訪問者Ⅱ
それから暫く。とはいっても、言うほどの時間ではない暫く後。
辺りは獣の臭いが漂う、という形容が相応しい空気だ。
追手が何処まで来ているかはわからないが、この空間にいれば少しでも相手の目を欺くことができるだろう。
獣は獣の臭いを嗅ぎ分ける、というがこの状況でその言葉は裏目にでる。
木を隠すなら森。
同種のものが巣食うこの場所は、相手を巻くのに持ってこいだと言えるだろう。
これは目を覚ました少女ことヤマビコリノ(漢字はまだ聞いてない。)の提案である。
俺は決してそうは思わないのだが。
抱えていた少女は家を出てから5分程で意識を取り戻し、それからは一緒に走ってきた。
相手はやはり素人ではないようだ。逃げるのが精一杯で、反撃などする余地もない。だから、ひたすらに走っては隠れることを繰り返している。
そして今は、先程述べた場所に隠れているのだが……
「どうしてこうなる」
「いや、それは夙川さんが木を隠すなら森だと言うから……ですね、私にはここしか思い当たらなくて……」
「そんなこと言ってない」
即答する。
確かにここは条件に当てはまる場所ではあるが、彼女は何かをはき違えているようだ。つまりはこういうことである。
「いくら何でも猫カフェに隠れるっていうのはアリエナイ話だろ!」
そう。今俺達が「いかにも」な連中から逃れるのに使っているのが、猫カフェ『邂逅の木天蓼』である(読めない)。最初はこの厨二っぽい名前以外、これといった印象もなかった。
それが、リノに付いていくままに入ればあら不思議、世に有名な猫カフェではないか。
それに、座ったテーブル席からガラス越しに辺りを見回してみると、猫カフェだらけだった。こんな場所、あったか?
俺がキョロキョロしてると、リノが口を開いた。
「実は一度行ってみたかったんですよ。可愛いですねぇ。こんな形で叶うなんて思ってもみませんでしたよ」
そう言って満面の笑みを浮かべる。
「いや、ニコッじゃなくてだな。普通に考えておかしいだろ!この状況で優雅にニャンニャンとか言いながらお茶してるなんて!」
勝手にコーヒーやらデザートも頼んでいた。チャッカリしてやがる。
「でも、実際にはここ10分ほど見つかってませんよね?これって、この直近40分で最長記録じゃないですか?いや本当、願ったり叶ったりですよ」
冷静に、かつ不真面目に返された。
思い返すと、相手がプロ6人がかりでということもあって、常に追い回され続けてきた。
それを考えると彼女が言ってることは強ち間違いではないのかもしれない。
「でも待てよ。おかしくないか?プロをあれだけ動員しておいて、たかが猫カフェが沢山ある場所に逃げ込まれてターゲットを見失うなんて……」
俺は、このような疑問を持たずにはいられなかった。
「夙川さん、『たかが』猫カフェ、『されど』猫カフェですよ。この子が狙われる訳をまだ話してませんでしたね。それを聞けばこの意味がわかると思います」
そう言って彼女は手元にいる不思議な猫に視線を落とす。
「この子、実は幻覚を見せることができるんです」
そこで俺はハッとする。
「じゃあまさか、俺達が今見ている景色は全部その猫が作り出した幻覚だってことか……成る程、だからこんなに猫カフェが沢山あるように見えるんだな」
「ええ、そういうことです。でも正確には全部が幻覚ではありません。だって、今夙川さんは目の前にいるこの可愛い娘を視認できてるでしょう?つまりですね、都合の良いように幻覚を発動できるんですよ」
さりげなく自慢しやがった。しかも指を頬っぺたにおいてキメポーズ。
それは無視して
「なら追手は……」
「恐らくは私たちとこの子を捕獲する幻覚でも見てるんじゃないですかね?」
無視したことに気が触れたのか、リノは答えつつもムスッとしてコーヒーを啜る
「そういうことか。でも何で俺のところに来るまで、その能力を使わなかったんだ?そんな便利な能力があるんなら、すぐにでも逃げられたろうに」
そう言うと彼女はやれやれ、といった表情で少し小馬鹿にするように返す。
「世の中そんなに上手く出来てませんよ。この現象を起こせるのは、この子が起きてる間だけです。しかも気分次第で発動しないときもあります」
チッチッチ、と人差し指を縦に振り、まだまだですなぁ、と自慢げに付け加える。
……ん?「チッチッチ」って……指を横に振るんじゃなかったっけか?こう、メトロノームみたいに。
そう思い、一度縦に指を振った後、横に振ってみると、確かに今のリノの動作がおかしかったことに気付く。
この誤りを教えてやろうと身構えたが、今の確認動作をリノもまた見ていたようで、ハッとして顔を赤くし、目を泳がせてる。
「あ、うん。こうだぞ、こう……はははぁ……うん、可愛いと思うよ、そういうのも……まだまだだなぁ、リノちゃんも」
若干のフォローもいれながらチッチッチとこちらがやり返すと、脛に蹴りが入った。
「痛っ!あぁ、悪かったよ悪かった」
彼女はぷっくりと頬を膨らましてにらんでいる。
「ふんっ。まぁいいですよ。所詮夙川さんですからね!」
どういう意味だ、それ。とは訊かずに、はいはい、と表情で返し、話を再開した。
「確かにその猫ずっと寝てたもんな。それに、いくら制限されてる能力だからって、そんだけのことができるんなら政府も放っておかないだろうよ」
「まぁそうなんですよね。それにそういう能力持ってた、っていうのも先月わかったんです」
機嫌は少し戻ったようだ。と思った矢先、2発目の蹴りが入る。根にもつなぁ、この子は。
いてえよ、と言ってから
「先月って、今まではその能力が発動してなかったってことか?」
と脛をさすりながら言う。
「いえ、実は……」
そう彼女が言い出した途端、周囲の景色が霞み始めた。
丁度、霧に映像を投影したような感じだ。若干、目眩のような感覚に襲われる。
そのままその霧は、まるで布が水を吸うように元の景色に吸い込まれていった。
リノの腕の中の猫を見ると、スヤスヤと眠りに落ちていた。
元の場所は文具店だった。しかも結構古い(猫カフェにしてすいませんという気持ちが拭えない)。
俺達は、リノがレジにある店員用の椅子、俺が商品の入っている段ボールに座っていた。
周囲の人は、その誰もが寝ぼけたような顔をしている。
だから店員さえも、俺達を見ても何も言わなかった。
「そうなんです。この幻覚は、幻覚発生の原因の当事者しか幻覚であったことを認識できないんです」
俺の呆けた顔を見て、リノが説明を加えた。
あぁ成る程ね、と俺は相槌をうつ。
「なら追手の方も今頃は、取り逃がしたことに気付いているってことか。厄介だな」
そう言って俺は立ち上がる。変な所に座っていたからか、短い時間でも腰が痛む。
「厄介ですね。また走りますか?」
突然の上目遣い。可愛い。心の中でガッツポーズ。
とはいえ、これは単に俺を見上げて言っているのであって感情のない上目遣いだ、と気付いて正気に戻る。
「いや、その心配は要らないよ。奴らの得物は、幻覚見るまでに処分してるし、幻覚が都合良く発生してるなら、俺達を見つけるのに、また一手間掛かるだろう。だからたぶん、今日のうちは襲ってこない」
ただ、
「厄介なのは、俺が雇われたことがバレてしまっている、ということ。相手もそれなりに対策してくるはずだ。これがどうもな……。
要するに、だ。こちらも相手が誰かを見極めないといけない。あれはどこの追手か、とかに何か心当たりはあるか?政府なら、もう少し穏便な手段を使うだろ」
そう訊ねると、彼女は肘を立てて所謂、考えるポーズをとる。
「そうですね。政府の方は、単なる話し合いで話が着きましたからね。あ、でも最初の頃襲ってきた人たちは中国語っぽい言葉を喋っていたと思います。それより、出ませんか?」
彼女も立ち上がり、そのまま店からすたすたと出ていこうとするので、俺も遅れないように出ていく。
それにしてもかなり自由な性格のようだ。話が尻切れトンボすぎる。
「待ってくれよ……」
追い付いて、辺りを見渡すと、そこは家から20分くらい離れた商店街だった。あの幻覚のせいか、殆どの人は意識がまだ朦朧として商店街は商店街らしくない静けさに満ちていた。
流れとして必然的に二人で並んで歩く。
彼女は嫌悪感丸出しで、こちらを見てくる。だがもう慣れたさ。
その視線は気にせずに話し始める。
「ここだったのか……。随分な変わりようだな。
あと、そいつらが中国語喋るっていうなら依頼料はいらないよ。今扱ってる依頼に含まれるかもしれないからな」
「今扱ってる依頼って、そんな浮気みたいなことしていいんですか!?いや、私はそんなことしてほしくないです」
「まぁまぁそう焦るな。言っとくけど、まだ依頼は始まってないからな?だいたい、依頼の内容も聞かないうちに襲撃に遭って、今に至るわけで、本来なら依頼の内容を聞いてからその順序を考えるつもりだったんだ」
焦るリノを論理的に説得する。
これで彼女も落ち着けばいいのだが。
「そ、そういうことだったのですね。わかりました。では早速、正式に依頼したいのですが、私たちは今どこに向かっているのですか?また夙川さん宅にお邪魔するのがいいんでしょうか?」
かなり落ち着いたようだ、少なくとも俺よりは。
俺は完全に次の行き先のことを考えてなかった。思ったより彼女は頭がキレるらしい。
いまのところ家、もしくはセリカたちの所という選択肢がある。ここはギャルゲ的には家に連れて行きたいところだが、どうだろう。
そう思案していると太股に震動が走った。携帯だ。画面には「桜田セリカ」とある。でも、連絡遅くないか?まぁあいつもあいつで忙しいからな。こういうこともあるんだろう。
着メロはソーラン節。この渋さが良いんだ。
リノの目が物凄く冷めた目だった。
「あ、もしもし、セリカか?」
『だ、大丈夫なの!?緊急連絡くらいちゃんといれなさいよ!ただのメールなんて気付かないじゃない!』
あれ?
「え、俺、緊急連絡で送ったはずなんだけど……」
『まぁいいわ。それより今どこにいるの?』
場所確認の為、辺りをもう一度見回す。リノは猫を抱えたまま仁王立ちしている。話を切られて少々腹が立ったのだろう。以外と構ってちゃんなのか?
「あぁ今は家の近くの商店街だよ。ちょっと色々あってな。丁度さっき一区切り着いたんで、今から家かそっちに行こうと考えてたとこなんだ。今そっち、行っていいか?」
『そうなの。わかったわ。大丈夫、準備はできるわ。なら佐伯さん達にも伝えておくわね。くれぐれも気をつけなさいよ。今あんた、眼鏡なんだから安易に電車とかで外さないように』
「へぇへぇ。了解です。じゃあよろしく」
そう言って携帯の通話終了ボタンを押す。
「じゃあ行くか」
そう言ってリノの方を向くと、彼女はいなかった。
既に駅の方へと向かっていたのだ。10メートルくらい先に、ホットパンツの少女のうしろ姿が見えた。
いや、本当にすごい嫌われようだな。
そう思って後を追いかけることもなく、自分のペースで駅まで向かうことにした。
商店街のアーケードを抜けたときの陽射しは、思ったより強かった。