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返り八重咲き  作者: 151A
3/17

2 寝不足





「ローラどうしたんだ?よく眠れなかったのか?」


 朝食の準備に間に合わなかった上に、瞼が重く目を塞いでいればそう心配されても仕方がない。

 既に食卓の上には朝食が乗り、更に心配気なバダムと緑にも紫にも見える不思議な瞳のオーランが席に着いていた。


「……ごめんなさい。寝坊して手伝えなくて」


 寝不足の不細工な顔を見られたくなくてローラは母クララのいる台所へと向かう。

 こういう時家族だけなら例え泣き腫らした顔だろうが、出来物が顔にできていようが平気なのに何故部外者が家にいるのかと苛立ちながら竈の前に座る。

 既に食べるだけになっているのでローラができることなどなにもなく、母でさえ飲み物を入れ終えたら行ってしまう。

 そんな状況でスカートに顔を埋めている娘をクララは苦笑いを浮かべ横に膝を着いた。


「ローラ……どうしたの?」

「…………なんでもない」


 なんでもない。

 そう、なんでもないはずなのに気になってしょうがないのだ。


 あんなに可愛い子が家に来て、更に同じ薬草師になるべく懸命に学ぶのだ。


 勿論メグが教えを乞うのはクラップだろう。

 だがグリッドだって彼女よりは薬草に詳しく、そして経験もある。

 分からないことがあれば年齢が近いグリッドに聞くだろうし、一緒に作業していれば自然と親しくなっていく。


 そう考えれば考えるほど胸が苦しくて、眠れなくて。


 さっさと若くて可愛い子と一緒になればいいのだと思っていたのに、実際にそうなりそうになった途端に不安になるなんてどうかしている。


 どうかしていると自嘲しながら、それでもどうにもできない感情と状況に焦りと苛立ちばかりが募ってきてしまう。


「……もっと可愛い女ならよかったのに」


 ぽつりと漏れた弱音と本音が母の耳にどう聞こえたかすら考える余裕すらなかった。

 息を吸うような音でクララが驚いたのだと分かり、柔らかな腕でそっと胸に優しく抱き寄せられて涙が零れそうになる。


 いつだって母の胸と腕はローラのためにあり、その匂いや声で安心を与えてくれた。


 幼い頃そうやって慰めてくれたり、元気づけたりしてくれるたびに自分も子どもができたら同じようにしてあげるのだと固く誓って。


 でもローラには愛してくれる夫も守るべき子どもも幸せな家庭すら明確に描くことができない。


 昔は全て手に入れることができると思っていた。

 例えずっと想っていた相手とは一緒になれないとしても。


 それがどうだ?


 完全に機会を失い、異性に恋する勇気さえ無い。

 そして幼馴染の幸せすら喜んであげられないなんて――どれだけ心の狭い嫌な女なのだろう。


 こんな女を妻にしてもいいと思ってくれる男などいるわけがない。


「ああ、ローラ……大丈夫よ。あなたは十分可愛いじゃないの。親の欲目だけでなく、あなたが美しいことは村の誰もが知っているわ」


 見当違いの母の言葉に零れ落ちそうになっていた涙が止まる。

 容姿などこの歳になるとなんの救いにもならない。

 よほど器量がいいほうが嫁として好まれるのだとローラは身に染みて分かっていた。


「……ごめんなさい。バカなことを言ったわ、忘れて」


 手の甲で目元を拭い母の腕から逃れて立ち上がると、困惑した顔でクララもゆっくりと腰を上げた。

 母は随分と若い時に父に見初められて結婚したからローラがどんなに肩身の狭い思いをしているからきっと分からないのだ。


 なにに悩み、なにを怖がっているのか。


 正確にはローラにだって分からないのだから、クララが理解できないことを責めることはできない。


「お腹空いてないから朝食いらない。ちょっと外の空気を吸ってくる」


 台所の奥にある小さな扉に向かいそのまま外へと出る。

 母の呼ぶ声が聞こえていたが無視して扉を閉めると、ローラは大きく息を吸いこんだ。

 緑と風の匂いで胸いっぱいにして、頬を優しくなでる日差しに誘われるように空へと目を向ければ澄んだ青が広がっていた。


「…………きれい」


 刻一刻と姿を変え、季節も巡るのに自然は常に清浄で美しい。

 どんな時も、どんな姿でも。


 そっと右足を前に出して靴裏に柔らかい草の感触とその下にある地面の固さを感じれば、後は左足が勝手に前へとその感触を求めて進んでいく。

 ローラは自分が生まれたこの季節が特に好きだ。


 多くの生き物が目覚める気配や、少しずつ色づいて花開いて行く植物たちの息吹が心を浮き立たせてくれるから。


 風がローラの赤毛を優しく揺らし、その髪を包む緑の布も引っ張っていく。


 行く当てなどないけれど、こうして村を歩いて人々が生活している息遣いを肌や耳で感じられることがなにより心を穏やかにしてくれた。


 セロ村は平和で暮らしやすい村だ。

 この村に住む人たちはみな大らかで陽気な者が多い。

 幽鬼や盗賊などの脅威も少ないし、獣が人を襲うこともほとんどなかった。

 みんな何かしらの仕事を持ち、日々の糧を畑や狩りで得ることができる。


 それでも。


「……足りない」


 ここにはローラを求めてくれる男性ひとがいないから。


 村にいる自分より年下の貴重な若者を未来ある少女たちから奪うことなどできないし、なんらかの事情で伴侶と別れた年上の男の元に嫁ぐことはまだ考えられない。


 そうなるとセロ村以外の村や町から伴侶を求めなければならないが、住み慣れた場所からセロ村に来てもいいと言ってくれる男が果たしてどれくらいいるだろうか。


 ローラは他の土地へと嫁ぐこと自体が嫌ではないが、父バダムは娘をセロ村から出すことを許しはしない。


 そのことも未だに婚姻できない理由のひとつだ。


 父の反対を押し切って外へと出ればもっと出会いはあるし、少しくらい嫁に行き遅れたローラでも構わないと受け入れてくれる男もいるだろう。


 結局セロ村から出られないのなら、ここで伴侶を見つけなければならない。


 そうなると候補は絞られてくるわけで――――。


「おはよう。ローラ」

「…………グリッド」


 籠に野菜をいっぱい乗せて笑顔で挨拶をしてくる幼馴染はいつもと変わらない態度で近づいてくる。

 寝不足のローラと違い美少女が家にやって来たというのに緊張もせずしっかりと寝たのだと分かるその顔を見て呆れるやら腹が立つやらだ。

 その図太さを呪っているとグリッドは籠を差し出しながら眉を下げた。


「なに?どうしてそんなに機嫌が悪いの?こんなに清々しい朝だっていうのに」

「…………気持ちよく散歩してたのに、あんたが現れるから」

「おれのせいなの?ローラが不機嫌なのは」

「そうよ!」


 完全に言いがかりだったが、夜眠れなかったのも、こんなに苛々するのも全部グリッドのせいなのだ。


 ローラひとりが悪いわけではない。


「そっか……楽しい散歩を邪魔してごめんね。これ母さんがローラの所に持って行けって。メグを案内して連れてきてくれたお礼だってさ」

「…………いらない。言ったでしょ?散歩の途中だって」


 野菜がたくさん入った重たい籠を持っていたらのんびり散策などできはしない。

 だからいらないと断ると視線を下げて嘆息したグリッドが小さく首を横に振る。


「なによ?私はあの可愛い見た目の割に力持ちのメグとは違うんだから」


 きっとメグなら苦も無く持ち歩くだろうが、生憎ローラは一般的な女性の筋力しかない。


「…………どうしてそこでメグの名前が出てくるの?」

「どうしてって」

「じゃあ聞くけど、ローラの所に黒髪の旅人が泊まってるよね?」

「なんでそこにオーランが出てくるの?それこそ関係な、」

「あるよ。おれにはね」


 どこか不機嫌そうな声で語気荒く言葉を遮られてローラは唇を前歯で噛んだ。

 そうしないと震えているのがばれてしまうから。


 グリッドの様子に怯んだなんて気づかれたくない。


「ローラが明らかに昨日眠れなかったって顔をしているのは、もしかしたらその男と一晩中楽しんだからかもしれないじゃないか」

「ちょ……っ!バカなこと言わないで!そんなことあるわけないでしょ!」


 グリッドの下世話な想像にかっと頬を赤らめて叫べば、幼馴染は安心したように微笑んで「じゃあどうして眠れなかったの?」と聞いてくる。


 そんな質問に正直に答えられるわけがない。


「か、考え事をしてただけよ。これからの将来のことを」

「ふ~ん……将来のことを、ね」


 まあ、いいや、と引き下がったグリッドが籠を抱え直す。


「これ小母さんに渡しておくから、ローラは気が済むまで散歩するといいよ」

「……ありがと」

「どういたしまして。闇雲に歩くことで答えが出るといいね」

「――――ほんとあんたって嫌味な男!」


 思いっきり怒鳴りつけたが、グリッドは柔らかく笑む。

 普通の男なら怒るような言動もいつだって彼はこうして笑って受け止める。


 そして。


「そんなことおれに言うのはローラくらいだよ」


 なんて微妙に嫌な言い回しで返してくる。


「そりゃそうよね。あんたはみんなから尊敬されて大事にされる薬草師だもの。あんたが嫌味なのは私の前だけだし」

「仕事は関係ないと思うけど、ローラの前だけ態度が違うのは当たってる」

「開き直らないでよっ」


 どうしてこんなに逆なでしてくるのか。

 長い付き合いだからローラの性格は分かっているだろうに、何故こうした不毛な会話を続けたがるのか理解できない。


「ああ、もういい加減にして!あんたといると疲れる」

「疲労回復の薬を処方しようか?」

「結構よ!」


 そうまでしてグリッドといる時間を伸ばしたいとは思わない。

 これ以上話していると頭がおかしくなりそうだったからローラは肩を怒らせて大股で歩き出す。

 追いかけてくる視線を背中で感じながらもずんずんと道を行けば、途中で諦めたのかグリッドの気配が消えた。

 それを待ってからそっと振り返ると村の奥へと向かっていく後ろ姿に胸の奥がツキンと痛んだ。


「なんなのよ……」


 どうしてローラが胸を痛めなくてはならないのか。

 何故言い過ぎたかもしれないなんて思わなくちゃいけないのだ。


 罪悪感に苛まれてひたすら歩くことが楽しい行為であるわけがない。


 ――――いい加減素直になりなさいよ。


 フラニーの言葉を思い出して、そう簡単に素直になれるなら苦労はしないと心の中で毒づいた。


 今更なにができる?


 今更可愛げのある女になったところで「どうしたの?」と目を丸くして驚かれるのが関の山だ。


 グリッドの優しさに付け込んで一緒になったらきっと後悔する。

 それこそ罪悪感に押しつぶされてローラは気が狂ってしまうだろう。


「他の方法を考えないと……」


 お互いのために。


 ローラは村の境を越えて森の中へと入り込む。

 さほど奥へと行かずとも静かで空気の綺麗な場所へと辿り着く。

 そこは淡い紫の花が群生する広場。

 傍らに生えている一本の木に歩み寄り幹に手を触れてローラは地面に向かって垂れ下がっている枝をじっと観察した。

 その先に小さな蕾を幾つも着けているのを確認するとほっと息を吐く。


「今年も咲いてくれるのね……」


 月光花と呼ばれるその木は年に一度だけ花を咲かせる。

 光の月の初めの満月の日に。

 月光を浴びながらゆっくりと蕾を開いていく様子は神秘的で、その甘い芳香も人々を魅了してやまない花だった。


 そしてそれだけではない。


 月光花が咲かない年は不作で自然災害が多くなるという記録がいくつも残っている。

 だから村長であるバダムは定期的にこの木の様子を見に来るし、そして村人たちもこの広場へは足繁く通ってくるのだ。


 こうして蕾を着けてくれていることに安堵し、ローラはそっとまだ固い殻に包まれたそれに触れる。


「ありがとう」


 たった一夜のためだけに花を咲かせる月光花は村の命運を握っているともいえる。

 それでも花を咲かせることができるだけまだいい。


 女として美しく咲き誇ることができなかったローラは月光花にまで嫉妬して、こうやってただ腐っていくのだ。

 こんな卑屈な自分が本当に鬱陶しく、嫌悪しているのに、そんな自分にどこか酔っている自分もいて簡単に抜け出せない。


「教えて月光花……どうしたらいいの?」


 尋ねたところで答えはない。


 空しくなって空を見上げれば、晴天だったはずなのにどんよりと黒い雲が押し寄せてきていた。


 まるでローラの心のように。

 暗く重い雲が。




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