訪問者Ⅰ
再び、部屋の中。
あの後に自分の昼御飯も食べて、ひとまず自室のベッドに横になっていた。
とても落ち着ける気分ではない。何せまた一週間後に能力を使わないといけないからだ。
いくら自然発生している能力とはいえ、少なからず体力を持っていかれる。それに、下手をすれば俺自身が相手の組織に潜入することになる。そうなれば精神的にも疲れることになるだろう。
桜田家のバックアップに頼ってばかりではいられない。
自分でも少しは戦略を考えておくべきだ。
ただ、戦術であるはずの自分が戦略を考えるのはなかなか滑稽だと思う。もちろん、自分が戦略級であることは百も承知だ。そのことを踏まえて戦略を立てなければ、もしものときに全体が動けなくなる。
ところがどうだろう。偉そうに戦略の重要性を述べてみたが、全くもって浮かばない。
「……セリカはいつもこんなこと考えてたのか、すげぇな」
そう、今までの戦略は全てセリカが立ててきたのだ(ただし、先日のように、誰も知らない間に俺がに誘拐されてしまう様なケースは別だ)。つまり彼女は桜田家の参謀なのである。それもあってか頭の回転は早く、仁が言うには学校でも有名だそうだ。確かに、頭がいい上にあの美貌ときたら有名なのは当然としか思えない。
そしてその参謀は毎回、綿密に戦略を練ってくる。彼女曰く、将棋のようなものなのだそうだ。そして俺のコマとしての能力はチート級、というわけではないらしい。幾分使い勝手が悪いのだろう。自分でもそう思う。ただ、そこをなんとかするのが腕の見せ所、というわけだ。それを加味すると、やはり彼女は凄いと思う。
それはさておき、戦略やら戦術やらはどうも俺には向かない気がする。そもそも、俺は将棋やチェスといったものは苦手だ。直ぐに立案を諦めることにした。
問、ではどうするか。
答、とりあえず明日まで待つ
これで呆気なく、今日の予定が決定した。理由は様々だが、一番は安静である。逆に俺が何かをすれば、それがまた問題になり兼ねない。
というわけで、現時刻13時00分を以て夙川佐助は暇人になった。いや、勝手な理由を付けて暇になってしまったのだ。しかし、
「暇だ」
勿論、文句なんて付けられない。
なら何をする。
ネットは午前の内に見たいものは見てしまったし、新聞にも目を通した。なら読書だ。そう思ったが先日、読んでいた本を読み切ってしまっていたのを思い出す。あぁ、本当にどうしよう。
「そうだ、京都に行こう」
行けるわけない。即答で却下。家からの外出ですら禁止、況やそれ以上の外出をや。
自分で言ってみたものの、唐突に浮かんだありきたりな台詞に少し恥ずかしくなる。
でも行きたいな、京都。ジャパンに浸りたいぜ。
なんだろう、京都はやはり日本文化の塊のように思える。
「京都から依頼、来ないかな……」
たぶん来ない。京都には預り屋専門の組織があるからだ。俺みたいなフリーに近い輩に依頼するよりよっぽど信頼できるし、安価だ。流石は都会である。
そのまま京都に思いを馳せていると、少しだけ時間が経った。…といっても数分。残り20時間近くあるうち、睡眠で削っても10時間以上ある安静日の0.4%くらいを消費したことになる。
「おぉ!ならあと250回くらい京都のこと考えたら暇潰しができるのか!」
…あ、と一人で呟いた後、急激に虚しさが脳内を満たした。そういうイタい自分を冷めた目で見ている自分がいたからだった。
閑話休題。
現時刻は13時05分。さっきから5分しか進んでない。今もまだ、ベッドに大の字で横になっている。
こうして色々思考を巡らせても、この程度の時間で済んでしまうからヒトの脳はよくできてると思う。
たまに思ってしまう、思考が具現化するならどんなに楽だろう、と。しかしそれは、全てを混沌に巻き込んでしまう状態になる。全ての人が、思うままに思うものを世界に持ち込むからだ。禁忌と言ってもいい。いや、禁忌というよりは、この思考自体が定義できないものだと言った方がいいのだろうか。
俺たちが世界を世界として認識してるうちは、それは定義ができる。しかし、他人の世界が今認識してる世界に入ってくれば、忽ちそこは自分では定義できない世界になってしまう、ということ。
つまり、俺たちが世界として認識してるものは、あくまで全人類の認識の共通部分なのであって、それを現実と呼んでいる。それ以外は、空想やら妄想といった言葉で片付けられる。
そして、俺の能力はそういう「認識」に由来してると思う。たぶん俺は、自分の認識を共通の世界に無理矢理持ち込んでるのだ。だからいつか、俺はこの代償を何らかの形で払わなければならないだろう。
…なんだか議論が行きすぎた。自分でもなんだか萎えてくる。
ただ、今やるべきことをやるまでだ。
やはり必要なのは休養。
というわけで仮眠をとることにした。
体を広げたまま、目を閉じる。
ずっと横になっていたからか、直ぐに微睡みは訪れて、俺の意識を拐っていった。
夢はあまり見ないタイプ。無の感覚は自分の生を確認できない。少なくとも再び起きるまでは、死んでいる感覚に近いんだと思う。
それが最後の意識だった。
電子音を聞いた。ピンポーンという音だ。
活動を休止していた脳は、突然の刺激に動揺する。
しかし、自我を取り戻した時には、その電子音が急を要するものであると気付き、先程のようにそそくさとインターホンに向かう。
途中で足の小指を部屋の入口でぶつけるも、なんとか操作をするに至る。痛い。
「はぃいひぃ」
口を開けて寝ていたのか、喉がかすれて声が干上がっていた。
すると、可愛らしい声の返答が。
「あのー、谺リノと申しますが、こちらはシュクガワ預り屋さんの事務所で宜しいでしょうか?」
随分と丁寧な挨拶だ。声からして子ども。……けど、ヤマビコ?なんだそれネタか?いやいや問題はそこじゃなくて……あ、預り屋?
俺はついに幻聴を聞くようになったのか?折角いろいろ快復してきたっていうのにそれはない。いやまったく、そもそも俺は今、家で安静にしているのであって、預り屋なんてそんな物騒な単語とは正反対の世界にいるんだ。つまり仕事なんてしたくない。サボタージュだ。
……と言ってみるものの、この女の子が単なる電話ではなく、ここまで来たという努力を反古にするのも人として気が引ける。どうにも良心というのが働いてしまうようだ、この脳は。
「はい、そうです。少々お待ちください」
言ってしまった。久しぶりに知らない人が、預り屋として訪ねてきてくれたというあまりの嬉しさに、つい口が勝手に動いてしまった。
仕方なく玄関まで行き、のっそりとドアを開ける。
「か、可愛い……」
これもまた自然に出た声。そう、このヤマビコという女の子の想像を絶する愛らしさに、脳に組み込まれたシステムが自動的に反応したようだ。
「そうですよね!可愛いですよね!私もいっつもこうやってムギュってしてるんです!」
そう言って彼女は抱えている猫をぎゅっとする。
……あれ?噛み合ってない。その前に「猫」を認識してなかった。ふわふわした珍しい柄の、碧眼の猫。うん、確かに猫ちゃんは可愛い。(ただこの猫……珍しい?いや、恐らく見たことない)
が、君の方がよっぽど可愛いとお兄さんは思うぞ。うん。
それはさておき、ここは顧客ゲットの為に邪な感情は捨てて、
「あ、あぁ、そうだね。えーと、夙川佐助です。預り屋です」
そのまま手を出す。
「あ、そうだった、どうもよろしくですー」
猫を抱える手を片方にして握り返してきた。
「いやよかったー、何とか辿り着いて。この辺りは入り組んでる上に、同じような風景が続くから迷ってしまいましてねー。一時間以上も迷いましたよ」
一時間!?いや迷いすぎでしょ。実際ここは駅からそんなに離れてないし、小径に入っても三回曲がるだけだ。
まぁでも、まだ小さいし、こういうこともあるのか。昔のヒトの習性から、女性は地図に弱いとも聞いてるし。
「へぇー、そんなに迷ったのか。電話でもしてくれたらよかったのに」
「いやいや、そんなお気遣いなく。春の散歩っていうのも中々よかったですし。猫ちゃんも一緒でしたし」
「確かに、今日はいい天気だもんなぁ。あぁ、そうだ、依頼なら中で話聞くよ。……外で話せるような内容じゃないんでしょ?」
ちょっとだけそれっぽいことを言ってみた。
「え、えぇ。そうですね」
うーん、と彼女は少し唸って
「でもそこまで夙川さんが話題をぶった切る人だとは思ってませんでした。いくらこんな可愛いロリっ子と猫ちゃんが来たからって、早く家の中に入れるためにコミュニケーションを蔑ろにするとは……いやぁ、なんだか興ざめですね。期待してた分。折角顔はカッコイイなと思っていたのに、蓋を開ければ所詮ケダモノですか。本当に男の人って油断ならないですねぇ。それと、今の雰囲気、ものすっごく違和感ありましたよ。なんていうんですかね……そう、痙攣を起こした厨二病患者みたいでしたよ」
なんだよその喩えは。いや、さらりとボロクソに言ってくれたな。ていうか勝手に期待すんな!
それに見た目によらない、と言うのならそれはお互い様だ。こんなに毒舌少女とはつゆも思わなかった。
……なんて、勿論口に出さない。
「……あぁわかったよ、わかった。もう何なりとご依頼くださいな」
これしか手段がないと思って投げ遣りになる。
しかし、出会って数分も経たないうちに、ここまでフランクな会話ができるのはかなり珍しいように思う。
そうすると、
「わかりました。ならお言葉に甘えて家に上がりますよ。依頼なのは本当ですから」
急に畏まるものだから、こちらの調子が狂う。
彼女は開いているドアと、それを支えてる腕の間するりと抜けて入った。そのまま進んで、
「割りと片付けてるんですね。意外です」
リビングを見渡してそう言った。
「まぁ、それなりには、ね。えっと、適当に掛けておいてくれよ」
そのままキッチンへ入り、俺はお茶をいれる。
お客さまが来た時の対応くらい、心得ている。何せ2年間も練習してきたんだ。手がガタガタ震えてる。
一方彼女は座らずに外を眺めているようだ。特に景色は良い方ではない、住宅地しか見えないと思うのだが。
「何か見えるのか?」
「まずは、夙川さんの悪意に満ちた変態心が垣間見えますね。……次に監視が4人、そのサポートが、つまりはSP2人です」
さっきよりもしっかりとした口調だった。
……は?
「ちなみに監視はアパートの四隅、ゴツい人達は玄関側の監視役と一緒にいます」
「っておい、どういうことだよ?お前、追われてる身なのか?だったら先に言ってくれよ……」
こういう状況だというのに、彼女は落ち着いている。その挙動はあまりに慣れすぎているとしか言いようがない程だった。
「大丈夫です。追われてるのは私じゃなくて、この子なんです」
そう言って猫をつき出す。
「実はこの子、色々と事情があって国家級の保護対象なんだそうです。それで……」
パリン、とガラスの割れる音。
「キャッ!」
と同時に悲鳴。
突然のことに驚いたのか、気を失って倒れかける。急いで抱え込みにいく。
その刹那の間に屋外を見ると、監視役が恐らくは麻酔銃を持っていた。
これはただ事じゃないと思い、壁に隠れて携帯電話から緊急伝達をセリカ達に送る。
抱えた少女は猫を離すことは無かったようだ。猫を抱えてる少女を抱える俺。マトリョーシカみたい?
まあいい。それに猫は猫で、何が起きているかなど他人事のように、眠りこけている。
「はぁ……今はあいつらを巻くために一役買え、というわけだな。へぇへぇ、やりますよ。やります。初の部外者依頼ですからね!」
そう言って玄関まで駆けていった。