11 間違いの代償
「良かったよ。思い留まってくれて」
うららかな春の日差しを浴びながら隣あって座るオーランが灰色の瞳をこちらへと向ける。
その後ろで草を食んでいたシドが徐に顔を上げて鼻を鳴らして首を上下に動かした。
「思い留まったというか……ちょっと冷静になったというか」
焦りから突っ走ってしまったことに対する後悔と恥ずかしさがあるのでローラは膝を胸元に引き寄せて視線を落とす。
寒く辛い闇の月から光の月になったことで虫たちが喜んでいるのだろう。
忙しそうに地面や空を行き交っていた。
賑やかで、これからなにかが始まるような期待感。
光の月はそんな気持ちにさせてくれる。
「幸せになりたいと望みながら明らかに後悔する方へ自ら飛び込んで行こうとしているからすごく心配してたんだけど」
「…………ちゃんと反省してるから、もう言わないで」
赤くなっているだろう耳を覆ってひたすら顔を俯けていると「全然良くないわよ」と呆れたような声が降ってきた。
「…………フラニー?」
友人の声に引き上げられるように頭を上げると、そこには口の端を曲げて精一杯怒っている表情を作ったフラニーがいた。
「全然ダメ。だって仲直りしてもとの関係に戻っただけじゃない」
そんなんじゃ意味が無い。
「なに?あんたも私じゃなくてグリッドの味方なわけ?」
「当たり前でしょ」
幼馴染との関係修復はその日のうちに広まって何故か村人全員から喜ばれ、更に遠まわしに――時にはフラニーのようにはっきりと――ローラの中途半端な態度を責められた。
つまりみんな長年片思いを続けているグリッドを不憫に思い、肩入れして応援しているのだ。
グリッドの気持ちに気づいていながら友人であることを求めてきたことに対して悪いとは思うが、ローラだってずっと片思いをしていた挙句に失恋している。
そんなにすぐに気持ちを切り替えられるわけがない。
ひとりの相手を長く想い続けていればなおのこと。
だからちょっと面白くない。
みんながグリッドばかりを味方をしていることが。
「もう、そんな顔しないで。ちゃんとローラのことも心配してるんだから」
「……ちっともそうとは思えないけど」
首を斜めにしてからフラニーを見上げると、彼女は眉尻を下げて肩を落とす。
膝を着くためにすっとしゃがんだフラニーから甘い香りがする。
赤ちゃん特有の優しくて甘い幸せな香り。
産まれたばかりの子どもを今日は誰かに預けて来たのだろう。
「ローラが彼のことを嫌っているのなら私はあなたの味方をするけど」
どうなの?という無言の圧力にローラは居心地が悪くて顔を背けた。
その顎にそっとふれる柔らかな手のひら。
指が頬に沿わされゆっくりと前を向くようにと促してくる。
「脈が無そうには見えないからみんな応援するの」
一体いつの時点からみんなの目にそう見えていたのか。
ローラはずっとグリッドではない相手を見ていたし、恋破れてからも彼を正面から見ていなかったというのに。
「私はローラにもグリッドにも幸せになってもらいたい。二人が一緒になってくれたらそれが一番嬉しいけど、例え別々の相手を選んだとしても二人が幸せな家庭を築ければ……それでいい」
「フラニー、あんたってどこまでいい子なの」
ふっくらとした頬を緩ませて笑う友人はローラの瞳を覗き込むようにして「私はいい子じゃないわ。ただローラが好きなだけ」と答える。
「それに“いい子”だなんて言われるような年齢じゃないし」
「……そうね。二人の子を産んだ立派な女性に対して使う言葉じゃないわね」
「そうよ。私たち、もう子どもじゃないんだから」
そうだ。
いつまでも子どもじゃない。
子どもじゃいられない。
いい年齢の大人――しかも男――に我慢させてばかりもいられない。
「いつまでも、待たせられないって分かってる」
年齢に焦りを覚えているのはローラも同じ。
「私はフラニーみたいになりたい」
「なあに?それ」
突然の告白に目を丸くしつつもきょとんとした表情で首を傾げる仕草もまた彼女を愛らしく見せた。
「愛情深さを表すふくよかさ。愛しい人を優しく包む柔らかな腕。子を授かり無事に産んだ証拠の豊かな腰と胸。優しい眼差しと、なにより」
その幸せそうな笑顔。
「フラニーは私にとって幸せの象徴なの」
羨ましくて仕方がなかった。
ずっと。
「…………バカね。ローラ」
すんっと洟を啜ってフラニーは目元を抑えた。
涙腺が弱いのは昔から変わらない。
「ローラみたいな体形に戻りたいってみんなで言ってるくらいなのに、こんな体を羨むなんて」
「ちょっと私の理想を“こんな”とか言わないで」
ローラだっていつまでも昔のままの体形を維持できない。
いずれ崩れる。
それが分かっているから焦るのだ。
愛された形跡が多く残るフラニーの身体ならばそれが誇りとなる。
自信にもなる。
だけどまだ。
「怖い」
グリッドは長くローラを想い過ぎた。
彼の中にいるのは本当のローラとは多分違う。
現実と理想の垣根が消えて本物のローラと向き合った時にグリッドの気持ちが変わってしまわないかと思うと。
不安でたまらなくなる。
ローラですら幼馴染の知らない部分があることをつい最近知らされたくらいだ。
彼にも同じことが起こらないとは限らない。
「だから、もう少し見極めてからじゃないと」
「…………臆病になるローラの気持ちも分からなくはないけど、ここで動かないと二人の関係は変わらないままになるわよ。多分ずっと」
「ううう……」
「勇気出しなさい」
「……ムリ」
「どうして?ジョーを誘う勇気があるならグリッドにもできるでしょ?」
「なっ!?なんでそれを――!!」
激励を聞きつつも一歩を踏み出せないローラが唸っていると、フラニーが笑ってさらりと衝撃発言をする。
かあっと赤面すると右隣でコホンと咳払いする声がして、オーランが傍にいることを今更ながら思い出した。
「村中知らない人はいないわよ?狭い村なんだし、あっという間に噂は広まるんだから」
今更なにを言っているのかとフラニーが溜息を吐く。
確かに昨日の昼前には二人が仲直りをしたと広まっていたくらいだから狭い村で秘密を持つことはかなり難しいのだろう。
つまり村中知っているということは、もれなくオーランもメグも知っているということ。
「は、恥ずかしすぎる……」
羞恥に耐えられずに膝を抱えて蹲り、自分の愚かな行動を改めて後悔した。
「怖がらなくてもグリッドの気持ちは変わらないと思うけど……。ローラがそれを信じられないうちは難しいのかもしれないわね」
よしよしと頭を撫でてくれるフラニーの手の心地よさと慰めに身を任せて、暫しじっとしていると「もうひとつ忠告」と小声で注意を促された。
「グリッド以外の男の人と二人きりにならない方が良いわ」
これから彼とのことを真剣に考えるならば。
「え?」
早口で続けられた言葉につられて身を起こすと同時に明るい声でフラニーが「こんにちは。グリッド」と手を振りながら立ちあがった。
道の向こうからやってくるグリッドもにこやかに手を上げて「フラニー、久しぶり」と挨拶を返す。
「赤ちゃん元気?」
「お蔭さまで。この間の熱さまし良く効いたわ。ありがとう」
「どういたしまして」
そのまま世間話のような会話を始めた二人を黙って見ているとなんだか取り残されたような気がして寂しい感じがした。
チラリと横を見るとオーランが品物を片付け始めており、シドも長居は無用だとばかりに足を踏み鳴らしている。
まだ日は高く、村人たちが来るかもしれないのに今日はもう止めてしまうようだ。
「いいの?」
オーランが手を止めてローラを見て次にグリッドを見る。
グリッドは変わらずフラニーと話しており、こちらを気にもしていないのに。
「物珍しさも遠のいて最近では寄りつく人も少なくなったから……そろそろ次の村に移動しようかと思ってる」
「え!?そうなの……でも、そんな急に」
旅人が一箇所に長く留まらないのは知っている。
知ってはいるが数日とはいえ同じ屋根の下で同じ食事をとったオーランがいなくなるかと思うとやはり心がざわつく。
今までの旅人とはオーランのように親しく言葉を交わしていない。
だからかもしれない。
彼との別れが悲しいのは。
「だから安心していい」
何故かオーランはローラではなくグリッドに向かって声をかけた。
フラニーと話していたはずなのにこっちの話しも聞いていたのか、グリッドは直ぐに振り返ると笑顔で「これで心配事がひとつ減るよ」と返す。
「ひとつ減ったところで安心はできないかもしれないけど、俺はローラの幸せを願ってるよ」
「え?……ええ、ありがとう」
次は最後の言葉をローラに向けて。
散々迷走して恥をかいたローラを知っているから、きっと励ましの言葉なのだろう。
「じゃあ、行こうか。ローラ」
「え?え?」
近づいてきたグリッドがぐいっと腕を引いたので腰を上げるとそのまま歩き出すので、戸惑いながらフラニーとオーランを見ると二人とも苦笑してさっさと行けと手を振る。
「ねえ、ちょっと……どこに行くの?」
「二人きりになれる所ならどこでもいい」
「どこでもって、それにわざわざ来なくても後で私がそっちに行ったのに」
忙しいグリッドに比べればローラの方が時間を作り易い。
さっきだってオーランやフラニーとおしゃべりに興じていたくらいだ。
グリッドが眉を片方上げて不可解そうな顔をしたのは気を使われたことが嫌だったのか、それともせっかく来たのに喜んでいないように見えるローラに不満があったのか。
「おれが会いたくなったから来たんだけど?それにメグも随分覚えて薬草園を任せても大丈夫になってきたから、これからはもっと一緒に居られる時間が増えるよ」
「あい、――――そうメグも頑張ってるのね」
「なに?嬉しくないの?」
会いたくなったから来たという言葉があまりにも直截すぎて恥ずかしく、敢えてそこを無視して後半の話題に乗っかるとグリッドは明らかにむっとした。
「ローラが言ったんだよ?おれのこと知りたいって。そのために前より一緒にいるようにするって」
「う、そりゃ言ったけど」
「本当のこと言うとおれのこと深く知ったらローラは絶対におれのことが怖くなると思うからあんまり教えたくないんだけど」
歩きながら腕を掴んでいたグリッドの手が一瞬だけ離れ、そして優しく右手に左手を重ねてきた。
自分のものよりも大きくて固い手のひらにきゅっと握られて、ローラの胸がきゅうっと苦しくなる。
「ローラが知りたがっているんならなんでも話すよ。その間は堂々と一緒にいられるんだし。あ、手繋ぐくらいは大丈夫だよね?」
「そんなこと、いちいち聞く……?」
手を繋ぐくらいは子どもの頃なら普通にしていたのに。
まあ大人が手を繋ぐのはまた違う意味合いがあるのは理解しているけど。
「だっておれたちまだ恋人じゃないからどこまで許されるかはローラ次第だし、聞かないと分からないし」
「確かにそうだけど」
今の関係を表すなら恋人候補――くらいか。
なんとも微妙な関係だが、どれぐらいが適当かは手探りでいくしかない。
なにか行動を起こすたびに確認されるのはローラの気持ちを優先しているようで、なんとなく彼をどれくらい好きかどうか探られているようでもある。
面白くない。
頬を膨らませているとグリッドが繋いだ手をぐいっと引き寄せて顔を覗き込んでくる。
その瞳がなにやら邪なことを考えているのか怪しく光った。
「言っとくけどローラがちゃんと止めないと、おれ抑えが利かないよ?それでもいいならいいけど」
「そんなの!だ、ダメに決まってるでしょ!」
「ならこれからもちゃんと聞くようにする」
破顔するグリッドの顔が今まで見た中で一番嬉しそうなのは気のせいだろうか。
いちいち動揺するローラの様子を喜んでいるようでさえある。
なんだか主導権を握られている気がする――――!
どうしてこうなったのかは分からないけれど、これは良いことではない気がする。
なにやらまた間違った気もするが既に後には引けない状況だし、ここでまた拗れたら二度と仲直りはできないだろう。
ちゃんと見極めなきゃ。
そう心に決めて、ローラはグリッドの瞳を半ば睨むように見つめ返した。




