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返り八重咲き  作者: 151A
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3 短い語り




「雨が降りそうだから迎えに来た」


 だから帰ろう。


 そう声をかけてきたのは驚くべきことにオーランだった。

 振り返った先に立っている彼の姿とずっと好きだった彼が重なって見えて息が止まる。

 きっと濡れたような黒い髪とほっそりとした体躯がそうさせたのだと思う。

 帰宅を拒む理由も無いので枝を傷つけないように慎重に月光花の下から出ようとしていたローラの前に自然な動作で差し出される手のひら。

 細長い指は節が目立ち、固い皮膚や肉刺まめもできている男の手。

 その上に自分の手を乗せていいものかどうか思案したものの「必要ないわ」と結局断ってしまうあたりやはり可愛げがない。


「噂通りだ」


 笑いながらオーランは手を引っ込めるが、それでも気を悪くした様子はない。

 噂がどんなものかは分からないが、ローラが良く知りもしない男の手を取る尻軽女ではないことはこれで彼にも伝わっただろう。


 身を屈めて枝の下から出ると微かに甘い香りが漂った。

 硬い蕾のままでも月光花はこうして芳香を感じさせるくらいなので、花咲き誇る瞬間はたった一本の木だけでも村まで香りが届くほど豊かな香気を放つ。


「いい月光花だな」


 腕を組んでゆっくりと視線で樹の輪郭を辿りながら感慨深く呟いたオーランの横顔を見上げて、そんなことが分かるのかと驚いた。


「きみたちが、育てている作物の出来が良いか悪いかが分かるのと似たようなものだ」

「じゃああなたは月光花を育てたことがあるの?」

「まさか!そうじゃない。ただきみたちよりたくさんの月光花を見てきただけだよ」


 吹き出したオーランが肩を揺らして愉快げに笑うのが面白くなくてぷいっと横を向く。

 旅人として暮らしている男に月光花を育てたことがあるのかと間の抜けた質問をしたことを後悔した。

 ローラだって樹木が育ち花を咲かせるのに長い年月がかかることくらい知っている。

 畑に種を植えて時期が来れば収穫できる野菜と同じようにはいかないと分かっていたのに――――。


 羞恥で赤くなったローラに気づいているのかどうか。


 オーランは大きく息継ぎをして笑いの発作をなんとか止め「ごめん」と謝罪した。


「あまりにも可愛い質問だったからつい。別にバカにして笑ったわけじゃない」

「…………どうだか」


 可愛いということは稚拙だということだ。

 大人の女性としては致命的。

 旅人であるオーランは多くのことを見聞きして色んな経験を積んでいる。

 話題も豊富だろうし、どんな人とでも楽しく会話をすることができるだろう。

 そんな男に対してローラの取っている言動はきっと恥ずかしいくらいに幼い。


「気分を害してしまったお詫びに月光花について語ろうか」


 大人も子供も夢中にさせる旅人たちの貴重なお話。

 彼らの知識は生活の糧にもなり、そして財産でもある。


 それをローラのためだけに語るという。


 その誘惑に抗えず背を向けていたローラは耳だけを傾ける。

 クスリと笑う息遣いを聞き、また幼稚だと思われていると傷ついたが、歌うような抑揚で始まったオーランの語りにあっという間に引き込まれてしまった。




  月の光は愛の恵み  優しく蕾に口づけて

  今か今かとこいねが


  宵闇かけて手に取れば  ふわりと揺れる白き裾

  甘く香って恋誘う


  別れ思って一滴ひとしずく  永久を願って胸疼く

  どうか憐れと思うなら  その手にきつく抱きしめて


  八重に一重にあなたを重ね

  花びら震わせ幸せ満ちる


  私の願いとあなたの思いが実になれば

  幾重となって返りましょう




 短い語りだったがとても美しく、オーランの掠れたようでいて伸びやかな声はローラの胸に豊かに響いた。

 聞いていて恥ずかしくなるような恋の物語は、月光花の芳醇な香りと人を誘うような甘さを上手く表している。


 片思いの歌なのか、それとも道ならぬ愛の歌なのか。


 ローラには判断がつかないが、誰かを想い胸を焦がすことができる歌の女性を羨ましく思った。


「月光花は“成就の花”とか“結実の木”とも呼ばれている。それはさっきの語りにあるように恋愛にまつわる逸話が数多くあるからなんだ」

「……そんなの初めて聞く」


 深い意味も無い相槌のようなローラの言葉を信じていないと思ったのか、オーランは苦笑いして小さく頭を振る。


「結構刺激的な内容のものが多いから若い女性の耳に入ることが少ないんだ。お望みとあれば語って聞かせてもいいけど?」

「結構よ!」


 灰色の瞳を細めて流し目を送る旅人に向かって反射的に大声で叫んだ後で、また幼稚さを曝け出してしまったことに気づいて青ざめた。

 そして同時に人目のつかない場所で男と二人きりでいる自分の迂闊さに身を固くする。

 ローラの怯えが伝わったのか、オーランは笑みを消して僅かな空いた二人の距離を縮めようと一歩前へと出た。

 慌ててその分後ろに下がるが男の一歩と女の一歩の大きさは違う。

 あっという間に詰め寄られ、オーランの左腕が背中に回る。


「…………気が強い女性は今まで興味なかったけど」

「ちょ、っと、やめて」


 それならば永遠に興味ないままでいて欲しいと心底呪いながら必死で肘を使って胸を押し返すが、どれだけ頑張っても男の力には適わない。

 村の男とは違う匂いと体温を近くに感じるほどに、オーランが遠くからやってきた得体の知れない男なのだと教えられる。


 そもそも村の男たちは村長の娘であるローラにこういう不埒なことをしようとは思わないだろう。


 無理やり嫌がることをすればこの村には住めなくなる。

 だからローラはいつも安全で、こういった恐怖を感じたことなど一度も無かった。

 父の立場や名で守られていたのだと改めて知らされ、感謝すれどもこの危機をどう乗り越えればいいのか分からないまま焦る。


「きみは特別かもしれない」

「――――――!?」


 耳元で囁かれる甘い声にローラは総毛立つ。

 首筋にかかる吐息や心揺らす言葉に鼓動が激しく乱れるが、仮定の段階でしかない男の気持ちは簡単に心変わりするからと自分に言い聞かせる。


 オーランは旅人だ。


 きっとどの町や村でも同じように独り身の女性に言い寄って、その場限りの関係を楽しんでいるに違いない。

 そんな都合のいい女になってしまえば、ローラの婚期はもっと遅くなるだろう。


 そればかりか。

 一生独り身の可能性だってある。


「放して!私は嫁に行きそびれた可哀想な女だけど、幸せになることを諦めたわけじゃないんだからっ。『特別かもしれない』なんて甘い言葉に騙されたりしない!――だからさっさと、」


 恐ろしい想像にローラは狼狽えてしまい、喚き散らしながら暴れ回った。

 爪で引っ掻き、足でオーランの脛を蹴りあげて。


「放せ――っ!」

「分かった、分かったから、落ち着いて」


 両手を挙げて下がった彼の顔は完全に面白がっていた。

 目尻に涙まで浮かべて笑っているので、ひとり騒いでいたローラがバカみたいに見える。


「からかわないで!」


 男と遊び慣れた女なら恋の駆け引きを楽しめただろう。

 だがローラにはそんな経験も無いし、遊びで寂しさを紛らわせることができるほど時間に余裕も無かった。


「なんて男なのっ!」


 こんな旅人を家に招き入れた父を恨む。


「ごめん、ごめん……悪かったって」

「あなたの謝罪は信じない。人の気持ちを弄ぶような男って最低」


 下から睨み上げるとオーランは蚯蚓腫れの残る頬を摩りながら溜息を吐く。


「随分と嫌われたな……じゃあとっておきの秘密を教えようか」

「必要ないわ」

「そんなこと言わずに、聞くに足る秘密だと思うけど。だって幸せになりたいんだろ?」

「――――――っ」


 先ほど動揺したまま本音を零してしまったローラとしてはその話題には触れて欲しくは無いのに、オーランは平然とそこを突いてくる。

 だが「諦めてないって言ったよな?」と念を押すように真っ直ぐ見つめられたらぐうの音も出ない。


「聞きたい?」


 満面の笑顔で聞いてくるオーランの言葉に好奇心はやはり擽られる。


「…………どうしてもって言うなら、聞いてあげる」

「素直じゃないな。でも、俺から言い出したことだししょうがないか」


 やれやれと肩を竦め、彼は顔を月光花へと向けた。

 触れるか触れないかの微妙な手つきで蕾を撫でて、僅かに漏れ出てくる香りを楽しむように目を伏せる。


「この木の下で想いを告げれば必ず成就すると言われているんだ」


 信じるか信じないか、きみ次第だけど。


「甘い香りと一夜だけ花を咲かせる木だけに甘美な逸話が残ってるのかもしれないわね」

「俺はすごく素敵だと思うけど……女性は意外に現実的だから」

「がっかりした?」

「いいや。今更そんなことで女性に幻滅したりしないさ」


 オーランが空を見て、おどけたように「ああ、まずい!」と叫ぶ。

 つられてローラも天を仰ぐとすっかり頭上に雨雲がかかっていた。


 ぽつり……。


 額に冷たい雫が落ちてきて、次に頬や鼻の頭へと降ってきた。


「急ごう、ローラ」


 やはり自然な流れでオーランが手を伸ばして優しく腕を引かれ、小走りから始まった二人の帰路が村へと入った途端に全速力に代わる。

 追いかけるように迫ってきた雲が痛いほどの雨を降らして、スカートと靴を泥だらけにし、シャツと髪を肌に張り付かせた。

 手を引かれながらオーランの肩甲骨がシャツの下で動くのを眺めていると視線を感じたのか、肩越しに振り返り微笑む彼の横顔があまりにも綺麗で。


 トクリと胸が。


 高鳴った。




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