15 満ちるもの 満たされるもの
「暗くなってきたから今日はもう、捜索は無理だ」
分かって欲しいと父に言われてローラは小さく頷いた。
本当は無理を通し夜を徹して続けて欲しかったが、朝から夕方まで必死で探してくれた村人たちの疲労と沈鬱な表情を見るとそんなこと頼めるわけがない。
叶うのならば自分が探しに行きたいが、日が高いうちならまだしも暗い中あてもなく歩き回るなど流石のローラも怖くて実行に移す勇気はなかった。
「……じゃあ、再開は明日の朝になるのね」
「ああ、そうなる」
泣きながら眠った上に顔を下に向けていたため顔がぱんぱんに浮腫んでいる娘の顔を父はなんともいえない顔で見つめた後で慰めるように肩に触れた。
「大丈夫だ。グリッドはきっと無事だから」
なにを根拠に言っているのかという憤りとそれに縋りたい気持ちが同時にせめぎ合って感情が落ち着かない。
口を開けばきっと父を傷つけ失望させる言葉しか出てこないことは分かり切っていたのでぎゅっと口を引き結んで俯いた。
苦労して飲み込んだ全ての言葉たちが喉奥で詰まっている感じがして変な痛みを訴えてくる。
我慢できないほどではない強烈な違和感はローラの眉間に苦悶の皺を刻ませた。
「崖側を探しているオーランがまだ戻ってきていないが、彼もそのうち帰ってくるだろう」
「…………が、け?」
隣の村に行く途中に岩山がありそこの岩盤は少々もろく、落石も頻繁にある危険な場所だ。
道から少し離れているので用が無ければ誰も近づかないその岩山にグリッドが足を向けるはずがないのに。
オーランは村人が探さないような所を重点的に探しているのだろうか?
それとも――――?
ドキドキと激しく波打つ鼓動が胸騒ぎなのか期待からなのか分からないままローラは広場を飛び出した。
父の悲鳴のような名を呼ぶ声を置き去りにして駆ける。
びゅんびゅんと耳元を風が通り過ぎ髪を覆う布とその下の赤毛を巻き上げて夜空へと高く昇って行く。
喉が苦しくて大きく喘ぐように口を開くと土と草の匂いが飛び込んでくる。
村の境を記す柵がぼんやりと暗がりの中で浮かび上がったところで「ローラさん」という可愛らしい声がかかった。
「こんな時間にどこに行くんですか?」
全力で走っているローラは簡単には止まれず、勢いのまま三歩程進んだ所で漸く足を止めることができた。
乱れる息を整えるのももどかしく柵に手をかけてゆっくりと振り返るとメグが青い顔をしてじっとこちらを見つめている。
「そこから外は危ないです」
咎めるというよりも心配している声音に微笑んで「大丈夫よ」と返せばメグは眉尻を下げて首を左右に振る。
大きな緑色の瞳を潤ませて何度も何度も。
「こんな時にローラさんにまでなにかあったら、わたし」
耐えられません。
そう言って薬草の入った籠を下に置き、両手でローラの身体を抱きしめてきた。
細くて折れそうな見た目とは違い彼女の腕は力強い。
「大丈夫。この暗い中グリッドを探しに行くほどバカじゃないわ。ただ岩山の方に探しに行ってるオーランがまだ帰ってきてないからここで待ってようかと思って」
メグの小さな頭をそっと撫でて宥めながら同時に自分の心が静まって行くのを不思議な思いで感じていた。
彼女が呼び止めてくれなかったら自分がどこまで走って行ったのか分からない。
口ではバカではないと言いながら、そのバカなことをしでかしそうなほど心は激しく乱れていたから。
もぞりと体を動かして顔を上げメグは恐々と確認してきた。
「……岩山って、西の方にあるやつですか?」
「ええ」
「崖がある?」
「そうよ」
「もしかしたら――――」
さっと青ざめた彼女の唇が「わたしのせいだ」と動くのを見てローラはうっすらと直感めいたものを抱く。
グリッドは間違いなく危険な岩山に行ったのだと。
「あの、わたしが持っている書物に西の岩山の崖の上に珍しい毒消しの薬草が自生しているという記録があって……それを探しに行ったのかも。まだそこには足を踏み入れてないって言ってたから」
どうしようと責任を感じて泣きそうになっているメグをぎゅっと抱きしめ返すと石鹸の香りとは違う乾いた薬草と爽やかな青い草の香りがして胸が締め付けられる。
薬草師を志して日々勉強に励む彼女からはグリッドと似た香りがした。
腕の中のメグは小さくてローラの胸辺りまでしか身長が無い。
まだ少女の域を出ないメグが家族の元を離れて技術を身に着けるためにどれほど頑張り、時には心細い思いをしているのか――今この時になって初めて彼女の健気さや強さを知った気がする。
そして気取らず誰にでも優しく声掛けできるメグは可憐な容姿もあって村人からはすぐに受け入れられたし、同じ年頃の少年たちは彼女に恋心を抱いているものもいるが生まれ育った村ではない場所でどれほど気を張っていたか。
そんなメグを誰が責められるだろう。
それにこれは彼女ひとりが悪いわけではない。
「大丈夫よ、メグのせいじゃない。悪いのはグリッドよ……ほんとにどれだけ仕事バカなの」
こんなに村人全員に心配をかけて。
こんなにローラとメグを不安にさせて。
「帰ってきたらおしおきしてやるんだから」
「そんな……グリッドさん、かわいそうです」
「いいのよ。少しくらい」
メグの細い背中を撫でてやりながら「大丈夫。オーランがちゃんと見つけて連れて帰ってくれるから」と願いを込めて囁いた。
そうあって欲しいとメグも頷いてすんっと洟を啜る。
「さあ、メグ。疲れ果てた村の男たちを癒してあげてきて頂戴。あなたが行ったらみんな喜んで元気になるわ」
「……クラップさんの薬が元気にさせてくれるんです。わたしができることなんてほとんどない」
「そんなことないわ。あなたの笑顔はクラップ小父さんの薬よりも効果があるんだから。自信持ちなさい」
悄然としているメグの手に薬の入った籠を持たせ、いつもとは逆の立場で励ます。
いつだって自信が無いのはローラの方だったのに。
さっきまで怖くて泣いていたことはこの際黙っていれば分からない。
多少瞼が腫れていても、顔が浮腫んでいてもこれだけ暗くては判別できないだろう。
「みんなの役に立つのがあなたの夢なんでしょう?」
そのために薬草師になるのだと言ったのだから。
「今が一番あなたの力が必要な時なの」
「ローラさん……」
うるうると潤んだ瞳で見上げてくるメグは女から見ても可愛くて、妙な心持にさせるから困ってしまう。
「行きなさい。私も少し待ってオーランが返ってこなかったら戻るから」
肩を抱いて広場のある方へと向かせるとメグが迷っているような表情を浮かべる。
薬の入った籠を持っている手の指を何度も動かし握りなおして。
「大丈夫だから、行きなさい」
自分でも不思議なほど穏やかで落ち着いた声が出た。
中身は経験不足の子どもなのに大人ぶっているようで滑稽かもしれないが、実際にローラはメグよりも年上だし成人した女性である。
そのことを思い出してくれたのかメグは小さく「はい」と返事をしてゆっくりと歩き出す。
薄らと暗がりの中に沈む村の中心が浮き上がるようにぽっかりと明るい場所へ向かって。
途中で何度も振り返りながらも進んでいく彼女を見えなくなるまで見送ってから深く息を吐き出した。
そして吐き切った後で吸った風の中に甘い濃厚な香りが漂っているのに気づいてローラの視線は知らず知らず森の方へと向く。
誘うかのような強い芳香。
艶やかな女の呼ぶ声さえ聞こえてくるよう。
「月の光は愛の恵み――」
いつか語って聞かせてくれたオーランの声が蘇り、ぽつりと呟けば後は狂おしいほどの愛おしさと切なさが込み上げてきた。
見上げれば夜の色に包まれた空の中に銀色の月がきらきらと輝いている。
満天の星が広がっているのにその小さな光などものともしない幻想的で優しい光が柔らかくローラに降り注ぐ。
「優しく蕾に口づけて」
今か今かと希う。
その後はどうだっただろうか。
確か月光花の可憐な白い花をまるで女性の纏う衣のように表現して恋する男性を誘っているような描写だった。
月光花が女ならば男は――月、だろうか。
地面と空という離れた場所で互いを求め恋焦れる様子はどうにも悲恋としか思えないのに、その距離や時間すら想いは超えるのかもしれない。
「だって、叶わないわけじゃない」
この歌の最後は願いと思いが実になれば、幾重となって返ってくると結んでいる。
だから別れを思って泣くよりも永久を願う。
いや、願いたい。
強く。
心の底から。
「お願いっ」
柵を越えてローラは再び駆け出す。
甘い香りのする方へ。
森は暗く足元も覚束ないが月光花の香りを辿れば迷うことはない。
それに何度も通った道だ。
転びそうになりながらも辿り着いた花畑はひっそりとしていて闇に沈んでいる。
昼間に見る景色とは全く違い色彩も無く静かすぎて怖い。
だが傍らに佇む一本の木はむせ返るような甘い香りを放ち、今にも綻びそうな白い蕾を幾つもつけて夜の世界で淡く光っていた。
近寄ると熱気のような温度を感じてローラは思わず浅く呼吸を繰り返す。
木から人の体温に似たものが伝わってくることが奇妙であり、その不可思議さがまた月光花を色香のある女性に例えさせたのだと納得もした。
風がそよいで枝が揺れる。
ただそれだけなのに妖しくも美しく、そして蠱惑的だった。
酔いそうなほど甘く強い香りに頭の芯がぼうっとなる。
体中の毛穴から汗がじんわりと噴き出てくるような蒸し暑さに息苦しさを感じた。
「月光花……お願い、」
オーランはこの木は成就の木だと言った。
そして結実の花だと。
ならば叶えて欲しい。
「私の願いは、グリッドと」
ああ、彼の思いはなんだろうか。
ローラの願いと重なり、実となるような思いであればいいけれど。
どうか、かけ離れた思いでなければいい。
「幸せに」
どれほど欲したか解らない平凡な幸せ。
迷い、間違いながらも見つけた答えが祝福されないとしたら。
もう、二度と恋はできない。
永遠に幸せな家庭など手にすることはないだろう。
それはとても寂しくて、辛くて、怖いけれど相手が誰でもいいというわけではないから。
「お願い、」
無事でいて。
膝を着き両手のひらで蕾を包み込むと更に熱が増した気がした。
ぽわりと強く香り、なにかに手のひらが擽られて驚く。
そっと開くと白い花びらがゆっくりと解けて黄色の雄しべが見えていた。
「なんで……?満月じゃないのに」
本来月光花は光の月の初めの満月の時だけに咲く花だ。
まだ満月の日まで三日はある。
なのに。
一輪だけローラの手の中で咲いている。
「どうして……?」
唐突に背後でじゃりっと土を踏む音がしてローラは慌てて腰を上げる。
動転していたから地面に向かって垂れている月光花の枝に腕が触れて眩暈がしそうなほど強い香りが立ち上った。
同時に燐光も舞って初めてこれが月光花の蕾を白く輝かせていたものなのだと分かる。
埃のような小ささの光の粒が空気中に泳ぎ回って幻想的に彩り、目の前にいる人物が果たして本物なのかどうか判断ができない。
月光花が憐れんでローラのために夢幻を見せているのかもしれないから。
簡単に喜んだりできなくて、警戒して固まっていることしかできなかった。
もし駆け寄って現実でなかったとしたら落胆は激しい。
「…………グリッド、なの?」
だから慎重に呼びかけて、反応を待つ。
彼は出かけて行った時と同じ服を着ているけれど随分と汚れて疲れ切った顔をしていた。
右脚に体重をかけるように立ち、その場から動かないからやはり幻なのかもしれない。
危険な崖に近づいて命を落としたことを受け入れられず幽鬼となって彷徨ってここまで来たという方が実にしっくりくる。
「ねえ、なにか言って」
そういえば幽鬼は喋れただろうか?
話しかけた後でふと疑問に思ったが、細かいことはどうでもいいと首を振った。
どんな形であれ再び会えたということの方が大事な気がしたから。
「もう、いい」
彼が動けないのならばこちらが行くしかない。
ローラは僅か七歩ほどの距離を歩いて埋める。
月光花と月の絶望的な遠さを考えればこれくらいたいしたことはない。
「お帰りなさい。グリッド」
両手を伸ばして彼の首に腕を絡める。
消えてしまうかもしれないからそっと優しく。
鼻先に触れる服や頬をくすぐる髪からふわりと香る独特の薬草と彼特有の匂いが胸の奥をズクリと疼かせる。
「心配、したんだから」
帰ってきたら文句をいっぱい言ってやろうと思っていたのに顔を見るとそんなことできなくてローラは悔しくて涙を浮かべた。
「こわ、かった」
傍にいてくれるのが当たり前だった彼が消えて。
不安でたまらなかった。
「二度と会えないかもしれないって……でも、こうして会えたから」
もう、いい。
「例え、幽鬼だとしても会いに来てくれて嬉しい」
「当然だよ。ローラのためなら幽鬼になってでも帰ってくる」
漸く耳にできた彼の声は掠れていてよく耳を澄ませなければ聞き取れないくらいだった。
それでも自分に会うために幽鬼になることすら厭わないというのだから彼の思いはやはり強いのだろう。
嬉しいけれどやはり寂しい。
幽鬼は心に虚ろ抱えて永遠に荒野を彷徨う運命を負う。
記憶も人格も徐々に失いなんのために幽鬼となったかも忘れた虚しさから人を襲うようになるというから。
そんな存在にグリッドがなったのだと思うと深い絶望感に陥ってしまう。
「今更遅いかもしれないけど、私誕生日の贈り物にはあなたが欲しかった」
あなたと共に歩む未来が欲しかった。
「どうして過去形なの?」
不服そうなグリッドの声に「だって」と返そうとしたがその言葉は彼の唇に飲み込まれて変な呻き声のようにしか聞こえなかった。
あまりにも生々しい感触にローラは戸惑いながら彼の顔をまじまじと眺める。
グリッドも目を開けたままこちらを見ていて視線が合うと水色の瞳が眇められ笑われたのだと気づく。
やわやわと唇を弄ばれ時に軽く歯を立てられながら口づけは徐々に不穏な気配を帯び始めてローラは堪らずグリッドの胸に手を当てて身を捩った。
「――――っつう!」
そんなに力いっぱい拒んだわけでもないのにグリッドは顔を歪めてローラの肩に額を乗せた。
そのままずるずると下がっていくので慌てて彼の背に手を添えて抱え込むが、男の体重を支えることはできずにローラは尻もちをつくような状態で地面に座った。
「グリッド?どうしたの?」
「どうしたも、こうしたも」
グリッドの顔をよく見ようと胸元に抱き寄せると脂汗を滲ませて苦しんでいた。
顔色が悪い。
呼吸も荒く触れている身体から異常な熱さも感じた。
「あなた、まさか――生きてる?」
「あのさ、勝手に殺さないでくれるかな?」
いてて、と彼が押さえているのは左膝。
爪が白くなるまで強く握っているのを見ると本当に痛いのはきっとその下。
「見せて!」
「大丈夫だよ。ちゃんと処置してるから――」
「いいから」
ズボンの裾を上げれば脛と脹脛の部分に添え木が当てられぐるりと布で固定されていた。
その端から見える肌は浅黒く変色して足首がひどく腫れている。
「……折れてるの?」
「うん。ぽっきりいった」
「ああ、もう!なにやってんのよ!仕事バカにもほどがあるわ!珍しい毒草よりもあんたの命の方がどれだけ大事か!」
生きていると分かった途端に怒りが込み上げてきて痛みに苦しんでいるグリッドを責めてしまう。
だが彼は何故か嬉しそうに微笑んで「ごめん」と謝罪する。
「なんでそこで笑うのよ!」
悔しくて思いきり睨んでやったのに更に相好を崩してぐふふっと笑い声さえ漏らす。
その耐えきれないといった笑い方が気持ち悪くて抱えていた頭を放り投げて身を離すと、グリッドは呆気なく体勢を崩してごろりと地面に転がった。
「ああ……折角ローラの柔らかな胸を堪能してたのに」
名残惜しそうに胸元を見つめてくる視線の暑苦しさにぶわっと両腕に鳥肌が立ち、少しでも距離を取ろうと座ったまま後ろへ下がる。
「――――ほんっと、あんたって」
「だって仕方ないよ。ローラと初めての口づけ、しかもローラは絶対おれが初めてだし」
それを喜ばずしてなにを喜ぶというのかと額に前髪を張りつかせて幸せそうに微笑んだ彼の様子に今度はぶわっと一気に赤くなる。
そういえば、初めてだった。
というか流されて口づけを許してしまった――!?
しかも相手は幽鬼だと思っていたから雰囲気もなにもあったものではない。
互いに目を開けて、視線を合わせて。
グリッドのいいように奪われてしまった。
「あれが、」
初めての口づけになるのか。
全く甘くもなく、ときめきもないまま。
「――――最低っ」
「大丈夫。これから何度もできるよ。次は特別甘くて最高な瞬間にしてあげるから」
「なによっ!その“してあげる”って上からの言い方!」
「うん。ごめん」
「あのねっ!謝ってもらったって、」
「心配かけてごめんね。ローラ」
「――――っ!」
そんな風に謝られたら二の句が継げなくなる。
ささくれ立っていた心に荒れ止めの軟膏を塗られたかのようにじんわりと治まって行く。
寝っころがったままグリッドが手を伸ばしてローラを求めるように指先を揺らす。
爪の中に土や草がつまっている指は所々血を滲ませていて崖から転がり落ちた様子を想像させた。
「バカっ」
本当にバカだ。
恥ずかしがるよりも彼が喜んでいるなら自分も幸せだと感じればいいのに。
生きて帰ってきてくれたことを感謝すればいいのに。
相変わらず素直じゃない。
本当に可愛げがない。
でもそんなローラをこれほど愛し求めてくれる男はグリッドしかいないのだ。
「グリッド、」
求めに応じて指を絡ませ、ローラは大きく息を吸いこむ。
もう、間違えない。
もう、後悔しない。
もう、言うしかない。
そう。
今しかない。
「好き、すき、どうしようもないあなたが」
大好き。
「誕生日にねだらなくてもおれはもうずっと昔から」
ローラだけのものだよ。
なんて恥ずかしげもなく囁くから。
優しく手を引かれるままグリッドの胸の上に倒れ込む。
ちゃんと怪我をしていることを考慮してそっと。
我儘で気が強いローラを気長に待てたのは、グリッドだからだろう。
優しい顔をしているくせに時々嫌味で、薬草師の仕事に誇りを持っている彼は本当はとっても嫉妬深くて友達すら平気で脅すようなちょっと危ない男だけど。
いつだってローラを見てくれていた。
どんな時も。
どんなローラも。
変わらず。
「お願い。私を」
幸せにして。
誰よりも――なんて願いはちょっと高望みしすぎだろう。
でも彼となら賑やかな家庭を持てる気がする。
暖かで楽しい。
「もちろん」
ああ、ようやく。
「きみを手に入れられる。誰にも邪魔されることなく、誰に負い目を感じることなく……ここまであきらめず待っていて本当に、良かった」
感慨深い「良かった」の言葉にローラはそっと目を閉じた。
彼が息をするたびに上下する胸の上は心地よくてそのまま寝てしまいそうだ。
「ローラ、重い」
肩を叩かれて渋々目を開けると上半身を起こしたグリッドの顔がゆっくりと近づいてくる。
二回目は特別な時にするって言った癖に。
仕方なく目を伏せようとしたローラの視線の端にたった一輪だけ咲いている月光花が映った。
ああ。
本当に成就の木だ。
結実の花。
「この木の下で想いを告げれば必ず成就すると言われているんだ」
そう言っていたオーランの言葉を思い出しフッと笑うとグリッドが怪訝そうな顔で触れあう寸前で止まる。
「オーランに感謝しないと、って思って」
「――――こんな時に他の男のこと考えてるなんてすっごく面白くないんだけど、まあオーランには今回助けられたし」
後で一緒に会いに行こう。
「だから、今だけはおれのことだけ考えて」
「う、ん」
ああ、月が見ている。
ああ、月光花が香っている。
グリッドへの思いが溢れてひとつ、またひとつと零れ落ちていく。
まるで花弁が散るように。
地上に落ちて八重に一重に重なったその恋慕は彼からの想いと混じりあい優しくローラの元へと返ってくる。
ああ、幸せが。
満ちる。
ローラの胸に。
そしてグリッドの中にも。
諦めなければ幸せになれるのだと教えてくれた全ての人に感謝しながら返ってくる深い愛に包まれてローラは涙をひとつ。
流した。