問いの一 死人映りし、描くは人 1
「まぁまぁお兄さんも飲んで飲んで!」
言われるまま、手に持ったコップに酒が注がれる。 それが終わると、女は自分の手元にある酒を勢い良く飲み干した。
絵画展の後、どこに行こうとも思わずただ歩いていた所にこの女は再び現れた。 女は神城 雫と名乗り、僕は連れられるまま居酒屋へと招かれた。 そして今に至る。 目的も分からないまま、とりあえず出された酒をちびちび飲んでいるわけだ。
「んーで? お兄さんも、やっぱあの絵が目当てだったん?」
長い黒髪を後ろに束ね、丸い目をこちらに向けてなんとも楽しそうに尋ねてきた。 僕よりも下…… 20代前半ほどだろうか。 まだ幼さの残る顔立ち、しかしどこか大人びている。 そんな印象を受けた。 そんな観察を終えて、僕は神城と名乗る女の質問に答えた。
「最近噂になっているからね。 どんなものかと気になってしまって」
なんて。 あまりニュースなどは見ないので、昨日の話を聞くまでは知らなかったのだけど。 ただ確かに、あの絵は普通ではない。 死体が絵になったと言う表現にも、認めたくないが頷ける。 それくらい、現実味があった。
「そっかぁ。 んで? 見た感想は?」
「感想? ……作者の表現力は、凄い物だな、と」
「はい、ブッブー! おにいさーん、見る目ないねぇ……」
顔の前に指でバッテンを作り、なんとも残念そうな顔をした。 間違いだとでもいいたいのか? 感じたものに間違いはないだろう、そんなの人それぞれなのだし。
「そんなの思ってないくせにさぁ」
「そんなことは……」
「だって。お兄さん、他の作品には足も止めなかったじゃない」
「…………」
確かに。 あの死体の絵以外の作品は、綺麗だと思って終了だった。 止まりもせず、正面から見ようともせず。 ただ行き交う人々を横目で見るような、そんな感覚であった。
「言葉って難しいよねぇ。んで、改めて…… あの絵を見た感想は?」
おちょくるように、そしてそれがとても楽しいと言うように。 神城は、笑いながらこちらを見る。 俺は酒をちびりと飲んで、少し息を吐いた。
「………まるで。今、その場で書いたような。 そんな現実感を、感じた」
「……んーっ! お兄さん、見る目あるねぇ! そこらではしゃいでたガキんちょ共とはえらい違いだ!」
満足のいく答えだったのだろうか。 神城は満面の笑みを浮かべ、また酒を勢い良く飲み干した。 ……変なやつ、直感的にそう思えた。
「ふぅーー! …んで、お兄さんはどう思う?」
「どうって… なにがだい?」
「だぁかぁらぁ! あの絵だよ。 …… どうやって描いたと思う?」
「さぁ? 普通に描いたんじゃないかい?」
「だー、もう! ふっっつうに描いたら素通りするようなつまらない作品しか描けてないでしょーが!」
カウンターのテーブルをバンバンと叩く。さながら駄々をこねた子供のように。 不謹慎だが、僕は少し笑ってしまった。
「なーに笑ってんのさぁ」
「…ごめん。 つい可笑しくて。 ……君は逆に、どうやって描いたと思うんだい?」
いじけた子供をあやすように。 僕は、少しいたずらっぽく聞いてみた。
「………殺して描いた」
不用心だった、といえばいいのか。 僕の目の前の女は、子供のような態度を取ってはいるが。子供ではない、こんな真っ直ぐで迷いない答えを言えるのだから。 その答えに、僕は酷く動揺してしまった。
「……あの絵を描くために、わざわざ人を殺したと?」
「うん。 そうしなきゃ、辻褄が合わない」
辻褄合わせで、人を殺したと? そんな馬鹿げたこと、あるわけが……
「………んあーーー! でもなぁ、それでも分かんないことだらけだぁぁぁ!」
突然そう言って、両手を自分のこめかみに当て、悩み始めた。 ……感情が忙しい子だ、見ていてそう思った。
「なぜ、死体の絵を描いたのか。 なぜ、死ぬ前に描けたのか………」
そう言って、なにやらブツブツと独り言を言い始めた。 どうやら、答えが見つからずにイライラしている。 そんな風に見える。
でも確かに。 死体の絵、を描くのは。 描こうと思えば描けるものだろう。 僕は絵描きではないので、よくは分からないが。
しかし…… なんで、死ぬ前に描けた? 僕はその現場を目撃したわけではないが。 あの絵からは不思議と感じた。 死を迎えた直後の、人の表情を、感情を。 まるで今まさに、あの場で死んだような…… そんな感覚。 うまく表現できないけれど、とにかく感じたんだ。
「………まるで、死ぬことを予想したみたいだ」
僕はそう呟いた、何気無く思ったことを。 包み隠さず、そのまま。 瞬間、ブツブツと独り言を言っていた神城が目を輝かせてこちらを見た。
「………あっはは! お兄さん、その発想はあり、だねぇ」
「……なにがだい?」
「うんうん、やっと問いの形を明確にできた気分! 名付けて…… 予言の絵はどうして描かれたのか! ってね!」
そう言って、高らかに天井に向けて指を差す。 なんとも楽しそうだ、神城の表情を見てそう思った。
「……頑張ってくれよ」
僕はそう言って、財布から一万円札を取り出しテーブルに置いた。 満足のいく結論が出たみたいだし、暇つぶしの相手はもう不必要だろう。
「ちょと、おにいさーん! どこ行くのさぁ」
そう言って、背中に抱きついてきた。 ……酒臭い、まだ僕よりも若そうな女が放つ匂いではない。
「……君の相手は十分しただろう?」
「ひどい! 私は遊びだったのね!」
「……からかわれるのも体力使うんだよ?」
「えぇ? からかうつもりで誘ったんじゃないよ?」
「……だったら、一体なんでーー」
「お兄さん、歪んだものをよく見るでしょ?」
……酔っ払いにしては酷く冷静な声色。 そして、僕の中を覗き込むような言葉。 それほど酒を飲んだわけでもないのに、吐き気が襲ってきた。
「……だったら、なんなんだい?」
「…にひっ。 お兄さんにも、謎解き手伝って欲しいなぁって!」
子供のように笑う。 しかし、その裏にどんな顔があるのか。 恐怖、とは少し違う。 怖いと感じて、同時に厄介、と言う言葉が僕の頭の中に浮かんできた。