綺麗な布は一体なにと交換されたのだろうか。

 きっとその人も彼女のように顔を綻ばせて喜んだに違いない。


 ならばセロ村の若い娘のひざ掛けを遠い場所にいる心ある人が求めて大切にしてくれたなら――――。


 こうして旅人の手で遠くへ渡って行く品物たちも新たな持ち主に早く会いたいと切望しているように見えてきてローラは何故か泣きたくなる。


「いいな……私も、」


 それほど大切だと思えるものと巡り合いたいと思う。

 だがその時に交換できるものをローラは持っているだろうか?


 本当に欲しくてたまらないものを手に入れるには、やはり身を切るほど失い難いものでなくてはならないから。


「損得に捕らわれない考え方ができるようになりたい。いつかは」

「今すぐって言わない所がローラらしい」


 ククッと笑ってそれでもオーランは良い傾向だと認めてくれたし、シドも尻尾を振ってくれたからよしとしよう。


「間違うことは悪いことじゃない。ただ間違いだと知っていてそちらを選ぶのは愚かなことだということは覚えておいた方が良い」


 それは戒めだろうか。

 ローラが間違ってばかりいることに対しての。


 それとも今も間違っていることを警告しているのか。


「手放した後で後悔しても遅い。決断する時は十分考えてすることだ」

「……考えてるわ」


 考えても間違うのだ。

 そしてどの決断をしても後悔する。


 ならば傷つかない方を選んでなにが悪いのだ。


「女は現実的なのよ。あなたもよく知ってるでしょ?」

「……きみは頑固だな」

「この歳まで行き遅れている女だもの。頑なにもなる」


 折角柔軟なものの考え方を教えてもらったというのに、ローラにはやはりなにも伝わっていないのだと彼は大いに落胆したようだった。

 月毛の馬がオーランの背中を鼻面で押して、こいつは頭の悪い教え子だと嘆いている。


「…………そうだな。ひとつ選択肢を増やしてみるか?」


 旅人が黒い髪を振るって空を見上げ、溜息を吐いた後で薄く笑う。

 その笑みがどこか寂しそうでローラはそわそわさせられる。


「俺と一緒に行くか?」

「――――は?なにを言って、」


 なんの冗談だろうかと笑い飛ばそうとしたけれど、オーランの顔は真剣で誤魔化すことができない雰囲気があった。


世界グリュライトは広い。別の村や町を知れば、ローラの凝り固まった考え方も次第に変わってくるだろう。年齢や性別に縛られていることの馬鹿馬鹿しさに嫌でも気づくさ」


 セロ村での安定を望むか旅での自由を望むか。


 魅力的な誘いではあるが、同時に恐ろしいことでもあった。

 オーランと行くことを選べばローラは二度とここに戻ってくることはできない。


 父は絶対に許さないから。


「私は、」


 自由を望んでいるわけではない。

 変化を求めているわけでもない。


「平凡な幸せが欲しいだけ」


 生まれ育ったセロ村が好きだから、ここから離れたいなんて思ったことは無い。

 婚姻のためにと言うなら話は別だが、父に頼めばよそから伴侶を探してくれるのだ。


 ローラの人生にそんな冒険なんか必要ない。


「それなら幸せになる努力をしたらいい」

「するわ。ちゃんと」


 今夜にでも父に相談すると告げれば、オーランは瞠目して小さく頭を振った。


「それできみが幸せを手に入れられるのか疑問だけど、せめて後悔が小さいものであるように願っているよ」


 馬のシドが憐れむような目でローラを見ていたけれど無視して立ち上がる。


「色々な忠告をどうもありがとう」

「どういたしまして」


 彼から返ってきた言葉には、やはりがっかりした気持ちが表れていたがそれも気づかないふりをしてローラは背を向けた。




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