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短編ノート

flower

作者: 硴月 楸

兄が前に話してくれた夢の内容を参考に書いてみた話です。

人は、死に直面すると何よりまず逃げることを考える。

それが人の、生きとし生ける全てに与えられた本能だ。

敵わないものが目の前に現れれば、無理に立ち向かわず楽に生きることのできる道へにげこもうとする。


……人は死が何よりも怖いのだ。


故に逃げる。



しかし彼、ユヒェル・ベルナマータは知っていた。

人の中にはごく稀に死から逃げずに立ち向かおうとする者がいるのだと。

そして、その者たちは必ず意味ある死を飾るのだと。

ユヒェルは知っている。

彼が出会ったとある男がまさにそういう人間だったから…。



▼ △ ▼ △


出会いはつい最近のこと。


「私が今日からあなたの上官となります」


真っ黒な髪に真っ黒な瞳、火薬の黒い跡のつく黄色の肌、ツナギ姿にはにかむ笑顔。

そんないろんな意味であやしい風貌の男は上官という地位にいるくせにやたら丁寧な物言いで語りかけてくる。

東洋人は礼儀正しく質素な人だと聞いたことがあったが、ユヒェルにとって男のその態度は気に障るものだった。


「……なめてるんですか」

「え?なにを?」


東洋人のくせにこの国の言語を流暢に話すのにもムカついた。


「上官のくせに部下に向かって敬語とか…ふざけてる」


思わず本心を口にした。

男が呆然とするのを見て、途端しまったと口を閉ざした。

新しい上官に向かっていきなり暴言を吐いたなんてバレれば首が飛ぶこと間違いない。


…死にたくない。


ビクビクと男の反応に怯えながら待っていると、男は意外にも声を上げて笑い出した。


「あはははっ!威勢がいいなぁ、新人くんは!」

「へ?」

「いやぁー、気に入った!君ならいい友人になれそうだ」

「ゆ、友人??」

「私はトウマ・サカキバラだ。君は?」

「ぇ…?」

「な、ま、え。なんて言うんだい?」


あまりの急展開に頭がついていけず、言われるままに「ユヒェル・ベルナマータです」と答えた。

すると男、サカキバラはそれはそれは嬉しそうに笑ったのだった。





彼らは現在、戦争の最中にある小さな村の軍隊に所属している。

…ユヒェルの場合は所属させられているといったほうが正しいが。

彼は不運にも旅行で訪れたところを捕虜として捕らえられ、雑兵としてまるで奴隷のように扱われてきていたのだ。

言葉すら通じぬ中で必死に銃を片手に戦場を駆け回り、生きるために殺しをしてきた。

そうしなければ生きていけない、過酷な状況だったのだ。

初めは辛かった。

だが言葉も通じるようになり、数年もたつとすっかり慣れてしまっていた。


そんな中での転属。

場所はサカキバラが仕切る武器の修復を主にした部隊。

ただし戦うことはしない。

あまりの環境の差に驚きを隠せなかったが、サカキバラがいつもよくしてくれたので少なくとも今までの地獄のような日々よりはいくらかマシだった。

ただ不満があるとすれば、サカキバラの上官としての態度だけか。


「やっぱここにいたか」

「んー?どうした?」

「って、また武器作ってんのかよ…」


すっかり見慣れた工房に入り、ガラクタの中を進むとまた武器の改造に励むサカキバラを見つけた。

転属してしばらくが経ち、ユヒェルはなんとなくサカキバラという人間が見えてきた。

まずサカキバラの技術力は半端ではない。

東洋人だということを抜いても器用さは群を抜いている。

だからこそ異国民でありながら上官という地位にまで上り詰めることができたのだろう。

その点に関してはユヒェルも感服せざるを得ない。

次に彼は戦いを好まない。

一度ユヒェルが戦っていた頃の話をした時、サカキバラはあからさまに顔をしかめ、「そういう話はやめないか」とめずらしく怒った。

初めは何を怒っているのかわからずムッとしたものだったが、理由がわかった今は申し訳ない気持ちになる。

そして最後に、彼は仕事である武器の修復の合間はいつも変な武器の改造に勤しんでいる。

見た目からするとランチャーかバズーカのようだが、サカキバラは違うと言い張る。

ならばそれはなんだ、とユヒェルは何度も問うてきたがいつも「まぁな」「あー、すまん今忙しい」とはぐらかされてきた。

実に歯がゆい。


……ともあれ、以上のことからしてサカキバラは正直言って上官には向いてないタイプの人種だ。

とにかく格好がつかないやつである。



「おいトーマ、いい加減何作ってんのか教えろよ」

「はいはい。それに、私はトーマじゃなくてトウマ」

「トーマの方が言いやすい」

「…まぁ、いいけど」

「で、何作ってんだ?」

「それより用件はなんなんだ?」


あからさまに話をそらされイラつくが、確かに用はあるのでいつも通り渋々問いただすのは諦める。


「手紙が届いているんだが…」

「誰からだ?」

「…えっと……すまん、日本語で書いてあるからさっぱりだ」

「いや、十分だ」


そう言うとサカキバラは手を止め、分厚い手袋を外すとユヒェルから手紙を受け取った。


「……………ハナ…」


手紙を見つめる目がとても柔らかいものへと変わる。

優しく穏やかな…まるで父親のような温かな目。


「ハナとは…娘か?」

「ん?ああ、そうだ。これがまた可愛いやつでな、今はたしか10歳だったかな……」

「え…トーマっていくつだよ」

「34歳だ。たぶん」

「たぶん?」

「仕事柄年齢なんてすぐ忘れてしまうからな」

「ふーん…」




サカキバラは日本で職人として働いていたらしい。

詳しいことはサカキバラが話そうとしないので判明していないが、手先の器用さはそのためのようだ。

生活もそれなりに安定していたようで、家庭もあった。

だが、彼はその職を捨て、自らこの戦地へと足を運び、戦力として加わった。

理由はわからない。

サカキバラ曰く「職人としての意地」だそうだ。

ユヒェルには到底理解ができなかったが。


「あ、あともう一通届いてんだけど」

「もう一通?誰が?」

「…差出人はないんだけどよ。ほら」

「本当だな…どれどれ」


丁寧に封を切り、中身を広げるとサカキバラは思わず息を飲んだ。


「……………っ!」

「どうした?」

「………私たちに…戦闘命令だ…」

「え」



それなりに平和に思えた生活も慣れを感じた途端に崩れ去った。


二人の足取りはやけに重かった。







───…そしてことは起きた。



明るさを無くしつつある鉛色の空が重く肩にのしかかり、崩れ落ちる。

体にはもう力が入らない。

身体的には問題はない。

ただ…精神的なダメージが著しかった。




サカキバラが死んだ。





その最も恐れていた事態が今、目の前で起きてしまったのだ。


「トーマ……なんで…」


声も虚しく、銃声でかき消される。


「おい、戦闘中だぞ!立て!死にたいのか?!」


味方の兵が怒鳴る声が聞こえたがそれどころではない。

サカキバラが死んだのだ。


…しかも、ユヒェルを庇って。



今までの戦闘の中でユヒェルはいつも一人で行動していた。

仲間などいるはずもない。

いるのは敵とその敵。

心許せるものなどいなかった。

…だが、サカキバラは違った。

まるで自分の息子のようにユヒェルに接し、気にかけてくれた。

大切な唯一の仲間だった。

なのに、そんなサカキバラを自分のせいで殺してしまったなんて…あんまりだった。

サカキバラの胸から流れ出す鮮血はユヒェルを縦断から守ったがためについた傷。


「………………おれ……」







『もし……────────。』




ふと、脳裏に懐かしい声が響いた。

それは戦場へ向かう中途、サカキバラが発した言葉…


『もし…私が死ぬようなことがあれば、工房に戻ってきて私が作り上げたあの銃を手に戦場の真ん中に行ってくれ。そして日が沈む頃、空に向かって撃ってくれ』


今思えば、こんな未来がわかっていたかのような言葉だ。

この言葉を聞いた時は不謹慎なやつだとムカついたものだったが、今は違う。



「…行かなきゃ」



刹那、ユヒェルは駆け出した。

彼の…サカキバラの生きた証であるあの工房へ。

あの言葉がどういう意味で何をしようとしているのかもわからない。

だけど、ただ無性にやらなければならない気がして、気がつけば足が動いていた。

心臓が張り裂けんとばかりに暴れても、喉が引き裂かれたように痛んでも、それでもできるだけ早く…早く!


工房に着くと、散乱するガラクタを無視してサカキバラが毎日のようにいじっていたあの銃へ一直線に向かった。

そして、それを手にすると踵を返し、また来た道を戻った。


空は夕暮れ。


未だに響く銃声。



苦しみもがく人の声。



立ち込める鉄のような血の匂い。



その中を真っ直ぐにひたすら真っ直ぐに進んだ。


「ここ……」

しばらくして荒く息をしながら立ち止まる。

小高い丘の上、戦場が見渡せる中心。

だが、逆を言えば周りからもよく見える場所。

ユヒェルの眼下にいた兵たちがユヒェルに気づき、ニヤリと笑っている。



しかし、ユヒェルはもはや恐怖は感じなかった。


…静かに空へ銃を向け、トリガーへ指をかける。

慣れた操作で引き金を引くと、確かな感触とともに弾は打ち出された。















────…そして、花は咲いた。




大きな音とともに光のない暗闇の空に咲く七色の大輪。

ユヒェルはこの花の名を知っていた。

「…………花火…」

まだ幼い頃、本で見たことがある東洋の文化。

夏の闇に打ち上げ、輝くという花火。

それがこの殺伐とした戦場に打ち上がったのだ。


サカキバラは日本の職人。

……なんの職人かは知らない。


サカキバラはいつも変な銃を改造していた。

……なんのため?


サカキバラは「職人としての意地」のためにこの戦場へやってきた。

……意地って何?



「ああ…なんだ……そういうことか」



全てに合点がいって、つぶやく。

簡単なことだったのだ。


……なんの職人かは知らない。

サカキバラは日本の花火職人。


……いつも変な銃を改造していたのはなんのため?

この戦場に花を咲かせるため。


……意地って何?

花火職人として、人として一人でも多くの人を自分しかできない方法で救うこと。





「なんだよもう……かっこいいじゃんか」



自然と瞳からは涙がこぼれた。






人々は戦いの手を止め、呆然と空を見上げる。

美しいその花に目を奪われ立ち尽くす。


それはたった一瞬の煌めき。


しかし、その一瞬でこの場にいた全ての人の心に変化をもたらした。


それは「奇跡」という煌めき。




……戦場は静寂に包まれた。




▼ △ ▼ △


その後、戦争はあっという間にその幕を閉じた。

それはとても小さな国での話。

知っている人などこの世に何人といないだろう。

そんなひそやかな物語。


「すみませーん」

「あ、いらっしゃいませ」


現在ユヒェルはサカキバラの故郷で花屋を営んでいる。

サカキバラにたまに日本語を習っていたおかげでさほど苦労はしていない。

理由は言わずもがな、あの日空に咲いた花を忘れることができなかったからだ。

今も思い返せば火薬の匂いがかすかに香る。


「あの、父のお墓参り用に花をお願いしたいんですけど」

「わかりました。少々お待ちください」


本日のお客様は今時珍しい女子高校生だった。

…不意にあの手紙のことが思い出される。

サカキバラが最後に手にし、とうとう封が切られることもなかったサカキバラの娘、ハナからの手紙。

拙い文字で書かれた「はなより」という字からは可愛らしくも愛が感じられた。

この手紙もサカキバラの家族に返すべきだとはわかっているのだが、彼の家族のことなど存在以外は何も知らない。

知っているとすれば、あとは娘の「ハナ」という名ぐらい。


「…外国の方……ですよね?」


突然少女が声をかけてきたのでユヒェルは目を丸めた。


「え、ええ…そうですが」

「珍しいですね」

「そうですか?」

「はい」


サカキバラもこんな風に見られていたのだろうか。

思いがよぎり切なくなる。

と、話をしている間に花束が出来上がった。


「こちらでよろしいですか?」

「は、はい!」


顔を輝かせて花束を見つめる少女にユヒェルは思わず笑みを漏らしてしまう。


「…お父様がお亡くなりになられたのですか?」

「あ…はい……」


途端に少女の顔に影がさす。


「……どこか小さな国の戦争に巻き込まれて死んだんだと母から聞きました」

「戦争…?」

「はい。父はとても正義感の強い人で……あ、父は昔花火職人だったのですけど…」


ユヒェルはぴたりと動きを止めた。

少女の話す「父」をどこかで知っている気がした。


「君!君の名前は?!」


気づけば少女に問うていた。


「え?な、名前ですか?」

「そう!」


突然のユヒェルの迫力に少女は怯んだようだったが、すぐに答えてくれた。


「…榊原(さかきばら) (はな)ですけれど」





人は、死に直面すると何よりまず逃げることを考える。

それが人の、生きとしいける全てに与えられた本能だ。

敵わないものが目の前に現れれば、無理に立ち向かわず楽に生きることのできる道へにげこもうとする。


……人は死が何よりも怖いのだ。


故に逃げる。



しかし彼、ユヒェル・ベルナマータは知っていた。

人の中にはごく稀に死から逃げずに立ち向かおうとする者がいるのだと。

そして、その者たちは必ず意味ある死をとげるのだと。

ユヒェルは知っている。

彼が出会ったとある男がまさにそういう人間だったから…。




「…知っている」


「え?」


「知っているんだ。君のことも…トーマの事も…」


「ど、どういう…?というかどうして父の名を?」


「………渡したいものがあるんだ」



そうして、受け継がれる。

たとえ戦場であっけなく死んでも、家族と二度と会えなくても、その身が墓に埋められることがなくても、それでもそのことを知っていたから榊原 斗真(とうま)という男は死を恐れることはなかった。


ユヒェルから花へ、受け渡されるその封筒は一度も開かれることはなかった。

しかし、差出人の拙い文字の下には細やかな字で一文、こう綴られている。





「愛しているよ 父より」






思いは言葉となって巡る。


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